年が明けてから僅か数日後。執筆した二本目までの短編小説の、出版社からの校正の指示を待つ段階に入っていた。だが于禁は指示が来るまでの間は、四本目までの短編小説の執筆を始めようとはしない。理由は単純で、指示が来た際の修正に使う頭を休ませる為に。
なので于禁は普段よりも少し遅く起床し、のんびり支度した後に外を出歩いて脳をリフレッシュさせていた。外はまだ寒いが、空は晴れている。それを見ながら于禁は数キロメートル程の距離を歩いた後に、違うルートを歩いて帰宅していく。しかしその前に家の近くのスーパーマーケットに寄らなければならない。本日の昼食と夕食、それに明日の朝食を買うからだ。
太陽はまだ真上にある。今日の昼食は何にしようかと考えながら、于禁はゆっくりと歩いて行った。
帰宅して昼食作りそして取り終えると、于禁は午後からは普段とは違う事をしようとしていた。それは、他の作家が呼んだ小説を読むことである。学生時代も前の職業の時代も、本は読んでいた。しかし月に二冊を読めていればかなり良い方というレベルだ。最も、今はそれ以下であるが。
少し前に担当編集である蔡文姫から、何冊か本を借りていた。それは打ち合わせが終わった後に、于禁が蔡文姫に「何かおすすめの本は無いか」と聞く。すると蔡文姫は僅か数秒考えた後に、打ち合わせの部屋から出たかと思うとすぐに戻って来てまだ真新しいここの出版社の文庫本を数冊于禁に手渡していた。
ラインナップはまだ一般人に等しい于禁でも知っている有名な作家の本から、タイトルも作家も聞いたことのない本まで様々。それらを瞬時に選べたことに驚きながら于禁は礼を言っていた。
于禁は今でもその驚きを思い出すと、今から読む本を選んでいく。小説のジャンルも様々だが、于禁は全く知らない作家の本を手に取る。その理由は簡単だ。知っている作家の本など、読者の目線から見れば後でも選ぶ指標としては容易くなる。反対に知らない作家の本などここで読まなければ、今後二度とタイトルも作家の名前も二度と見ない可能性もあり得た。だがそれが、かなりの名作という可能性もある。
于禁は後者の可能性を、小説を執筆し始めてから考えるようになっていた。その可能性を読者としての于禁でも少しでも見出す為に、于禁は知らないタイトルと作家の本を書斎で読み始めていったのであった。
内容は恋愛ものであったが、于禁は夢中で読んでいた。結果、日が暮れていてもずっと文字を追いかけていたらしい。気が付くと時計の時刻の数字が大きくなっていて、まだ読んでいる途中の于禁は一旦栞を挟む。
体を伸ばした後に立ち上がった、その瞬間に扉が解錠された音が聞こえた。その音を立てたのは夏侯惇しか居ないだろう。だがスマートフォンを見ても、何も連絡がない。なので連絡も無しに家に来たことが珍しいと思いながら、于禁は玄関へと向かっていく。
「飯……」
夏侯惇の開口一番の言葉はそれだった。それも、何日かぶりの対面での再会である。
溜息をついた于禁だが、どう見ても夏侯惇は疲れ切った顔をしている。なので「はいはい」と返事をした後に、夏侯惇を放っておいてから夕食を作り始めていく。
夕食を作り終えてから、夏侯惇は皺だらけになってしまったワイシャツ姿でぐったりとしながら食卓の席に着く。
「すまんな、連絡も無しに」
夕食ができるまでは、夏侯惇はソファにだらしなく座ってずっと項垂れていた。通勤鞄から取り出したスマートフォンの通知を確認した後に、でろりと溶けているように座っている。
それを視界の隅に捉えていた于禁は、満腹感のあるメニューを考える。その結果作ったものがカレーライスとなったのだが、夏侯惇は大喜びしていた。
「いつもより美味い」
夏侯惇の様子を窺いながら少しずつ口に運んでいた于禁だが、その言葉を聞くと大きく安堵した後に普通の食べるペースへと戻していく。
于禁は何か月か前から、夏侯惇に昼食か夕食を作っては共に取っている。それまでは自炊の経験が皆無ということは無いおかげか、夏侯惇からは毎回「美味い」という感想を受けていた。だが今回は『いつもより』という単語が付け加えられていたので、于禁はあまりの嬉しさに笑みを零す。しかし夏侯惇は胃に入れることに夢中だったので、それに気付いていないが。
先に平らげたのは夏侯惇であった。于禁はもう少しというところで完食をするのだが、そこでようやく労わる言葉を掛ける。
「お疲れ様です」
「あぁ」
だが夏侯惇の反応は鈍くなっていた。食後に睡魔が襲ってきたのだろう。
「ソファでしばらく寝られてはいかがですか? 片付けは私がしておきますので」
「だが……」
何かを言おうとしていた夏侯惇だが、于禁の言葉に甘えることにすぐに決めたらしい。なので于禁の言う通りに椅子から立ち上がると、ソファに移動してすぐに目を閉じて一時的な眠りに就いていった。
それを于禁は微笑みながら見た後に、夕食の片付けをしていく。極力音を立てないように洗い物をしていると、背後から夏侯惇が抱き着いてきた。眠たそうな声を吐く。
「……于禁と、寝たい」
「では、もう少しお待ち頂けますか?」
于禁は眉を下げながら、子どもをあやすような調子で返す。しかし夏侯惇は返事もせずに、ただ抱き着いている。早く、と急かしているのだろう。なので于禁は片付ける速度を上げ、普段よりも早く終わらせる。しかしその間に待つのことに飽きたのか、夏侯惇は「于禁……」と何度も名を呼んでいた。于禁はそれを聞きながら、「はいはい」と返していたのだが。
二人で入浴をしたのだが、その際にも夏侯惇は今にも寝入る寸前であった。浴室から出る頃になると、于禁が動く気のない夏侯惇を必死に引き摺り出していく。そして次に何とか無理矢理に寝間着を着せる。寝室に移動する際にもまたもや夏侯惇を引き摺って連れていき、ベッドの縁に座らせるとドライヤーで髪を乾かした。すぐに夏侯惇がベッドに横になると、布団も何も掛けずに眠ってしまった。
直前に夏侯惇が「七時」と言ったが、起こして欲しい時間のことだろう。于禁は無言で自身のスマートフォンのアラームを七時に設定してから充電ケーブルを挿す。そこで夏侯惇のスマートフォンが、この部屋には無いことに気付くと思い当たりを探っていく。
確か、リビングでスマートフォンを数秒だけ確認していたことを思い出した。なので寝室から出てリビングに向かうと、ソファの座面の上に放置されたように置いてある通勤鞄とスマートフォンを見つけ出す。通勤鞄は触れないようにして、スマートフォンのみを寝室に持ち出すとそれにも充電ケーブルを挿した。
ようやく一安心した于禁だが、そこで気付いた。何故、自身が親のようなことをしているのかと。だが、そのような様子の夏侯惇と接するのは特に不快だとは思わなかった。好きであるが故に。
まだ髪を乾かしていない于禁は熟睡している夏侯惇が近くに居るが仕方なく、ドライヤーで髪を乾かしていった。だが濡れた髪が冷えていたので、いつもより時間がかかってしまう。それに少しの溜息をつきながら髪を乾かしていった。
于禁もようやく眠る為の支度を終えたので、ベッドに入り夏侯惇に布団や毛布を掛けてやると、自身にも掛けてから横になる。そして仰向けで眠っている夏侯惇の額に触れる程度のキスをした後に、部屋の照明を消してから眠りに就いたのであった。冷えている夏侯惇の体を静かに暖めていきながら。
翌朝、于禁はスマートフォンのアラームで目を覚ますと夏侯惇を起こす。
「夏侯惇殿、おはようございます。起きて下され」
「……ん、朝か……おはよう……昨日は、すまんな……」
寝足りないのか、機嫌の悪そうに夏侯惇は目を覚ます。だがなかなかベッドから立ち上がれないので、于禁は夏侯惇の腕をゆっくりと引いていく。そうしてようやくベッドから出られると、まだ目を覚ます兆しのない夏侯惇と共に朝の支度を始めていった。
夏侯惇の着替えやスーツなどは于禁の家にも幾つかある。それを夏侯惇に渡し、着替えさせている間に于禁は二人分の朝食を作っていく。夏侯惇はとてものんびりと着替えていたので、おかげで于禁は余裕で朝食の準備を終えることができたが。
スーツに着替えたのはいいが、夏侯惇はまだ目を覚ましていない様子である。朝食を取れば、すぐに出勤させなければならない。眉間に深い皺を寄せて考えた後、于禁はとある行動に出た。
夏侯惇と唇を合わせ、舌で上顎や歯列の裏を触れていったのだ。そこでようやく目を覚ました夏侯惇は、しばらくそれを嬉しそうに受け続ける。
唇を離すと、于禁の顔が赤くなっていた。それを見た夏侯惇は、愛しそうに笑う。
「続きを、帰ってからでもしてくれ。俺は明日は休みだからな」
「……はい」
視線を逸らしながら于禁は頷くと、二人は冷めてしまった朝食を取り始める。于禁の顔が、赤いまま。
朝食を終えると于禁は夏侯惇の出勤を見送ってから、片付けなどを始めた。それが終わると、昨日途中まで読んでいた小説の続きを読み始める。残りのページ数からして、昼前には読み終えるだろう。そう考えながら書斎へと向かうと、机に向かって小説を読み始めた。
結果、予想通りに昼前までには読み終えていた。読み終えた小説の感想は内容が面白いのは勿論、于禁自身が綴っている文章よりもレベルが遥かに上である。なので改めて自身の未熟さと、それにまだ成長の余地があると知ることができた。于禁はそう思ったことを忘れないように、先程小説を読み終えてから思ったことを思い出しながらメモしていく。それを、次に書き始める短編小説に活かす為に。
一通り纏めると、時刻はいつの間にか昼。于禁は大きく体を伸ばした後に、食料を買いに外に出たのであった。今夜も夏侯惇が来るので、それが楽しみで堪らないらしい。なので軽い足取りで最寄りのスーパーマーケットに行き、帰宅する。そして昼食を作ってから取ると、蔡文姫から借りた本の二冊目を選んで読む。またしても知らない作者とタイトルのものである。
于禁はそれを読みながらも、夜が来るのを待ち焦がれていた。
夜になると、于禁は夕食を作り始める。昨夜のカレーが余っているので、それをアレンジしたものだ。
夕食を作り始める前に夏侯惇から、いつ頃に退社できるかの連絡を受けていた。しかしそれに対しての于禁の返事はいつもの事務的なものであるが、心は早くこちらへ来て欲しいという想いで溢れている。
作り終えて配膳してから数分後、于禁の家に夏侯惇が来た。昨日と同様に疲れている様子だが、于禁の溢れる想いはもう止まらない。玄関へと素早く出迎えに行く。
手を差し出して持っている通勤鞄を代わりに持ってから、夏侯惇にぎゅっと抱き着いた。「おかえりなさいませ」と言いながら。それに驚いた夏侯惇だが、すぐに笑いながら「ただいま」と返す。
「夕食にしましょう」
「あぁ……だが、このやり取りが、何だか新婚みたいだな」
夏侯惇も抱き返し、思ったことを呟く。すると于禁はそう言われたことが嬉しくて堪らないのか、首から上を赤く染めて無言である。その様子を悟った夏侯惇は、よしよしと頭を撫でた。
「飯を食おう。腹が減った」
冷めないようにと夏侯惇がそう促すと、于禁はとても名残惜しげに体を離していく。それを夏侯惇は愛らしく見てから、ダイニングへとゆっくり向かう于禁の後に着いて行った。
静かに夕食を済ませた二人だが、于禁はとある話題を出す。
「きちんと食事を取っておられますか?」
「まぁまぁだな」
「……まぁまぁ、とは?」
テーブルの上の空になった食器を見ていた夏侯惇は于禁の方を見てから、少し考えた後にそう答える。しかし于禁はそれの内容をよく理解できないのか、首を傾げた。なので夏侯惇は言い直そうと考え直す。その時に再び、空になった食器を見直していて。
曖昧な答えがもう一度返って来ると思った于禁は、質問を細かく砕いた。
「朝食は毎日取っておられますか? 勿論、昼食や夕食も」
「全部買って食ってるからだいじょ……」
「なりませぬ!」
于禁は突然に大声を出したので、夏侯惇は驚きのあまり肩を大きく跳ねさせた。視線が、表情が険しくなっている于禁の方へと移っていく。
「今はお忙しいのに、大方、バランスの悪い食事なのでしょう! なりません! 偶にでも自炊をして、バランスの良い食事を取って下さい! 調理器具くらい、貴方の家にあるのでしょう!」
夏侯惇は于禁の言葉にひたすら圧倒されたが、答えはすぐに準備できていた。なので首を横に振っていく。それを見て于禁は険しい表情が薄まり、強張っていった。
「ない」
「あるでし」
「ない」
速答した夏侯惇に、于禁は驚きのあまりに返す言葉が見つからない。そうしていると、夏侯惇は言葉を繋げ始めた。
「確か……片手鍋と包丁があるのは覚えているな。他は忘れた」
「よく生きていられますな」
「俺に失礼過ぎるだろ」
唖然とした于禁を見て、次は夏侯惇が険しい表情をしていく。それを見て于禁は謝罪をするものの、とあることをふと思い付いたらしい。
「でしたら明日、貴方の家を確認してみましょう。明日は、休みなのでしょう?」
「明日……? まぁ、いいが」
二人はそう話した後に、少し一息ついてから片付けを始める。そして入浴してからベッドの上で他愛もない話をしながら寛ぐ。そして二人はただ体を密着させてキスをしてから、互いの熱に溺れ合ったのであった。部屋の眩しい照明など、点いたままで。
翌朝、温くなったまどろみから解放された二人はベッドからのろのろと出る。特に于禁は、昨晩の行為により体が怠いらしい。それでも服に着替え、昨日の食後の言葉通りに隣にある夏侯惇の家に行こうとする。
「激し過ぎるので、もう少し手加減をして頂きたいのですが……」
「それは無理だ」
壁に伝って歩く于禁に手を差し伸べ、夏侯惇は肩を貸す。歩行の補助をしてくれる礼を言う為に于禁は夏侯惇の方を見る。すると笑いながら于禁からの昨夜などのことについての頼みを断ってきたので、于禁は壁の方をひたすら見始めた。夏侯惇はそこで于禁の整えたばかりの髪を撫でようとしたが、さすがにそれは怒られるだろうと思い止めた。
しかしその代わりにと、頬をそっと撫でていく。何度も何度も触れているそこは、今は冷たい。なので暖めるように、ゆっくりと。
「……っ」
何か言おうとした于禁だが、口をつぐむ。それに気付いた夏侯惇だが、見て見ぬふりをしてから于禁の家を出る。そして夏侯惇の家へと入って行った。
夏侯惇は于禁の支えをまだ続けながら、キッチンへと向かう。特に不衛生ということは無く、使用感もほぼ無い。なので于禁はそれを指摘した。
「本当に、料理をされていないのですね」
于禁が深い溜息をつくと、夏侯惇は軽く頭を掻く。
「昨日言っただろう……それにほら、片手鍋と包丁はある」
流し台の下にある収納の扉を開けた夏侯惇は、そう言いながら片手鍋一つを取り出して置いた。だが包丁は危ないので、柄とそれに少しの刃の部分を見せた後に元の場所に戻す。
そして夏侯惇曰く、前にフライパンなどがあったらしいが使用後に洗っている最中に壊れてしまったらしい。古いものでも乱暴な使い方をしていた訳でもないが、ある日ふと持ち手と本体が外れてしまっていた。幸いにも綺麗に外れてしまっていたので、怪我などは全くしなかったのだが。
「……災難でしたな」
「だが、話のネタにはなるし、自炊する時間が無いから俺は気にしてはいない」
「お時間が無いようでしたら、今日のような休日は、何をなさるおつもりでしたか?」
夏侯惇は言葉を詰まらせた。
「う……于禁と過ごそうと思っていた」
何かを誤魔化すように視線を泳がせた夏侯惇だが、誰にでもそれが見抜ける程に分かりやすい。なので于禁はもう一つ溜息を吐いた。すると何かを思い付いたらしい。夏侯惇の肩をがしりと掴んだ。だがその瞬間に腰に痛みが僅かに走ったので、顔を歪ませた。
「フライパンやその他の調理器具を買って、次の休みに料理をしましょう」
「……は?」
「先日は、疲れながら私の家に転がり込んで来たでしょう。仕事の疲れもあるとは思いますが、やはり適切なしょ……」
話が長くなる、そう思った夏侯惇は于禁の話を無理矢理に打ち切る。そして観念したように言う通りにすることにした。だがわざわざ外に出るのが面倒らしく、スマートフォンを取り出した。ネット通販のアプリを開くと、有名なメーカーの製品を選ぶとカートに入れる。だが決済をする直前、何か買い忘れの物があったらしい。それをカートに入れると決済を終えていた。
「来週には届いているだろうな」
スマートフォンから視線を逸らそうとした夏侯惇だが、突然に着信が入ったようだ。普遍的な着信音が鳴るのではなく、バイブレーションでそれが分かった。これから于禁と共に過ごすことができる、そう思っていた夏侯惇だがスマートフォンの画面を見て顔をしかめる。着信先が、同じ部署の部下だったからだ。
遂には着信を知らせている画面を睨んでいると、于禁から「出られてはいかがですか?」と言われてしまう。なので溜息を一つ吐くと夏侯惇は着信に応じた。同時に、于禁は席を外すように玄関へと移動していく。夏侯惇はその背中を見ながら、部下の緊急の要請を聞いていた。
「……すまんが、部下が致命的なミスをしたらしいから出社してくる」
通話を終えた夏侯惇は玄関に向かってから、于禁に残念そうに言う。スーツに着替える必要は無いのか、リビングの壁に掛けてあるコートを軽装の上から羽織った。
しかし于禁は仕方ないと返すとそのまま夏侯惇の家を出ようとしたが、夏侯惇はそれを一時的に止める。于禁の腕を、何も言わずに掴んでから。
「お前なりに、見送ってはくれないのか?」
「…………」
眉間の皺を濃くした于禁だが、すぐに元のものへと戻っていく。そして夏侯惇の言う、于禁なりの見送りをした。
「……これで、よろしいでしょうか」
ぎこちなく夏侯惇へと抱き着くと、そのまま唇で頬に触れた。だが夏侯惇は思っていたものとは違っていたらしい。なのですぐに行動に移し、于禁と唇同士を合わせていく。未だに掴まれている腕が大きく揺れたが、それはほんの一瞬だった。そして夏侯惇からの口付けを素直に受け入れていて。
于禁のその態度がとても嬉しいらしい夏侯惇は、このままこうしていたいと思っていた。于禁をこのまま食いたいと思っていた。しかし早く出社して、部下の致命的なミスを対処しなければならない。なのでそれだけを悔いながら、唇を離していく。
「……行って、らっしゃいませ」
「あぁ、行って来る」
夕方までには必ず帰る腹積もりで、夏侯惇は家を出る。于禁はそのような考えなど知らず、改めて見送ってから自身の家へと戻って行ったのであった。
そして夏侯惇は部下のした致命的なミスを何とか夕方までには対処できたらしく、于禁に連絡をした。于禁自身の家へと帰宅していると知ると、真っ直ぐそこへと向かう。すぐに体の冷えを消し去る為に、于禁の体の暖かな熱を激しく求めていて。
※
数日後、于禁は蔡文姫から借りていた本を全て読み終えていた。やはり今まであまり小説の類の本を読んでこなかったのか、とても良い刺激になったようだ。なので早速蔡文姫に感謝のメールを送る。すると直後に夏侯惇からメッセージが来たようだ。曰く、先日注文した物がマンションのエントランスの宅配ボックスに配達されたという。
このマンションはそれなりに階層が高く、それに比例して住民が多い。だがあまり有限である宅配ボックスを圧迫させたくはないので、夏侯惇は于禁に代わりに宅配ボックスから取り出してから預かっておいて欲しいと頼んだ。前からそのような頼みを幾度も聞いている于禁は、近場を散歩でもするかのように快諾するとエントランスに降りて行き荷物を取り出す。そして自身の家に開封などすることなく玄関に置いた。
預かったことを連絡した于禁は、少しの間昼寝をする為にベッドに横になる。そして眼鏡を外してから一時間だけ、と思いながら瞼を降ろしたのであった。
ふと、何かの眩しさで眠りから覚めていく。部屋の照明だと思ったが、何かが違う。なのでゆっくりと瞼を上げると、于禁は驚いた。既に暗くなっていた寝室がとても濃い、ピンク色の光に照らされているからだ。それに寝室のカーテンが閉められている。
がばりと起きると、夏侯惇の笑い声が聞こえてきた。
「フライパンと、それにこれも買ったのだがどうだ?」
いつの間にか于禁の家に入っていたらしいスーツ姿の夏侯惇は、光源を指差す。それはごく普通のテーブルランプであった。しかし下の側面の小さなボタンを押すと、一般的な部屋の照明と呼んでいい光が寝室を照らしていく。
だがそれがつまらないと思った夏侯惇は、すぐに先程の濃いピンク色の光へと切り替えた。
「家でもラブホテルのような雰囲気にできるからいいと思ってな」
「……やけに、眩しいのですが」
明るさや今の事態をまだ把握しきっていない于禁は眼鏡を掛けたが、そこでようやく夏侯惇の言っていることが分かったらしい。なので濃いピンクの光にマッチするように顔を朱色に染めていると、夏侯惇がベッドに乗り上げる。
「シャワーを、浴びてからなら……」
合図も何もしていないのに、于禁はそう言いながら夏侯惇を手で退けた。
なのですんなりと夏侯惇は退け、于禁がベッドから立ち上がった瞬間に抱き止めてから口付けをする。ほんの一瞬のものを何度もしていくが、夏侯惇は于禁を焦らしていく。于禁はそれを数回目でようやく気付いたのか、欲しがるように夏侯惇の腰や背中に手を回した。
そして唇が離れた瞬間に再び、だが今の行動とは反対の言葉を夏侯惇に放つ。
「シャワーを……」
「分かった分かった」
面倒そうに返事した夏侯惇は、絡まっている于禁の手を解いた。そしてピンク色のライトを点けたまま二人はノロノロと浴室に向かっていく。途中で、先程のように軽い口付けをしていきながら。
于禁の興奮が頂点まできていたので、部屋着の上から見てもよく分かる程に股間が膨らんでいる。気が付いてから「少し待て」と言った夏侯惇は、歩調をわざと緩める。すると于禁が早く早くとせがみながら、夏侯惇の腰に手を添えた。そうしていると脱衣所に着いたので、于禁はすぐに部屋着を脱ぎ始める。しかし夏侯惇はスーツのジャケットやスラックスのみは皺にならないように、と脱衣所にあるハンガーに掛けてから他の衣服も脱いでいく。
先に于禁は全て取り払っていたのか、ワイシャツと下着姿である夏侯惇の下着をずらした。夏侯惇は「待て」と言いながらワイシャツのボタンを外していく。しかし于禁と同様に夏侯惇にも目立つ股間の膨らみがあるので、于禁は熱っぽい手つきでそれに触れていた。荒くなっていく息を吐きながら。
「……っ! ベッドの、上でな……!」
やんわりと于禁の手を払うが、少しでも触れられただけでも好かったらしい。しかしそれを耐えながら夏侯惇は于禁と共に浴室へと入っていく。
丁度良い湯を浴びながら、互いの体にボディーソープをぬらぬらと纏わせた。次にそれを煽るように泡立てる。
「ん、んっ、はぁ、元譲……! あっ、ぁ……」
どこを触られても気持ちが良い于禁は、最中のような声や表情を出す。夏侯惇は触覚は勿論、視覚や聴覚も刺激されたが限界を堪えた。宣言通りに、ベッドの上で于禁を抱く為に。
「もう少し、だ……」
どうにか于禁を抑えていきながら、夏侯惇は湯で二人分の泡を流した。髪も洗うことを忘れていたので夏侯惇は、于禁にシャンプーで適当に泡立ててやってから自身にも。それも洗い流すと、ようやく浴室を出てバスタオルで拭いていく。だが于禁の体を拭いていると、下半身から我慢汁が垂れ始めていた。
なので夏侯惇は于禁の体に触れるのを止めると、自身の体を粗方拭いた後に二人はそのままベッドへと向かって行く。その足取りは、脱衣所へ向かうものよりも早い。
濃いピンク色の光に相変わらず照らされている部屋に辿り着くと、すぐにベッドの上に于禁を押し倒した。普段とは部屋の雰囲気が違うので、二人は興奮しながらキスをする。
二人は指同士を絡めながら、肌の暖かさを感じ合う。湯を浴びた直後なので、程よい感覚が互いにある。それの暖かさから熱さへと変えるべく、夏侯惇は舌を于禁の口腔内に這わせた。于禁をそれを喜んで舌で迎え入れると、じゅるじゅるという音を鳴らしながら吸い合う。
くぐもった息を漏らし、于禁はそのまま達した。腹にまでそそり立つ竿から精液が噴出し、于禁の自身の胸に飛び散る。それがピンク色の光により卑猥に光った。それを見た夏侯惇は舌を引き唇を離していく。恍惚の状態に陥っている于禁は何故、という顔をしている。しかしその顔はすぐに消えていた。
夏侯惇は先程の深いキスで、果てそうである。しかし于禁の腹の中に目一杯注ごうと我慢しているところで、于禁のその様を見てしまう。それによって夏侯惇はまずは一回目の射精をするタイミングを変えようとしていた。なので于禁の胸に先端を向けると、すぐに精液を浴びせる。
「っや、ぁあ!」
暖かな肌に、自身のものと夏侯惇の熱い精液が混ざる。その興奮により于禁は二度目の射精をしたが、それもまた自身の胸にかかった。
胸が精液に塗れ、そしてベッドのシーツに垂れていく。それを見た夏侯惇は自身のものでも構わず、唇を寄せてからちびちびと精液を舐めとっていった。眉間を僅かに寄せた後に、尖っている粒に主に舌を動かしながら。
「ぁ! はっ、あ、ん……んっ、ん……!」
夏侯惇は時折、肌まで吸うように味わうように精液を舐め取る。于禁は体をびくびくと震わせながら、甘い快楽が伝わってきていた。そしてある程度まで舐めとると、于禁の肌が精液とそれに唾液により更に卑猥な姿を見せる。眩しい程のピンク色の光がある中で夏侯惇は「そそられるな」などと呟くと、于禁は微かに「……そうでしょう」と何とか返してから誘惑していく。背中を反ってから光をもっとと言わんばかりに当て、自身の胸を見せつけるように。
舌なめずりをした夏侯惇は、口角を上げてから于禁の腹に顔を近付けた。そこにも舌を巡らせると、足の付け根をちろちろと舐める。
上を向いている竿を見ると、びくびくと震えているように見えた。夏侯惇はそれをゆっくりと口に含み、顔を上下に動かしていく。じゅぶじゅぶという音を立てながら口淫を繰り返した。それも、執拗に竿を責めている。
于禁は肌を舐められるよりもずっと気持ちが良いのか、喘ぎ声を大きくしていく。まるで、夏侯惇を煽るように。
すると口淫の最中に于禁は腰を震わせて吐精した。それを夏侯惇は喉へと流し込んでから口一杯に頬張り、最後に肌よりも強く吸い上げた。精液を残らず出していくことを意識しながら。
「は、あっ、ぁ、んあ……!」
夏侯惇が口淫から解放させたが、于禁の竿はまだ萎える気配がない。寧ろ血管がバキバキと浮き出てきていた。ピンク色の光に、てらてらと照らされながら。
だが夏侯惇のものも同様の状態であるので、そこでようやく于禁の脚を開く。尻の入口はまだ何もしていないのに、ひくひくと蠢いていた。夏侯惇からの熱を、今かと待ち侘びている証拠だ。
入口が疼いて堪らないのか、于禁は夏侯惇を早く早くと求め始める。
「元譲のちんちんを、ここに、私の、いやらしい穴にほしい……ずこずこされて、めちゃくちゃにされて、きもちよくなりたい……」
何とも卑猥な誘い言葉の数々を、于禁は続けて述べた。だが夏侯惇はそれに首を振った。
「于禁だけが気持ちよくなりたいのなら、お前が自分で慣らしたらどうだ?」
表面だけは怒っているように聞こえるが、表情はとても笑っていた。于禁の痴態を間近で見ていたいからか。
一瞬だけ躊躇した于禁だが、少しでも早く望んでいることを夏侯惇にして欲しいと思っていた。なので于禁は首を縦に振ると、夏侯惇はローションのボトルを手渡す。受け取った于禁は起き上がろうとするが、夏侯惇に止められてしまった。肩を掴み、ベッドの上に固定するように。
「その体勢でもできるだろう?」
「……はい」
命令されるように言われた于禁は、その興奮からか息を荒げながら頷く。そしてそのままローションのボトルを開けてから、手の平に馴染ませて尻の入口に宛がう。夏侯惇はその様子を、ほとんど瞬きすることなく凝視している。その中で手を震わせながら、于禁は入口に一つの指先を挿し込んだ。
「んぁ、あ……っぁ、あ、ん……」
ぐちぐちという音を鳴らしながら、于禁は指先のみを動かす。少しずつ動かす範囲を広げていくと、第一関節まで入った。その時点で既に気持ちがいいのか、于禁は我慢する気のない嬌声を出す。閉じられない口から、とめどなく。
まだ硬い入口の縁を拡げていきながら、于禁は次第に指先を大きく動かし始める。夏侯惇のものを受け入れるには、もっと縁を柔らかくしなければならない。
于禁はそれが頭の片隅にあるが、じっと見つめている夏侯惇の瞳により掻き消されつつあった。込み上げる恥ずかしさと、その目つきで存分にこの様を見て欲しいという感情が板挟みになっている。それらがせめぎ合っていると、于禁の手が止まってしまった。
「どうした?」
「っはぁ、はぁ、もう、わけが分からなくて……」
「何がだ?」
指はまだ入口に入っている。于禁はそれを一旦引き抜こうと思ったが、溜息をついた夏侯惇によりそれを阻止されてしまう。
「俺は止めろなどとは言っていないのだがな」
于禁の手首を掴んだ夏侯惇は、そのまま前後に動かしていく。入口を慣らしている手を止めている于禁は、唐突のことに驚いた。だが喘ぎ声しか出ないのか、訴えることができない。そして喘いでいくうちにその言葉の小さな欠片すら、思い出せなくなる程に忘れてしまっていて。
「あぁっ! ぁ、あ! ん、はっ、ア、あ!」
まだ第二関節まで指が入り込んだというのに于禁の背中が反り、腰が淫らに揺れる。遂には唇の端からはしたなく涎を垂れていく。于禁のその乱れる様子を、夏侯惇は更に酷くしてやろうと思った。
なので指の抜き挿しを激しくしていくと、于禁は自身の指一本が尻に入っただけで腰がガクガクと震える。それの助けもあってか、指が根元まで入ると于禁は一度達した。
またもや自身の胸に精液をかけると、于禁は呆けた表情へと変わる。しかし竿はまだ下を向いていない。夏侯惇はそれを見て掴んでいる手首を離すと、于禁に一言指示を出した。
「そのいやらしい穴に、もう一本挿れろ」
「……っ、あ……は、はい……」
ゆっくりと入口の縁に二本目の指先を触れた于禁だが、既に入っている指が自然と前立腺に触れてしまう。
射精をしたが、それでも指先を尻に入れていく。于禁の垂れた涎が緩んでいる頬を伝い、シーツへと吸い込まれていった。ようやく指先が入ると、夏侯惇は再び手首を掴んで前後に動かす。二本の指を動かしているので、じゅぼじゅぼと派手な水音が鳴った。
「ァ、あ、ん……ゃ! はぁ、あっ、あ」
関節が前立腺を掠める。その度に于禁はつま先を強張らせては、薄くなってしまった精液を大きな雨粒のように放出させた。そろそろ于禁は限界なのだろう、そう思った夏侯惇は小さな舌打ちをすると于禁の指を引き抜いた。反対に、夏侯惇は怒張が限界を迎えているのだが。
入口はまだ解れていない。それでも夏侯惇は自身の怒張を于禁の尻の入口に向けた。
「……お前は、もう充分だろう?」
到底入りそうにない縁に、先端をぴたりとくっつける。それですら于禁は快楽を拾ってしまうらしく、慣らしていない尻のことなどどうでもよくなってきていた。
「はやく、ちょうだい……」
夏侯惇は無言で于禁の腰を力強く掴むと、先端を縁にめり込ませていく。見ての通りに入る気配は無い。それでも何度も何度も先端をぐいぐいと押し込んでいった。于禁は苦し気な声へと変えていくが、先端が少しずつ入っていくとその声は消える。代わりに再び媚びるような声を漏らしていて。
険しい顔へと変えた夏侯惇だが、先端の半分が入ると口角を上げた。于禁に「もう少しだ」と荒い口調で話し掛ける。しかし法悦の笑みを浮かべている于禁の耳にはそれが届いていない。于禁は腹の奥に、夏侯惇の怒張の全てが届くことをひたすら待っている。まだかまだかと。
腰を動かすことができるようになると、遂に夏侯惇の怒張の先端が縁に埋まっていった。
「ひッ! ぁア……ぁ……!」
喜びと悲鳴が混じった声、というよりも音が于禁の喉から出る。頭の中が何色にも染められない程に、真っ白になってしまったらしい。同時に涙が溢れ、顔は于禁自身の唾液とそれに涙でぐしゃぐしゃだ。
夏侯惇が更に腰を動かしていくと、于禁は開いていた脚が自然と閉じていっている。なので完全に閉じないように脚に力を入れるが、ただ小刻みに震えるのみ。それを見かねた夏侯惇は、腰を掴んでいた手を離すと于禁の膝の裏を持ち上げた。于禁の腰には夏侯惇の手の痕が、赤く薄っすらと浮かび上がっている。
「可愛らしいことをするな」
抑えきれない興奮により、夏侯惇が于禁を褒める声音がとても強い。于禁にそれがはっきりと聞こえたが、リアクションを何も返すことができないようだ。ひたすら喘ぎ、悦びの感情を曝していた。
腰を進め、奥へと怒張が于禁の腹の中に入っていく。その度に于禁は精液とは言い難いような、半透明の液体が竿から弱く噴き出す。
腹の中はとてもよく締め付けていた。夏侯惇はあまりの狭さに苦しげな表情を浮かべるも、熱い肉に包まれて気持ちが良いのかすぐに唇の端を直角に近い程に上げる。
「んはぁ……や、ぁ……げん、じょう……」
もっと進めて欲しいと、于禁は誘うように尻を振った。それにより夏侯惇の怒張が自然と埋まっていくので、于禁は体を仰け反らせていく。
そこからは、夏侯惇は腰を大きく振った。腹の奥へは、押し込んでいけば到達するからか。ぐじゅぐじゅという音を盛大が鳴っている。怒張の先端が腹の中へと潜っていく度に、于禁ははしたない声を出す。
それを聞いていると、ようやく腹の奥に入っていった。ぐぽ、という合図にもなっている音が、于禁のへその辺りから聞こえる。その瞬間に、于禁は甲高い声を出して絶頂を迎えた。竿からは限界まで薄まった精液ではなく、透明な液体を勢いよく。
「ッひあぁ!? ぁ、んあ! あっ、らめ……! お、あ、ぁあ、……ア!」
「はっ、はぁ……ぐっ、ぁ……!」
夏侯惇はあまりの気持ちよさに、歯をぎりぎりと噛む。腰を打ち付け互いの肌をぶつけると、于禁の目の焦点が定まらなくなってきていた。すると腰の動きを止めた夏侯惇は、于禁の腹の奥に精液を満遍なく注ぎ込んだ。
全身を赤くしながら、于禁は二度目の絶頂をすぐに迎えた。主に腰を痙攣させながら。
「ぁ……あつい……ん、ぁア……あ……」
奥へと溜まっていく熱さに于禁は涎だらだらと垂らすと、竿がどんどん萎えていく。しかし夏侯惇は于禁のように何度も射精していない。なので精液を出し切った後に腰の動きを再開させた。驚いた于禁は、体をびくびくと跳ねさせながらただひたすら腹の奥に怒張を出し入れされる。
肢体はだらりとしているので、夏侯惇は于禁の腰を掴むと強く怒張の先端で腹の奥を擦り上げた。于禁の竿は萎えているが、そこはかなりの性感帯になってしまっているらしい。于禁は善がり狂った。
そして最後にと肌同士が痛々しくぶつかる音が立つと、夏侯惇は于禁の腹が若干膨れるまで射精する。そして萎えてしまったが、まだ抜く気は無いのかそのまま意識を落とそうとしている于禁と触れ合う。それに近くにあるピンク色の光など、于禁にとっては弱い光にしか捉えられなくなっている。夏侯惇は降ろそうとしている于禁の瞼に軽く口付けを落した。
二人でとても荒い息を吐き合いながら、于禁の視界が黒く暗くなっていく。
「げんじょう……」
于禁は夏侯惇の名を呼ぶが、その時の顔はよく笑っている。夏侯惇は名を呼び返しながら萎えた怒張を引き抜くと、目を閉じた于禁をひたすら見つめていたのであった。
※
于禁が目を覚ましたのは、まだ朝とも呼べる時間である。
隣には夏侯惇が眠っており、サイドチェストの上にはピンク色の光も照らすテーブルランプが置いてあった。照明は落とされているが、外見はやはり普通のテーブルランプ同様。それが昨夜のように違った雰囲気を醸し出せるので、今は普段のものに戻っている自室を見て謎の安堵をしていた。
腰の怠さを携えながらベッドから出ると、夏侯惇が目を覚ましたようだ。気怠げな声を出しながら、顔を上げて于禁に手を伸ばす。
「おはよう……」
「おはようございます……」
両者とも、声が掠れていた。于禁はまだしも、夏侯惇はまだ寝起きだからなのだろう。顔色はあまり良いとは言えない。
「今、朝食を作りますので」
「俺がやる……だが、少しでもいいから手伝ってくれ……」
于禁はずるずるとベッドから立ち上がる。すると伸ばしていた夏侯惇の手と顔が、ベッドの上へと落ちた。
だがすぐにそれらを上げると、歩き始めた于禁に着いていく。ふらつき始めた于禁の腰に手を回し、歩行の介助をしながら洗面所でのんびりと支度をする。次第に夏侯惇の顔色がいつもの様子へと戻っていった。相変わらず于禁は怠そうにしているが、それを見て僅かに微笑むと支度を終える。
二人でキッチンへと向かうと、于禁が冷蔵庫を開けた。作るものに困らない程度に食材が揃っているのは、見てすぐに分かった。夏侯惇は于禁の冷蔵庫の中身を滅多に見ない。親しい間柄であっても、それを勝手に覗くということは人間としてどうかと思っているからだ。なので冷蔵庫の中身を見て、深く感心していた。
「そこまででしょうか?」
「独身の男でここまで揃っているのは、俺としては珍しいからな」
「私の場合は、今はあまり経済的に余裕があるとは言えないので余計にです」
「……すまん」
于禁の言葉にハッとした夏侯惇は、すぐに謝罪をした。しかし于禁は気にしていない。寧ろ今の職業で生計を立てる、良い戒めの環境だと思っていた。例え前職で蓄えていた貯金があるとしても。
「それより、朝食を作りましょう。何を作られますか?」
少し暗くなってしまった場の空気を変える為に、于禁は夏侯惇に朝食を作るように促した。すると夏侯惇は、今から作ろうとしている朝食の内容へと思考が切り替わる。そしてメニューを思い付くと、于禁にそれを伝える。
于禁はすぐに頷くと主に夏侯惇が朝食を作り、于禁はそれを手伝った。
途中でふと夏侯惇のフライパンの話を思い出したのか、「フライパンを使い物にするのは止めて欲しい」と茶化す。夏侯惇はそれを聞いておかしそうに笑い、つられて于禁も笑っていたのであった。