SWEET HOME

SWEET HOME

夏侯惇が提案した同居の話だが、一時的には于禁は賛成していた。しかしその時はあまり冷静ではなかったので、自宅で書斎で一人きりになった際に考える。
夏侯惇と于禁は、職業が全く違う。夏侯惇は主に出版社に勤務して昼間に仕事をするのだが、于禁は今は小説家なので主に自宅でひたすらパソコンに向かって仕事している。昼夜など関係がないようなものだ。つまりは、二人は生活スタイルが全く違うのだ。
そこで于禁は思ったことがある。寝室を別々にしなければ、それぞれの仕事に支障が起きる可能性があることだ。その支障は主に、夏侯惇に降りかかることになるだろう。それならば、寝室が別々にできる間取りの物件でなければならない。
于禁はすぐさま夏侯惇に『同居について少し話がしたいので、仕事が終わるのはいつになるのか』という旨のメッセージを送った。現在の時間は昼過ぎであるが、退社するであろう時間までにメッセージを確認してくれるだろう。そう信じるしかなかった。しかしそれまで何もしないとい訳ではない。近い内にある予定の編集会議に向けて、提出する小説のプロットを作成し始めたのであった。
夏侯惇からメッセージの返事が来たのは、夕方になる前の頃である。内容は『七時以降に仕事が終わる』と。そこで于禁はふと思ったのだが、たまには夏侯惇と外食にでも行こうかと考えた。なので外食の誘いをしたのだが『疲れているので外食は今日は遠慮しておく。申し訳ない。帰ったら電話する』と返って来る。
朝早くからこの時間まで働いているのだから、疲れているのが当たり前だ。于禁は基本的には自宅に居る生活なので分からなくなってしまったのだろう。夏侯惇や前に自身が経験していた筈である、弁護士時代の生活リズムのことを考慮していなかったことを。
やはり同居の条件等については、しっかりと話し合わなければならない。書斎の天井を数秒仰ぎ見た後に、まだ途中であるプロットの作成の続きをしていったのであった。夏侯惇からの連絡を待ちつつも。
夏侯惇から電話があったのは、夜の八時を過ぎた頃である。その時の于禁はプロットの作成が終わりリビングのソファで呆けていたので、着信が入ると驚きながら通話を始めた。いつもの真面目な声音で。
『もしもし、どうした?』
「こんばんは、お疲れ様です。早速用件に入らせて頂きます。同居の件は後出しで申し訳ありませんが、寝室が別々になっていなければ私は貴方とは同居できません」
于禁はきっぱりと言った。するとスピーカーからは夏侯惇の長く軽い笑い声が聞こえてくる。何かおかしいことを言ったのかと于禁が慌てるが、振り返ってみると思い当たる節がない。
ようやくスピーカーから笑い声が聞こえなくなると、于禁の条件に対して夏侯惇がようやく何かの発言をした。
『そもそもお前は、俺と同じ部屋で寝るつもりだったのか? 俺はそれについてまだ話していないが、そう思ってくれていたのか……ほう』
「……ッ!?」
確かにそうだ、夏侯惇はまだ同居について話を持ち掛けただけである。それよりも細かいことについては一言も話していない。ただ于禁が一人で勝手に遠くまで、先に走ってしまっただけである。
途端に于禁は恥ずかしくなり、何も言えなくなった。スピーカーからは再び夏侯惇の笑い声が聞こえる。次に夏侯惇と会う時に、どのような顔で会えば良いのか分からなくなってきた。于禁は今でさえ、一人きりであるのに顔を伏せてしまっている。
『それであれば、俺からも同居の条件を付けようではないか』
于禁だけが条件を提示するのは不公平でしかないので、夏侯惇からの条件を黙って聞くことにした。しかしあまりにも飲めない条件であれば、断ろうとしているのだが。
『俺とお前の部屋、どちらもダブルベッドにしよう。寝る時に狭いだろう?』
「……そ、そうですね、分かりました」
案外簡単なものなので、于禁はその条件に承諾した。そこで用件は終わったので、于禁は通話を終えようとする。だが夏侯惇がそれを止めた。疲れているのにと于禁は思ったが、通話をまだ終われない嬉しさに存分に浸る。
『次の休みは、今度の日曜日の午後だ』
「分かりました」
そして互いに夜の挨拶をしてから通話を終えると、于禁は思考を赤色や桃色に染まっていく。引き摺っている恥ずかしさや、夏侯惇との予定が少しでもできたことの喜びにより。

夏侯惇の言う休日の日曜日よりも数日前に、編集会議が行われた。于禁が提出したプロットは無事に会議に通ったので、それを元に小説を書くことにする。
だがそれと同時に少し前に月刊誌に掲載されていた短編小説をまとめて、于禁自身では初めてであるハードカバーの短編集として発行することが決まった。発売は一〇月の中旬の予定。なので執筆作業と短編集についての打ち合わせを、同時にこなす必要がある。なのでそれなりに忙しかった。打ち合わせといっても発売までは何ヶ月もあるので、ゆっくりと少しずつ進めている。
まだ売れているとは言えない立場であるが、于禁はありがたいと思いながらそれらをこなしていったのであった。
そして日曜日を迎えると、于禁は夏侯惇の家を尋ねた。前日の夜に『来い』というメッセージのみが来ていたからだ。
扉を開いて施錠をすると于禁はすぐに、夏侯惇からのどろりと甘い接触を受けていたが。

外の暖かさが増していった頃である。小説を執筆しつつも、短編集の打ち合わせを同時進行していたある日の夕方前のことだ。いつものように出版社で担当編集である蔡文姫と打ち合わせを終えた後に、于禁に何か書いてある一枚の文書を渡す。
何かと于禁が見ていると、蔡文姫がそれの内容について話し出す。
「九月の下旬に弊社は創立一五〇周年を迎えるので、それの記念パーティーに出席されませんか? 弊社の関係者などが出席できるパーティーになっています。場所はその紙に書いてある通りです」
「いや、私がそれに出席す……」
「私ではなく、何かあれば、編集長にお願いします」
于禁は咄嗟に断る為にと異論を唱えようとした。自身がそれに参加などしても、意味は無いだろう。それに自身がかなり厳格な外見や雰囲気をしていることを自覚しているので、会場の誰かを萎縮させる可能性だってあるからだ。
しかし蔡文姫はまるで邪魔をするように遮ると、遠回しに『後は夏侯惇に聞いて欲しい』と言う。于禁は夏侯惇の名前などが出ると弱い。蔡文姫はそれを前から把握しているので、その弱みを突いた。
于禁は何も言わなくなった後に、首をぎこちなく動かす。答えは出席すると。その理由はやはり、この出版社にかなり世話になっているからか。
「ありがとうございます! ですが正式な招待状は後日郵送しますので、少々お待ち下さい。それでは、今日はお疲れ様でした。次回もスムーズな打ち合わせを、よろしくお願いします」
「あ、あぁ……」
するとこの後も用事があるのか、蔡文姫は机の上に置いていたファイル等の荷物を素早く纏めていく。そして椅子から立ち上がって扉に向うと、軽く会釈をしてから打ち合わせをしている部屋小さな部屋から出た。
于禁も立ち上がると、荷物を纏めてから続けて部屋を出る。その際に壁際にある照明のスイッチを切った後に、出版社を出て帰宅したのであった。

帰宅してから夕食や入浴を終えた于禁は、ベッドに横になる。まだ小説の執筆は終えていないのだが、進捗からして締切にかなり余裕があった。それに今日は出版社で打ち合わせをしていたので、ゆっくりしようと思った次第である。
今は眼鏡を掛けていないので時計を凝視した。いつもの就寝時間までには、まだ数時間はある。于禁は脳を休ませる為に何も考えず、目を閉じた。
しかし何も考えないということは、于禁には難しいようだ。前からの癖のようなものだが、つい仕事のこと等が頭を過ぎってしまう。大変良くないことだ。目を閉じ、脳を休ませたいというのに。
諦めた于禁は、スマートフォンを手に取る。自然と現在の時刻を見ると、恐らく夏侯惇は帰宅している頃だろう。あまり于禁からはしないのだが、たまには電話を掛けてみようと思った。理由は一人で居ても、仕事のことばかり考えてしまうからだ。
電話帳を開いて夏侯惇の電話番号をタップする。画面に表示されている受話機のアイコンをタップすれば、夏侯惇のスマートフォンに着信が来るだろう。一瞬だけ躊躇したのだが、于禁は思い切ってそれをタップすると、スピーカーからはコール音が鳴り始める。
于禁は心臓をいつもより少しだけ高鳴らせながら、夏侯惇が着信に出てくれることを待つ。すると五コール目で、ようやく夏侯惇が着信に出た。
「こんばんは、お疲れ様です」
『珍しいな。お前からの電話など』
スピーカーからは嬉しげな夏侯惇の声のみが聞こえるので、やはり帰宅しているのだろう。安堵した于禁であるが、そういえば何を話すのか決めていなかったらしい。夏侯惇との話題よりも、決心が頭の中を埋め尽くしていたからだ。
しばらく曖昧な返事を出した後に、創立記念パーティーのことについて大まかな案内があったことを思い出した。なので于禁はそれについて話し始める。
「あの、夏侯惇殿は創立記念パーティーには、出席されますか?」
『あぁ。出席するというより、出席しなければならないが、それがどうした? 于禁も出席するのか?』
「はい」
『それは楽しみだが……変な虫が付かないようにしなければな』
于禁は笑いながら「ご冗談を」と返すが、夏侯惇はそれを否定した。曰く、夏侯惇からしたら于禁はとても魅力的な人間らしい。于禁は大袈裟だと思っていると、夏侯惇はとある提案を持ち掛けた。
『俺と同じ香水を買って、当日にそれをつけるか?』
「いえ、それは……」
『なんだ、つまらないな』
ごく小さな舌打ちが聞こえると、夏侯惇の本気度がよく分かった。それほど夏侯惇から愛されているということが分かり、于禁としてはかなり嬉しいのだが。
その後は夏侯惇から他愛もない話題を幾つも振られ、沈黙ができる暇もなく話し続けていく。本当は直接会って話したいのだが、夏侯惇の相変わらずの多忙さに気が引けた。
『……では、また今度な』
「はい、今日はありがとうございました。おやすみなさいませ」
通話を終えた頃には、既に就寝時間前である。時間が経過するのが早いと同時に、唐突にとてつもない寂しさに襲われる。于禁も、それ程に夏侯惇を愛しているのだ。
その寂しさを胸に無理矢理に詰め込んだ于禁は、明日も小説の執筆をする為に眠ったのであった。

小説の執筆は、それからしばらく経過してから終わっていた。ちょうど、夏が始まった頃である。そして夏真っ盛りの頃に校正までを全て終わらせて、残りは印刷と流通という段階のみ。
ちなみに短編集の打ち合わせ等は、全体のうちの半分以上が終わったところである。かなり順調だ。
そしてとある暑い日に出版社に行き、短編集についての打ち合わせをしていた。外はかなり暑いが、出版社の建物に入るとかなり涼しい。寧ろ、汗が急激に引いてきている。
この日の打ち合わせが終わると、蔡文姫から「おめでとうございます」という言葉と共に新作の見本を渡される。何冊か出しているのだが、やはり見本を渡された瞬間はとても感動するらしい。于禁は丁寧に受け取ると本をパラパラと捲ってから閉じる。
文字の数々で紡がれる話がこうして本になるのは、改めて良いと思った。于禁は前からの時点で、どうしてこれの魅力に気付かなかったのかと少し後悔している。
しかし『厚み』のある話というのは、ある程度年を取らないと書くことは難しいだろう。あまり若いとは言えない于禁だが、弁護士時代に様々な人間関係やトラブルを見てきた。なのでそれもあってか引き出しが多い傾向にある。そう思うと今までの経歴を積み重ねてきたことが、決して悪くないと。
蔡文姫は于禁の様子を嬉しそうに見る。担当編集の立場であっても、一冊の本が完成して喜んでいるのだろう。まるで、自分自身のことのように。
「今回も、感謝する」
「いえ、こちらこそ。今回もありがとうございました。本当にお疲れ様でした」
鞄に見本を慎重にしまうと、于禁は礼を言ってから蔡文姫と別れたのであった。そして温度差により煮えたぎるかのような暑い外に出ると、それから避難する為にすぐに帰宅していく。

于禁の最新作が世間に流通してから少し経過した。出版社の創立一五〇周年パーティーの当日を迎える。
有名な高級ホテルの大ホールにて行われるので、場に合ったドレスコードで向かわなければならない。だがその前夜に夏侯惇が『クリスマスに贈ったネクタイを締めて欲しい』と言ったので、于禁はそれを嬉しそうに締める。
贈られてから初めて締めるそのネクタイは、まだ新品そのものだ。今は締める機会が、あまり無いからか。
時間はまだ暑さが残る夕方の四時からであり、開場はその一時間前から始まった。于禁は開場してから三〇分後にホテルに到着する。夏侯惇は既に数時間前から居るらしいので、今は于禁一人だ。
ホールの扉近くにある受付を済ませてから大ホールに入ると、とても綺羅びやかな空間が広がる。そこには人がかなり居た。なんでも広告会社や書店や印刷会社、それに于禁のように作家など多伎に渡っていた。巨大な出版社なので、そこまで様々な関係者を招待できるのだろう。
会場を見回しても、人ばかり。照明だけを見ると明るいのだが、人々の姿や影を加えると薄暗く感じる。ホール内の凝った装飾が、あまり映えない程に。なので于禁はあまりの規模に口を数秒半開きにしてから、ホールの隅で開始時間を待っていたのであった。周囲の人々の絶えない話し声を少し耳に入れながら。
パーティーが始まると、まずは代表取締役である曹操が挨拶を述べる。その後に曹操の息子である曹丕も一言の挨拶をすると、会食が始まった。
プログラムからして、二時間程は会食の時間であった。料理はバイキング形式になっており、等間隔に配置されている大きな丸いテーブルに着席して食事を取ることになっている。席は自由なのだが、食事を楽しむグループができつつあった。
この場で見る限りでは于禁の知り合いは居ない。それでも場の空気に合わせる為に、食事を適度に取ってから空いている席に座る。夏侯惇は恐らく、曹操と共に行動しているので会えないと思った。それに担当編集である蔡文姫は、関係者との歓談で自身と話す暇も無いのだろう。
溜息をついた于禁は一〇数分の間、ゆっくりと食事を取り始める。するとしばらくしてから、ようやく夏侯惇の姿が視界に入った。遠くからでしかないが、夏侯惇は席から立ち、シャンパングラスを片手に持って誰かと楽しげに話している様子である。
あまりそれをじろじろと見るのはよくないと思いつつも、于禁は見てしまった。しかし夏侯惇の会話相手は数人の着飾った女性である。于禁は思わず掛けている眼鏡をくいと上げた。
于禁の中で、何か黒いものが渦巻いた。完全に嫉妬の感情だと分かったのだが、それを表に出してはならない。だがどうしてもそれを見てしまい、嫉妬が風船のようにどんどん膨らんでいってしまう。
するとこれ以上は自身にとって良くないと、于禁は思ったらしい。なので食事を全て平らげた後に具合が悪いと途中で抜けてから、会場から出たのであった。夏侯惇からプレゼントされたネクタイを締めている姿を見せたかったというのに。
外はもうじき日が暮れる。暑さは昼と比べるとあまり無いので、自然と体を震わせてからスマートフォンをふと見る。そこには数分前に夏侯惇からメッセージが来ていた。内容はとても簡潔であり、他の高級ホテルの名前と部屋の番号、それと于禁の名をフロントに告げれば良いという文章だ。その指定されたホテルに来いということだろう。
すぐに機嫌が元に戻った于禁は、了解という短い返信をした後に目的のホテルへと向かって行く。場所は現在の地点から少し距離はあるものの、歩いて行ける距離である。なので空は暗くなってきても夜明けまでは光り続ける街を見てから、軽い足取りで歩いて行ったのであった。
ホテルの広いロビーまで到着した。先程のホテルに負けないくらいに、内装が綺羅びやかだ。恐らくここと先程のホテルは、ライバル同士なのだろうと于禁は想像する。
于禁は自身の名と部屋の番号をフロントに伝える。するとすぐに部屋の鍵を渡されてから、ホテルマンがその部屋まで案内する。于禁はホテルマンに着いて行き、エレベーターに乗った。ホテルマンが押した数字は最上階に近いものである。
ホテルマンも于禁も何も喋らないまま、その階層まで辿り着いた。エレベーターから出ると、いかにも高そうな絨毯が敷いてある長く広い廊下を歩いて行く。左右の長い間隔に、部屋の扉があった。
このような場所は慣れていないという訳ではないが、仕事以外で訪れたのは初めてである。于禁はいつもとは違う目的を持って今更、違和感を覚えながらホテルマンの後ろを着いて行った。
そして鍵を使うことができる角部屋の扉の前に着くと、ホテルマンは丁寧にお辞儀をしてから去って行く。于禁は渡された鍵で扉を解錠した。
室内には常夜灯が点いているので薄暗い。部屋の照明のスイッチを探すと、分かりやすいデザインで壁に配置されている。部屋の照明を点けると、目の前に落ち着いた色合いのリビングであろう広い空間が見えた。窓はカーテンが閉められているが、開けたら夜景がよく見えそうだ。横には扉があり、寝室であろうと于禁は想像する。
しかし寝室の部分に入ることはなく、リビングの部分に設置されているソファに座った。自宅のものよりも遥かに柔らかかったのか、体が大きく沈む感覚に于禁は驚く。クッションのあまりの低反発さに、于禁は体を子供のように跳ねさせてしまう。
「柔らかい……」
一人きりでぼそりと呟くと、座り心地の良さに眠気が襲ってきたらしい。先程のパーティーで食事をしたからか。なので于禁の鋭い目が次第に弱くなっていくと、そのまま夢の世界へと入っていったのであった。
夢を見ている途中で、唇に何かが触れたような気がした。そこで目を覚ますと目の前には夏侯惇が居て、笑っている。寝ぼけているが「似合っている」という言葉が微かに聞こえた。
「夏侯惇殿……?」
「よく眠れたか?」
「はい……って、申し訳ありません! 眠ってしまいました!」
立ち上がった于禁は謝罪をした。しかし夏侯惇は腕を組むと、何かを考える素振りを見せる。何だろうと思っていると、夏侯惇が于禁の手を取ってから引く。
「このようなやりとりは時間の無駄だ。早くシャワーを浴びるぞ」
夏侯惇はそう言って于禁が掛けている眼鏡を取り上げ、テーブルの上に静かに置く。
「えっ……? あっ……」
最初は夏侯惇の言葉の意味の、ほんの表面を拾った于禁である。だがよくよく考えて内側まで知ると、于禁の顔が熱くなっていく。ようやく理解した于禁は顔を俯いてから、小さな声で返事をする。ここは二人きりであるのでその小さな声を夏侯惇が拾うと、二人はシャワールームへと向かって行った。
脱衣所に入るなり、二人はすぐに唇を寄せた。于禁はパーティーで作ってしまった嫉妬の念を流そうとも思ったが、夏侯惇の舌によりその思考はすぐに消え去ってしまう。
されるがままの于禁は、夏侯惇にスーツを脱がされていった。対して于禁も夏侯惇のスーツを脱がせていく。
全て取り払うと、唇を一旦離してからシャワールームに入った。シャワーコックをひねると、すぐに熱い湯が出る。二人は向かい合って抱き合い、それを全身に浴びていく。飽きもせずにシャワーの湯よりも熱いキスをしていきながら。
「ん、んぅ……う、んっ、んん……!」
体を密着させると、互いの下半身がよく反応していた。それを夏侯惇は押し付け合い、時には擦っていく。
気持ちがいいのか、于禁は溶けるような顔ですぐに達してしまいそうになる。しかし夏侯惇はそれを強く握って阻止すると、唇を離してからシャワーを止めた。
「まだ、それはお預けだ」
「そんな……」
于禁に絶望と快楽に負けた表情が混じる。夏侯惇はそれを面白げに見るが、反論は許さないようだ。
「記念パーティーを途中で抜けたことと、俺がここに来るまでに寝ていた罰だ。ベッドの上でたっぷり仕置きしてやるからな」
体調が悪かったと嘘の言い訳をしようとしたが、夏侯惇には完全に嘘と見抜かれていたらしい。体調が悪いという事が真実であれば、夏侯惇はこのようなことを及ぶ訳がない。于禁は口付けにより返す言葉が見つからないまま、夏侯惇に引かれてシャワールームを出る。
脱衣所に置いてあるアメニティのバスタオルを、二人は雑に肩に掛けるとリビングの部分に出た。床が濡れることを気にせずに、夏侯惇は寝室の部分の扉を開ける。
夏侯惇が部屋の照明を点けると、白いキングサイズのベッドが一つだけあった。そこに于禁を乱雑に放り投げた後に、夏侯惇が覆い被さる。
ベッドからは、大きく軋む音が一つ聞こえた。
「于禁……」
ただ名を呼んでから軽い口付けをした。そこから顎に降りていき首に到達すると、大きな喉仏にも軽い口付けをする。于禁は擽ったさと少しの気持ち良さ、それに愛しさの感情が湧いて混ざり合った。
「うぁ……ん……夏侯惇殿っ……」
手足は自由なので于禁は夏侯惇の背中に手を回し、肩甲骨の辺りにまで伸ばす。しかし夏侯惇はそれを解くように唇を喉仏から鎖骨に降りていき、胸にまで到達した。于禁の手が自然と夏侯惇の頭に触れる。
髪はまだしっかりと濡れているが、于禁はそれでも髪を梳くように撫でていった。
「すき……すき……」
平時の于禁の相手を威圧するような目付きなど、今はもうどこにもない。溶けた顔を維持し続けている。
とても短いのだが好意を伝える際に適した言葉を、夏侯惇に媚びるように連呼する。夏侯惇はそれに応じるように、胸に大きなリップ音を立てながら鮮やかな痕をつけていく。それは一つだけではない。何度も何度も、リップ音が鳴っていた。
夏侯惇が唇を離すと、胸につけられた幾つもの新しい痕が于禁からよく見えた。
先程までの于禁の体には、夏侯惇から施された痕が一つも残っていなかった。なのでとても嬉しそうにしながら、口角を上げる。やはり痛みよりも、嬉しさが大きく上回っているからか。
「四つん這いになれ」
「はい……」
于禁は背中にも痕をつけて貰えると思い、喜んで四つん這いの体勢になる。背中に夏侯惇が素早く伸し掛かると、限界を迎えている下半身に手を伸ばした。それを、手の平で包んでから扱いていく。
予想とは違った行動をしたので、于禁は勝手な困惑を作りながらも自然と腰を振る。
「っは、ぁ、んっ……あ、ぁ」
竿は思ったよりもぬるついていた。それを潤滑油にされていきながらごしごしと扱かれていくと、于禁は射精しそうになる。だが夏侯惇はそれを察して扱く手を止めてから離す。
「やぁ……! なんで……」
「仕置きと言っただろう?」
理性は全て飛ばしてしまった于禁は夏侯惇に「イきたい」と懇願した。しかし夏侯惇は慈悲なく首を横に振ると、自身の下半身を扱いていく。そして片手の平に精液を受け止めると、それを指先に絡ませてから于禁の尻に持って行った。
入口に指先を立てるが、今はしっかりと閉ざされている。最後に体を重ねたのはいつだったか思い出した夏侯惇は、軽い舌打ちをした。
于禁の尻が誘惑するように揺れている。肉付が良くハリがあるので、夏侯惇は空いている手でそこを揉む。
「ひ、ぁ!」
「大人しくしていろ」
忠告を表す為に、夏侯惇はもう一度尻を揉んだ。于禁は曖昧な返事をすると、夏侯惇は尻を指で解し始める。
解す作業など何度も何度もしているので、慣れていた。スムーズに尻を解すと于禁の入口の縁が収縮してくる。まるで腹を空かせながら、夏侯惇の逸物を早く食いたいと言っているようだ。
夏侯惇はそれを見てすぐに天井を見ている逸物を、于禁の卑猥な受け入れ口に向ける。そして何も言わずに挿し込んでいくと、于禁は待ち侘びていたのか悦びの声を上げた。しかしその際に夏侯惇に竿を強く握られてしまい、苦悶の声に変わっていく。
「気持ちいいか?」
わざとらしく夏侯惇がそう聞くが、于禁は頭をフルフルと振った。夏侯惇はそれを無視すると、逸物をより深くまで挿入していく。
「……ぐぁ、あ! ゃ、イきたい、からぁ! はなして!」
「駄目だ」
尻の中は夏侯惇としてはやはり、名器としか言いようがなかった。これを自身で独占できるのは、とてつもない優越感がある。中の肉が蠢いて逸物を包むと、ぎゅうぎゅうと締め付けていく。濃い精液を欲しているかのように。
だがまだ根元までは入っていないので、奥へと押し込んだ。逸物が全て収まると、とてもいやらしい光景が出来上がる。
于禁は呻き声を上げ、指先で強くシーツを握りしめた。長く濃い皺ができており、影のようだ。于禁の体は震えており、肩甲骨が大きく張っている。それを見た夏侯惇は、肩甲骨に唇を寄せた。
「そこまで良いか?」
煽るように問い掛けると、于禁はまたしても否定の動作をした。溜息をついた夏侯惇は腰を揺する。于禁の体が大きく跳ね、無理矢理に喉から嬌声が出た。
「ひ、ぁ、あ! ァ!」
だが竿には夏侯惇の手で戒められているので、于禁は頭がおかしくなりそうな程に混乱していく。凄まじい快楽を受け、精液を放出したいのに出せないせいで。
それを背後から見ていた夏侯惇は、何だか楽しくなっていた。なので逸物をより押し込み、奥のくびれのあたりまで到達させる。于禁のへそのあたりから、ごぽりという今では聞き慣れた音が聞こえた。
「っぁ!? ひゃぁ! ぁ、お、ん、ぁあ!」
より狭い場所であり、夏侯惇も限界がきていた。なので強く打ち付けるように激しいピストンをすると、やがて精液をぶち撒ける。
于禁は尻を犯されたこと、それに熱い精液を注がれたことにより一時的に頭も体も雌に変わっていった。しかし竿はまだ自由になっていないので、完全には満足していない。
夏侯惇はもう一度ピストンをして二度目の射精をすると、ようやく竿から手を離した。そこで逸物を引き抜く。中に出していた精液がどろどろと放流されていった。
「やぁ! ぬかないでぇ! ずこずこして、イきたいかららめぇ!」
「騒ぐな」
赤くなっている背中に向けてそう言った夏侯惇は、于禁の体勢を変える。仰向けにさせると、涙や唾液でぐちゃぐちゃになっていた。だらしない顔であるが、夏侯惇にとっては可愛くて仕方ないらしい。
一度唇を軽く合わせてから、膝裏を持ち上げた。そしてもう一度、逸物を性器となってしまっている入口に挿し込む。
「ほら、……イけ、よ!」
「……ッぁ、お!? あぁ!」
一気に奥のくびれのあたりまで突き上げると、于禁は衝撃でも与えられたかのようにすぐに達した。精液を自身の胸にまで掛け、夏侯惇が施した痕がほとんど隠れる。
だがまだ二人の下半身は萎えていないので、夏侯惇は再びピストンをしていく。まるで動物の激しい交尾をしているかのように、ベッドからは悲鳴が上がる。于禁の嬌声も、それに負けないくらいに出ていたが。
ようやく二人の下半身が萎えると、夏侯惇は放心状態になりつつある于禁と唇を合わせた。意識はまだあるらしいが、体が上手く動かないらしい。既に掠れてしまった声で、小さく謝る。夏侯惇はそれを全く気にしていないのか、腰のあたりにバスタオルを敷いてから中に出した精液を掻き出す。
何度も精液を流し込んでいたので、尻からは大量に流れてきていた。縁は何度も擦っていたのか、ほんのりと赤くなっている。
「気持ちよかったか?」
「ふっ、ぁ……はあ、ん……」
于禁の表情が元に戻らない。それに尻に指を突っ込まれたので、ただ吐息混じりの声を出す。返事をまともに出せないので、そのような声を代わりに出したらしい。
精液を一通り掻き出したところで、夏侯惇は于禁の体を支えてから立たせる。そしてバスタオルを持ってシャワールームに向かうと、于禁の体を丁寧に洗っていったのであった。自身の体も、そうしていたが。
シャワールームを出てから夏侯惇はアメニティのバスローブを羽織ったが、于禁は何も着る気はないらしい。それでも夏侯惇は、于禁の分のバスローブを持って寝室に戻って行った。
ベッドに于禁を横に寝かせてから、夏侯惇もベッドに横になる。するとすぐに于禁が夏侯惇に抱き着く。行為の直後のこともあって、肌はとても熱かった。
そこで夏侯惇は何かを思い出したらしい。于禁を抱き締め返してから、話し掛ける。
「そういえば、具合が悪かったというのは嘘なのだろう?」
「…………」
于禁は黙っていた。嘘をついていたという証拠である。夏侯惇は少し考えた後に、本当の理由を当てずっぽうで答える。
「もしや、俺が会場で誰かと話していたのを見て、嫉妬でもしていたのか?」
「そ、そんな訳……!」
「そうなのだな」
于禁はとても分かりやすいリアクションを取った。大きく慌てていたのだ。それで本当の理由が判明すると、夏侯惇はまだ濡れている于禁の髪をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「全く、お前は可愛らしいな」
「ですから、違うと言っているでしょう!」
「仕方ないな、だったらそういうことにしておいてやる。仕方ないな」
頬を膨らませた于禁は、夏侯惇に抱き着くのを止めた。そして夏侯惇に背を向け、拗ねている様子を見せる。
そういえば、背中にも痕をつけていないと夏侯惇は思い出した。なので背中から抱き着くと、そこに軽く痕をつけていく。于禁は一瞬だけ体を震わせ、耳を真っ赤にしていた。夏侯惇の方へは振り向いていない。
「すまんな、これで許してくれないか?」
「……仕方ないですね、それで許しましょうか」
夏侯惇は自身でつけた痕を見た後に、部屋の照明を落とす。そして于禁に「おやすみ」と言ってから、眠っていく。すると入眠する直前に于禁の「おやすみなさいませ」という言葉が聞こえたので、夏侯惇はずっとこうしていたいと思っていたのであった。

一〇中旬になり、いよいよ短編集が発売された。今の于禁は幸いにも、書店で作家名を見かけていないということにはなってない。つまり、処女作から絶版になっていないのだ。
発行部数は良い方なのだがしかし、大ヒットしている訳ではない。いわゆる、小さなものからせいぜい中くらいの弾を的確に命中させている。于禁はそれを頭の片隅にいつも置いており、ほんのたまに思い出していた。だがどうもがいても、大ヒットを成すことはできない。
悔しさはあるものの、作家としてはまだ駆け出しだ。なのでこれから経験値を積めば良い、そう思いながら于禁は昼間に自宅の書斎で思いついた事柄を整理していた。今は何かを執筆している訳ではないからか。
それに加えて夏侯惇との同棲について、ゆっくり考える時間ができた。ノートに様々な文章を書き終えた後に目を閉じ、自身の今の社会的なステータスについて考える。
まずは今の職業は小説家であるが、大きく売れてはいない。前職は弁護士であるが、それよりも収入は下がっており安定していない。大きく困っている程ではないが、今の状態がもどかしいので抜け出したいと思っていた。
そこで思ったのだが、夏侯惇と同棲するとなれば家賃は勿論折半である。だが夏侯惇のことだから気を使って安い物件を提案するか、割合を妥協してくれるかのどちらかだろう。さすがに経済的に甘えるのはよくないと考えた于禁は小説家として努力すること、それに安定した収入を得ることを考えた。
弁護士の資格を活かした仕事をしてみるのも良いが、前職の仕事仲間と会ってしまったらと思うとどうにも気まずい。なので他の方法を考えた結果、とあることを思いついた。そう、今は小さくても良いのでマンションを建てて家賃収入を得ることだ。
今までの貯蓄や入ってきたがあまり使っていない印税を合わせても、建てられないことはない。前職でマンションの建設に関連する相談を、何度か受けていた。大まかな相場は知っている。
なので于禁はマンションを建てることを決めたのだが、それはとてつもなく大きな買い物をすることになる。夏侯惇にそれを話したら、納得をしてくれないだろう。今は仕事が無い于禁は、夏侯惇を納得させる為の資料を作っていったのであった。それにとあることも考えたのだが、考えるのは先で良いかと思った。なのでそれについては一旦保留する。
資料の作成には一週間も掛からなかった。しかしその間の夏侯惇は忙しかったのか、あまり連絡は取れていない。しかし金曜日の昼間に、夏侯惇から『明日と明後日は休みだ』というメッセージを受けた。なので于禁は『その二日のどちらでも良いので来て欲しい』と返信する。
その後は夏侯惇は忙しかったのか、返事は無かった。だが就寝前の、日付が変わる前に夏侯惇から『お前さえ良ければ今から来る』と連絡が入る。于禁はそこまで無理をしなくてもいいだろうにと思ったが、まずは夏侯惇に会いたい気持ちがある。
なので連絡を確認した直後に、夏侯惇が合鍵で于禁の家に入った。于禁は玄関へと急いで向かうと寝間着姿にも関わらず、あまりの嬉しさに夏侯惇へと抱き着く。
「夏侯惇殿……会いたかった……」
「どうした。一週間程だけ、会っていないだけだろう」
夏侯惇は笑いながら于禁の背中をポンポンと叩く。しかし声も仕草も、全てが疲れ切っていた。それを察した于禁は夏侯惇から体を離す。
夕食は会社で済ませたらしい夏侯惇は、あくびを漏らす。于禁は資料を見せるのは明日にしようと思い、夏侯惇をなるべく早く休ませようとすることにした。
「……お背中を、流しましょうか?」
「あぁ、それでは頼む」
于禁は既に入浴していたので、脱衣所に向うと夏侯惇のスーツを脱がせていく。すると途端に心臓が高鳴り、顔が熱くなる。行為をする訳ではないのに、今から始めるような感覚に陥ってしまったのだ。
ジャケットを脱がせてネクタイを外した後、ワイシャツのボタンに手を掛ける。だがなかなか外せずに、于禁は何度も何度も苦戦をしていた。そのところで無言であった夏侯惇が于禁の手を止める。苛つきの色が、夏侯惇の顔に浮かんでいるのが分かった。
「……もういい」
「ですが……」
「もういいと言っている」
「はい……」
于禁は自身でも分かるくらいに表情が沈む。それをどうにも変えられないまま、寝室へととぼとぼと歩いて行った。
于禁が寝室に戻ってからベッドの上に横になる。夏侯惇は疲れているのに、余計なことをしてしまったと後悔していた。部屋には照明が点いているがそれが邪魔に思えると、消してから部屋を真っ暗にする。
そして明かりが何も無い部屋で、于禁はしばらく布団に包まっていた。
眠ってはいないので、夏侯惇が寝室に入って来たのは分かった。だが謝罪しようにも、夏侯惇が怒っている気がしてできない。なので寝ているふりをしていると、夏侯惇がベッドに静かに乗り上げた。
「……于禁」
夏侯惇がそっと話しかけてくるが、于禁は反応しないでいる。もう一度夏侯惇が話しかけても、于禁の反応は同じ。少し考えた夏侯惇は呟く。
「于禁、お前、寝たふりでもしているのか?」
「そ、そのような訳が……あっ……!?」
于禁はがばりと起き上がってしまったが、まずいと思った。暗闇から夏侯惇の笑い声が聞こえると、于禁に向けて優しい手付きが向かって来る。そこでようやく、于禁は夏侯惇に謝った。
「……申し訳ありません」
「俺も先程はすまなかった。だが、お前の狸寝入りでおあいこだ」
両手が于禁の体に触れると、夏侯惇はすぐに抱き寄せた。そして指で于禁の体の至る場所を探すと、顔に触れる。直後に夏侯惇の唇が顎を這っていった。
于禁は擽ったいと思いながらも、夏侯惇の顎を手で掬い上げてから唇へ誘導していく。
「お疲れでしょうから」
夏侯惇が甘い吐息を出していることに気付いた于禁は、それを唇で塞ぐ。そして二人は濃厚な口付けをしながら、互いの熱い肌に溺れていったのであった。

「……かなり体が痛いのですが」
翌朝、于禁はベッドの縁に座り体の痛みを訴えていた。だが隣に座っている軽装姿の夏侯惇は「気にするな」などと言って話をぼかそうとする。それでも于禁は訴え続けていると、夏侯惇は話題を無理矢理にすり替えた。
「そういえば、俺への用事は何だ?」
眼鏡を掛けてから、夏侯惇を軽く睨んだ于禁は溜息をつく。夏侯惇に話さなければならないことがあったことを、忘れかけていたからだ。それの原因を主に夏侯惇のせいにしながら、于禁は用件を話した。
まずは同棲について改めて話し、それから自身の経済的なことを全て包み隠さず話していく。夏侯惇は何も言わずに聞いており、きちんと相槌を打っている。
そして最後にマンションの建設について、理由や見込みを説明していった。その際に資料を渡すが、かなり膨大なものである。唐突であるので夏侯惇は何から驚いたら良いのか、分からなくなっているらしい。
なので于禁が最初に話したことを簡易的に再び話すと、夏侯惇の驚きは減った。だが于禁の予想通りに、マンションの建設について意見を述べていく。
「……俺ではなく、専門にしている者にまずは相談したのか?」
「いえ、全て私の独断です」
きっぱりと言うと、夏侯惇は口を半開きにした。渡された資料はかなり本格的なものであり、それを見る限りでは相当な覚悟と考えがあるのだと夏侯惇は思ったらしい。なので観念したように頷く。
「そのようなことの専門外の俺からは、助言しかできない。しかしお前がすることは応援しよう」
「ありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。ですが……私がこのような状況ですので、情けない恋人に見えるかと思いますが……」
次第に于禁の表情が沈んでいく。先程まであった、信念の強い顔はどこかに消えているのだ。それを見た夏侯惇は、穏やかな雰囲気で于禁が情けない恋人ではないことを話す。
「何を言っている、どこか情けないと言う? 今苦しいことを正直に話し、そして考えて努力しているお前の、どこがだ? 俺はそのようなお前が好きだから、情けないなどと言うな」
困惑や恥ずかしさに、于禁は夏侯惇を直視できなくなった。夏侯惇は溜息をつくと、場を明るくする為に「では俺の好きなところはどこだ?」と問い掛ける。于禁はチラチラと夏侯惇の方を見ながらも、迷いなく答えた。
「優しいところです」
すると笑みを浮かべられた于禁は夏侯惇にもたれ、夏侯惇は于禁の頭を撫でた。
そうしていると、于禁はまだ話していないことが一つだけあることを考える。やはりまだ先のことであり、今話してもどうにもならないだろう。だが、こうして夏侯惇とまだ分からない先のことを話すのは楽しいと思えた。なので于禁はそっと口を開く。
「……貴方にもう一つ、話がありまして」
「何だ?」
頭を撫でる手が止まり、于禁も夏侯惇にもたれるのを止める。しかし腰に痛みが走り、険しい顔をした。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。それより、話というのは……」
于禁が考えていたことというのは、何年先でも構わないので二人で一軒家を買って住もうということ。それにその前に建設したマンションである程度の期間、于禁の収入が安定するまで過ごすということ。それらについてはかなり自信無さげに話していった。聞いている夏侯惇の反応は、やはりきちんと相槌を打つことのみ。
不安が広がったまま話し終えた于禁だが「嫌であれば、聞かなかったことにして頂ければ」と言葉を加える。それに対して夏侯惇は答えた。
「少し、考えさせて欲しい。そのようなことは、考えたことが無かったからな……」
「ゆっくりで構いませんので、返事をお待ちしております」
恐らく断られるだろうと考えた于禁だが、すぐにそれをどこかへとしまう。そして夏侯惇と他の話を始めていったのであった。明るく軽い話題を、次々と。

 

 

 

 

その次の週に于禁はまずは空いている土地を調べ始めた。不動産会社やインターネットでの検索、それに自ら歩いて探すことである。かなりの数が集まったのだが、そこから厳選していくことが大変であった。
そもそも于禁が建設しようとしているマンションというのは、一人〜二人の世帯向けのものである。そうなると、まずは駅から近い方が良いだろう。
膨大な数を、駅から徒歩で何分と細かく分類していった。徒歩で三〇分以上は論外であるので、それらは切り捨ててより少なく厳選していく。それから妥協として徒歩で二〇分と一〇分のものを絞っていった。
次に周辺地域の治安について考えるが、それに関しては実際に歩いてみなければ分からない。なので于禁は平日の朝昼晩と、休日の朝昼晩にそこを歩いてみることにした。
その間に、近い内に開かれる編集会議に提出する為のプロットを書くこともしなければならない。一気に忙しくなった于禁だが、事前に思いついていた文章をノートに書き起こして整理してある。なのでそれを元に、五本のプロットを蔡文姫にデータで送った。
于禁は編集会議の結果を待ちながら、幾つかの地域を平日の朝と昼と夕方に実際に歩いて調べる。だが全部で六箇所あるので、週に三回の頻度で歩いた。どこの地域もそれぞれ違う雰囲気や特徴があり、于禁は全てを細かくメモしていく。
夏侯惇にそのことを事前に話していたので、夜は退勤時の夏侯惇と共に歩いた。于禁はまたしても熱心にメモしていくが、夏侯惇は于禁のその様子をただ見るのみ。それも夏侯惇の休日前夜の度にだが、ついでに飲食店で夕食を取る。すると毎回のように、夏侯惇は于禁をラブホテルへと連れて行ったのであった。于禁はそれに、控えめに頷いていたが。
そして休日には夏侯惇と散歩でもするように、朝昼晩歩いていった。しかし夜の時間帯の実地調査が終わると、寄り道などせずに夏侯惇の家に連れられていく。家に入るなり、互いに熱い口付けをしていった。
「ッ……夏侯惇殿……!」
「早く脱げ」
「はい……」
于禁は素直に指示に従うと、ここは玄関だというのに服を次々と脱いでいく。最後に下着のみになったところで、興奮していることが丸分かりである。夏侯惇はそれを見るなり、いやらしい手付きで揉んでいく。
腰をカクカクと揺らした後に、于禁は達したようだ。
「ん……ふ、ぅ、あ……ぁ、ん……!」
すると下着を汚してしまった于禁は、自ら下着を降ろした。白い粘液がどろりと付着しているが、于禁は恥ずかしかる等のリアクションを見せない。寧ろ夏侯惇も同様の状態にさせようと、服を脱がせていった。
「貴方のは、私が、しますので……」
今にもふやけてしまいそうな顔で、于禁は夏侯惇を下着まで脱がせていく。しかしそこで、夏侯惇に腕を引かれてそのままシャワールームに押し込まれた。
タイルや壁は冷たいので夏侯惇が壁にすがると、その自身の体の上に于禁をすがらせる。夏侯惇はあまりの冷たさに顔をしかめたが、于禁がすぐに下着の上から下半身を弄りながら口付けをした。なので浴室の冷たさなど脳がすっかりと忘れてしまい、与えられる快楽を愉しむ。途中で、熱い湯を二つの体に掛けていきながら。
だが于禁はそれだけではつまらないと思ったらしい。甘い吐息を吐いた于禁は膝を折ってタイルにつけると、夏侯惇の下半身を口に含み始めた。
「んっ、ぶ、んう、う……んん、んっ、ん」
くびれや裏筋を舌で丁寧に這わせていく。夏侯惇はあまりの気持ち良さに射精をしそうになったが、まだこの感覚を味わいたいと耐えた。一方で于禁はまだ口腔内に熱い粘液が流入してこないので、じゅるじゅると逸物の全体を吸い上げ始める。
さすがにそれには耐えられないのか、夏侯惇は短い呻き声を上げた直後に于禁が待ち侘びていた粘液を吐き出す。于禁はそれを、ほぼ全て喉に流していった。
「は、んッ、はぁ……」
「……っは、随分と、上手くなったものだな」
夏侯惇は腰のあたりにある頭を撫でると、于禁は目を細めてからうっとりとした顔をする。唇の端からは飲み切れなかった精液が垂れたので、唇を離してから舌で舐め取った。そしてもう一度夏侯惇逸物を咥えようとしたが、しゃがんだ夏侯惇に顎をやんわりと掴まれて阻止される。
「お褒め頂き、ありがとうございます……」
口角を緩やかに上げた于禁は、夏侯惇の手を取った。しかし目線は夏侯惇の顔ではなく、下半身の方に向けている。それを知った夏侯惇は、笑いながら掴んだ顎を上げた。
「俺の方を見ろ」
唇を無理矢理に奪い、舌を強引に絡め取る。自身の精液の味が広がったが、今はその不快感などはどうでもいいと思っていた。それよりも、于禁ともっと深く繋がりたいらしい。
なので于禁の腰が砕けるまで口付けをしていくと、そのまま浴室の中で目一杯に于禁を鳴かせたのであった。

それから少し日にちが経ってから、編集会議が開かれた。結果二本が通って厳選された後に一本が採用され、出版社から小説の執筆の依頼が入る。なのでそれを元に、まずは小説を書き始めた。
とある昼間に半分まで小説を書き終えたところで、夏侯惇からメッセージが入った。今夜来ても良いかという内容であり、于禁は勿論イエスと答える。そしてメッセージアプリを閉じた于禁は、途端に時計を頻繁に確認していたのであった。
夜の九時前にくたびれたスーツ姿の夏侯惇が家に訪ねて来る。疲れた顔をしているので、于禁はリビングに通しながら「あまり無理をなさらずに」と言う。しかし夏侯惇は首を横に振った。
「この前のことについてだ」
「この前?」
「……お前が言っただろう? 一軒家を建てるということについてだ」
于禁はそれを聞くと、やはり断られるだろうと思い緊張してきていた。今は小説を執筆しているので、忘れかけていたのだろう。
今更だがまだ夏侯惇と付き合って浅いというのに、あまりにも重い提案である。同棲ならば、付き合っていれば思いつくことだが。
「そ、それは……」
「俺はいいぞ。だが、お前の収入が安定してからが条件だ。それを満たさなければ、俺はお前との一軒家を建てることについては一切考えないからな」
「夏侯惇殿……」
承諾してくれたことに、于禁は鼻の奥がじんわりと痺れる。夏侯惇の提示した条件だって、かなり優しいものである。
于禁は自然と夏侯惇に抱き着くが、力が抜けてしまったのか体重ごと負担を掛けてしまう。夏侯惇は声さえも疲労で満ちているのか「重い」と言っているが、于禁を振りほどく気配がない。寧ろ必死に支えている。
「……いつになるか分からなくとも、俺はお前を待っている」
夏侯惇は于禁との将来を見据えていることがよく理解できた。そのあまりの嬉しさに、于禁は刹那的に何も考えられなくなる。
「はい」
短い返事をすると、于禁は夏侯惇から離れたくなくなった。体の全ての重心を預けてしまっているが、それでも構わずに夏侯惇を抱き締める。
そして二人は「楽しみだ」と言い合い、嬉しそうに笑っていたのであった。先など全く見えない将来であっても。

 

十二月になり、于禁は執筆していた小説を書き終えた。数日寝かせてから推敲するのだが、その間にマンションを建てる土地を決めていった。
実際に歩いてからある程度の数にまで絞っているので、そこから一つに絞っていく。建物とは場所が一番重要であるので、慎重に決めなければならない。なので建設地の幾つかの候補を比較し、じっくりと考えた。
そして一応は建設予定地が決まったものの、やはり不安である。なので一つに決めた地域に再び足を運び、もう一度自身の目で見に行った。
悩んだ末にそこに決めると、早速土地を抑えてから建設を依頼する建設会社を選ぶ。しかしそれは既に決めていた。不祥事などを起こしていない建設会社を何社かリストアップしていたので、そこから一番規模の大きな建設会社に決める。前職からとても信頼の置けると思っていた建設会社を。
建てるマンションの主なターゲット層や間取りまでも決めていたので、依頼をした建設会社にそれを大まかに伝えた。
そうしている間に、小説の推敲を始める。個人的な事で忙しい于禁だが、手を抜く訳にはいかない。なので全ての集中力を使い、二日にかけて推敲を終わらせた。そして出版社に提出する。
出版社からの校正待ちをしている間に、建設会社と細かい話し合いを何度もした。図面を引いて貰ってもいた。だがそこで詳細を決めていくうちに、予算が足りないことが判明してしまう。どこかから金を借りるという手段がある。しかし悔しいことに于禁の現在の職業からして、銀行から金を借りることはできない。支払い能力が無いと断定されてしまうからか。
なので于禁はそれについてはどうにもできなくなると、一旦保留にして欲しいと詫びを入れたのであった。予算は事前にある程度の予想していた筈だというのに。
于禁はかなりのショックを受けた。それに、最近は夏侯惇と会えていないので尚更。夏侯惇に慰めて欲しいという訳ではないが、ただ会いたかったのだ。部屋で一人で、ベッドに深く沈んでいたのであった。
それから何とか執筆を終えて自身で推敲した小説校正が入り、何度も何度も修正してから一月の終わりにようやく本が発売された。しかし偶然と言っていいのか分からないが、それが于禁にとっての初めての大ヒット作となる。発売直後はいつも通りの発行部数であった。だが突然に売り切れが続出して、増刷を何度もかけられて発行部数が急激に伸びる。それは二ヶ月に渡って続いた。
要因はSNS等での評判が良かったからだという。なんでも、とあるインフルエンサーが紹介しただけで注目を浴びたかららしい。紹介された内容というのは『現実的で濃厚な人間関係なら成り立つ話』だというものである。
于禁は夢かと思ったが、久しぶりに会った夏侯惇に何度も「夢ではない」と言われていた。それでも于禁が信じていないでいると、それを見た夏侯惇から説教が入る。そこで、夢ではないと気付く。
その後は夏侯惇から祝いの言葉を受け取り、于禁は大いに喜んだが。
発行部数がかなり伸びたのでいつもより倍以上の印税が入り、マンション建設の為の資金が十分に貯まる。なので于禁は建設会社に連絡を入れてから訪ねると、契約を交わしたのであった。マンションの設計図を引くのに、大層な時間が掛かったのだが。
マンションの建設は六月から始まった。地上一〇階建てであるので、かなりの建設期間を要する。期間はおおよそ十六ヶ月くらいだろう。つまりは翌年の一〇月に着工が完了する予定である。
その際に于禁は、建設現場に月に二回程度だが視察すると連絡していた。なので言った通りに、建設現場を邪魔にならないように建設している様子を見る。やはり手抜きをしている様子など無いのか、一つの作業の度に確認を怠らない。なので現場作業員などに幾度も感謝の言葉を伝えていた。
マンションの建設が始まったとはいえ、それでも于禁は小説の執筆を止めるつもりはない。昨年の十一月の前にプロットを五本提出し、二本まで厳選された後に一本を書いていた。そのもう一本のプロットを編集会議など為しに、突然に出版社から依頼されたのだ。現在の時点の最新作の累計発行部数が、あまりにも良い数字だからか。
于禁は嬉しさや驚きがありながらも、そのプロットを元に小説を執筆していく。
だが引っ越しはまだ先だというのに、夏侯惇はそれを楽しみにしていた。于禁と同じ住所になるからというのもあり、今から新居の間取りを見ながらどのような部屋にするか于禁に話す。夏侯惇の家のベッドの上で、溶けるような睦言を言い合った後に。
「いえ、私は特にこだわりは……」
「駄目だ。仮とはいえお前と二人の家なのだから、住むとなれば楽しい家の方が良いだろう」
夏侯惇は自身に抱き着いている于禁の髪をさらりと撫でた。肩がびくりと動いた于禁は、夏侯惇の鎖骨のあたりに顔を埋めていく。同じシャンプーの香りが強くなったことを感じた夏侯惇は、その頭を次は愛しげに撫でる。
一方の于禁も同じボディーソープの香りが強く感じたのか、頬ですりすりと夏侯惇の肌を撫でた。
「少しずつ、決めていきましょう」
「あぁ」
会話を終えると、夏侯惇は部屋の照明を切る。そして世界にたった一人しか居ないとても大事な存在を、暖かくも暗い空間の中で優しく包んだのであった。

八月の半ばに説の執筆を終えた于禁は、いつものように出版社からの校正指示を受けた。その指示通りに修正しながらも、担当編集である蔡文姫にメールで幾つか質問していく。部分的にだが、どうしてこの部分の校正指示が出たのかを。するとすぐに返信が来てから回答に納得した于禁は、指示通りに修正していったのであった。
今回も文庫本であるが、数日後に出版社にて表紙デザインの打ち合わせを終えた。出版社から出るとようやく一仕事終えられて、一時的な達成感を得る。本の発売は、一〇月なのだが。
そこでふとスマートフォンを見ると、夏侯惇から「完成おめでとう」というメッセージが来ていた。于禁は心を弾ませながら礼の返信を送ると、炎天下の道を歩きながらまっすぐ帰宅していった。
前回で于禁の個人的な発行部数を大きく塗り替えていたので、今回発売された本は世間から注目を浴びていたらしい。出版社側はそれを見越して、発行部数を前回より少し多目に設定していた。しかしそれでも売り切れるなどの出来事が起きる。
出版社はフットワークが軽いのか、すぐに印刷所に増刷の依頼をした。
結局、前回よりも更に発行部数を伸ばす。それに他の本もついで買いや、興味を持たれたのかそれらも発行部数が増えていった。
書店からも出版社からも嬉しい悲鳴が上がっていることを、于禁は出版社にて蔡文姫から知らされる。編集部はいつも以上に仕事が山積みになったらしい。
「前回に続いて、おめでとうございます于禁殿。編集部に書店や読者の方々からの問い合わせが沢山来ており、更に忙しくなりました!」
蔡文姫は疲れた顔をしている。だが于禁が執筆した小説が、ここまで世間の人々に読まれるのが嬉しいらしい。かなり嬉しげに、最新の売り上げデータや増刷する予定の数字が書かれている紙を于禁に見せる。
「いや、これは蔡文姫殿のおかげだ。本当に、感謝する」
紙に羅列している数字を見て、一瞬だけ目が点になってしまった于禁である。しかしそれだからと言って、天狗にはなっていない。寧ろ、前よりもいっそう精進しようと誓う。
だが今は夏侯惇に会い、直接褒めて貰いたいらしい。帰宅してから寝る支度を終えると、夏侯惇への想いが増していく。すると于禁は夏侯惇に慣らされてしまっま性欲に抗えないのか、一人で快楽に身を任せていたのであった。それも数週間の間、于禁はほぼ毎日それを続けていく。
しばらく経過してから、ようやく于禁の最新作の売り上げが落ち着いた。しかし忙しいのはいつもなのか、編集部は相変わらずバタバタとしている。
そこで日没間際の時間帯に突然に出版社に呼び出された。詳細は何も聞いていない。ただ、蔡文姫から来てほしいと連絡があったからだ。しかしその際に何故だか服装をスーツと指定される。疑問に思いながらと于禁は、適当はネクタイを締めてからスーツを着てから出版社に赴いた。
着くと蔡文姫ではなく、夏侯惇が待っていた。久しぶりに会ったのだが、かなり疲れた顔をしている。
そして少し広めの会議室で夏侯惇と二人きりになったが、于禁の担当編集である蔡文姫は編集部のフロアで仕事をしているらしい。会議用の長テーブルを挟み、二人は向かい合って座る。
「昨年に五本のプロットを提出してくれただろう? こっちでは残りの三本のプロットが残っていないし、申し訳ないが内容を大まかにでも覚えている暇がない。今更ではあるが、あの残りの三本のプロットを編集部に提出して貰うことはできるか?」
早速用事を切り出した夏侯惇に、于禁は二つ返事で頷く。
「家に一応データを残してあるので、帰宅しましたらすぐに蔡文姫殿に送ります。今日中には必ず。ですが一回没になったものなのですが、それらをどうされるのですか?」
「もう一度、こっちで検討してみるだけだ。それを元に依頼するかは分からんがな」
「は、はぁ……。了解致しました」
首を傾げながらも、于禁は了承した。そして用事が終わったのかと思い、椅子から立ち上がろうとする。そこで夏侯惇に止められた。
「待て。家に帰ることができるのは、早くとも明日の昼過ぎだぞ?」
「……何故、明日なのでしょうか? 何か他に私に用があるのですか?」
夏侯惇は盛大に溜息をついた。于禁は何かまずいことを言ったのかと思い、慌てふためく。
すると遂には于禁が頭を抱えたので、夏侯惇はそれを止める為に口を開いた。この後すぐに、創立記念パーティーを開催したホテルに行くと。それを聞いた于禁は顔の至る皮膚を朱色に染めた。夏侯惇の言葉の意味が、ようやく分かったらしい。
「お前への話は終わったから、すぐに行くぞ。だがその前に腹ごしらえだ。レストランを予約してある」
「は、はい……」
そして服装をスーツに指定された意味も把握できたらしい。于禁は未だに熱が引いてくれない顔を縦に振り、夏侯惇と共に会議室を出た。そして二人で出版社から出ると夏侯惇がタクシーを拾い、目的のホテルに向かって行ったのであった。
道中に夏侯惇は「今回の本も大ヒットした褒美でもある」と言う。于禁は車窓から間断なく輝く人工的な光を浴びながら、素直に礼を述べたのであった。
ホテルに着くとレストランで見栄えも味も良い食事を取ってから、ホテルマンが運ぶルームサービスの酒類と共に部屋に到着する。場所はまたしても最上階に近い階層の角部屋でった。このホテルに泊まるのは、二人とも初めてらしい。
だが同じ規模のホテルには何度か宿泊しているので、二人はあくまでも冷静であった。ホテルマンが去った直後には、すぐに二人は同じくらいに熱が上がっていた。夏侯惇は于禁を押して壁に背中をぶつける。そこから于禁に詰め寄っていった。
「ん、ふぅ、んん、んぅ……!」
強引に唇を奪った夏侯惇は、すぐに離した。しかし急に機嫌が悪そうな表情へと変えていく。
「何故、俺が贈ったネクタイを締めていない?」
「貴方が待っていらっしゃるとは、思ってもいなくて……」
「そのような言い訳など、いらん……!」
于禁のまともな言葉をこれ以上聞きたくはないのか、再び口を塞ぐと濃厚なキスをしていく。すると途中で腰が砕けてしまった于禁は、夏侯惇の肩や背中を掴んで体をどうにか支えていった。それでもまともに立てないのか、とうとう腰を床に落としてしまうが。
夏侯惇はその于禁と目線を合わせると、シャワールームへと引きずるように連れて行った。そしてまずは自身が着ているスーツを取り払ってから、于禁のスーツも取り払っていく。
「げんじょう……」
唇の隙間から唾液を垂らしながら、于禁は互いの肌を合わせようとする。だが夏侯惇はそれを突っぱねると、于禁をまたしても浴室に引きずって行った。
于禁を抱えてから何もない言わずに湯を全身に浴びせると、髪がずぶ濡れになる。夏侯惇はその髪にそっと口付けをしてから、自身にも湯を掛けた。そしてボディーソープを手の平に取って泡立てると、于禁の肌にそっと触れた。
「洗ってやる」
白い泡に塗れた手が、于禁の鎖骨にまずは触れる。指先でゆっくりと骨をなぞっていくと、于禁は弱い吐息を出した。
「ん、ん、ふぅ……」
まだ唇を合わせただけだというのに、于禁の感度はとても強くなっていた。下半身は夏侯惇ではなく浴室の天井を見ており、早くも先走りを垂らしている。
ニヤリと口角を上げ、夏侯惇の機嫌が平らになっていく。すると指先が鎖骨から胸に降りていき、泡を塗りたくる。その際にまだ若干だが尖っている粒の先端を揺らすように指を動かすと、于禁は肩を震わせた。
「ふ、ぁ! あ……ぁ、ん……」
「どうした? 俺は洗ってやっているだけなのだがな」
わざとらしく言った夏侯惇は、于禁の胸を弄る手を止める気はない。ペースを落とすことなく、指先を動かしていった。
次第に胸の尖りが強くなったので指先で強く押すと、于禁は体を大きくのけ反らせながら達した。それは夏侯惇の手にまで届いたのだが、白い泡に濃く白い精液が混じる。
「もうイったのか? いやらしいな」
それでもなお胸の粒をグリグリと、まるで潰すように押していった。于禁は達した直後なのかとても敏感になっており、すぐに二度目の射精をする。
「もう、やめ……」
「どうしてだ? まだお前のはここまで元気だぞ?」
泡を湯で流してから于禁の竿を掴むと、まだ血管が浮いている状態であるので脈が大きく打っていた。
「それだけでは、お前は満足しないだろう?」
顔を近づけてから耳元で囁くと、于禁は目を見開いた後にこくこくと頷く。とてつもない快楽に眩み、理性が打ち負けてしまったのだ。
それは毎回のことではあるが、夏侯惇はこのやりとりをするのに飽きていない。初々しさが垣間見えて、より于禁のことを好きになるからだ。なので加虐心とそれに恋人に想う心が混じると、于禁を引きずりながらカーテンが閉め切られているベッドルームへと向かって行った。
ベッドはかなり広い。そこに二人で同時に倒れ込むと口付けを交わしていった。リップ音や唾液を啜る音が部屋中に響く。二人の口付けが焼けるように熱い証拠である。
時折互いに息を送り合いながら、唇を合わせることを継続していく。しかしそれには限度があるので夏侯惇が唇を離すと、二人は激しい息切れをしている。それに顎にまで混ざりあった唾液が、だらだらと雨のように垂れていた。
「げんじょうと、ずっとひとつになりたい……」
于禁は呼吸を整えながら、恍惚の視線を夏侯惇に精一杯浴びせる。一方で夏侯惇は雄々しい視線を于禁に浴びせると、于禁を仰向けにさせてから覆い被さった。
「俺もだ」
かなり短くとも、于禁が待っていた答えを出す。なので于禁は口角を大きく上げたが、夏侯惇には余裕がもう無いらしい。于禁の脚を開いた。そして自身の指先の数本を于禁の口に突っ込んでから次は指で蹂躙させると、指を取り出した。于禁の唾液により、ぬらぬらと濡れている。
尻にあてがうと、唾液によりぬるついた指を立てた。そこは完全には閉じきっておらず、指一本が容易く入るようだ。最近は会ってもいないので、夏侯惇は不思議に思った。しかしすぐに真実を導くと、それを于禁に投げ掛ける。
「もしかして、会えない間はずっと一人でしていたのか?」
「……はい」
夏侯惇は「そうか」と納得すると、あくまでも慎重に解す気を無くしたようだ。一気に指を二本突っ込むと、そのまま指の関節を動かした。既に快楽を拾うだけの性器となっている箇所を、容赦なく。
少し奥にある前立腺に当たらなくとも、于禁は大きく喘ぐ。内部の粘膜をただ触れられるだけで、堕ちてしまう程に敏感になっているのだ。それを夏侯惇は楽しそうに凝視すると、柔らかい縁に指をどんどん増やしていった。入口は指を難なく受け入れるので、夏侯惇は粘液を激しく掻き混ぜてから指を引き抜いた。
入口の縁はくぱくぱと収縮しており、鮮やかな桃色の粘膜がよく見えた。ここが于禁を狂わせ、そして夏侯惇も狂わせるのだ。
「挿れるぞ」
夏侯惇は太く長く、そして血管がおぞましい程に浮いている逸物を取り出した。于禁はそれをかなり物欲しげにみるが、視線よりも入口の方が強く求めているのだろう。先程よりも、収縮する間隔や広がりが増していくのが動かない証拠である。
「貴方の子種で、腹を溶かされたい……!」
于禁はそう懇願した。夏侯惇は荒い息を吐きながら、于禁の体を貫いていく。
「っは……ゃ、うぁ、あ! ァ、おっきい! は、あッ、ひ、いゃ、あつい、ほんとに、げんじょうにとかされる……!」
自然と涙をぼろぼろと流しながら、于禁は愉悦の声を上げる。しかし結合部を鋭く睨んでいる夏侯惇は、その于禁の顔を見る気は無かった。人間同士の性行為、というより動物の交尾のような行為をするつもりなのだろう。目は次第に血走り、言葉を発することなくただ激しい吐息を吐いているからだ。
ずるずると逸物が入っていくと、先端が前立腺を掠めたらしい。于禁は背中を反らせ、つま先を伸ばしながら射精をした。それは弱く薄くなってきていたが、夏侯惇はそれに構わずに逸物を押し込んでいく。
次第に縁がめくれ上がっていく感覚、そして凶器により狭く熱い腹を抉られていく感覚がじわじわと于禁の頭を犯していった。そして逸物が根元まで入る間際、それらの感覚が理性を完全にすり潰すと于禁は腰をかくかくと動かし、射精を伴わない状態で達する。
気の抜けた声を出しながら、于禁は口からねっとりとした唾液を大量に流した。
しかし夏侯惇はそれだけで満足する訳でも、狂いを全うする訳でもない。根元まで挿し込み、腹の奥を子宮だと思わせるまで犯さなければ今の夏侯惇は気が済まないのだ。
なので夏侯惇は直ちに逸物を根元まで打ち込むと、更に奥にねじ込んでいった。ごぽりという奇妙な音が于禁のへその辺りから聞こえる。そして夏侯惇は、于禁の脳を更におかしくさせていく。
「ひぃ……!? ァ! そこ、らめ、ぅあ、あっ、ア、お、ぉ!」
頭が揺れる程に激しいピストンをしていくと、粘膜や肌同士が叩き付けられる音が大きく聞こえた。そして大きなベッドが軋む音や、于禁の人間性を捨ててしまったかのようなだらしない嬌声も。
体の何もかもを閉じられなくなっているのか、于禁の顔は液体でべとついている。夏侯惇はそれを一つ舐めてから、精液を送り出した。
于禁の腹に子宮があると思わせるまで、一歩近付いた。
「っあ! お、あァ……」
腹に熱いものが大量に送られると、于禁はその感覚により体を震わせながら竿から液体を噴出させた。だがそれは精液ではなく透明な液体である。雄としての生理現象が一時的に停止してしまったらしい。
それでも、夏侯惇の逸物は張りを保っている。なので于禁の様子など気にかけることなく、夏侯惇は強いピストンをした。精液が注がれているので、腹からはぐぽぐぽという音とそれに卑猥な水音が鳴る。
「おっ、ぉ、あ、らめ、ぁ……ア、ぉ、っや、ひ、あッ!」
腹の奥を何度も何度も殴られていくうちに、于禁の中でようやくとある思考が芽生えたようだ。夏侯惇の思惑通りに、自身には子宮が存在するということを。なので于禁はさらに精液を求める為にと中を強く締めた。
「あ……ッ、ぉ、ア……! げんじょうとの、あかごがほしい、はらみたい!」
「は、はぁ、ぅあ……あ、おれも、だ……!」
ようやく言葉を発した夏侯惇だが、それは地を這うように重い。その重さが、于禁の興奮をさらに焚き付けた。脚を夏侯惇の腰に巻きつけると、より熱い精液を欲していく。
ずっと強く、刺すように逸物の先端を押し込んだ。すると于禁は悲鳴のような声を上げながら、勢いよく潮を噴く。直後に全身を大きく痙攣させると、そのまま電池が切れたように意識を失ったのであった。
その際に、唇に何か柔らかいものが当たったような気がしながら。

于禁が目を覚ますと、ベッドの上に仰向けに寝かされていた。体の上には自身の体温で心地よい暖かさの布団が掛かっている。
ベッドルームのカーテンの隙間からは強い光が差し込んでいた。恐らく、太陽が真上に来ている時間なのだろう。まずは溜息をついた于禁だが、体を動かすことが怖いと思っていた。昨夜は、かなり激しい性行為をしたからだ。腰を少しでも動かしたら、痛みや苦悶の声が湧いて出るだろう。
しかし視線を動かして周囲を見るが、夏侯惇の姿は無い。それに今は衣服を何も身に着けていないので、ベッドから出たら寒いだろう。何をするにも億劫だが、昨夜の夏侯惇と久しぶりに深く繋がれたので特に大きな後悔は無い。それでも、体の痛みは勘弁して欲しいとたまに思うのだが。
ベッドルームの白い天井をしばらく見ていると、夏侯惇がようやく入って来た。バスローブを着ている。
「起きていたのか……すまんな、遅くなってしまって」
今の夏侯惇は昨夜の面影が一欠片もない。普段の于禁の好きな優しい夏侯惇である。于禁は昨夜のような顔も好きなのだが、今の状態からしたら普段の夏侯惇で居てくれた方が良い。
「おはようございます……」
今日初めて声を出したが、于禁の声は枯れている。夏侯惇はその声を聞いて笑うと、于禁の頭をやんわりと撫でた。
「立てるか?」
「いえ」
介助をして欲しいと于禁は甘えると、夏侯惇はゆっくりと布団を剥がす。冷えた空気が于禁の体を包むが、それと入れ代わるように夏侯惇のバスローブの生地が皮膚を小さく擦っていった。痛みは無く、寧ろ優しく包まれる感覚に于禁は目を細める。
次に于禁の体をゆっくりと起こすと、そのまま立ち上がらせた。事後の于禁の介助など、夏侯惇は慣れている。なのでそのままアメニティであるバスローブを丁寧に着せていった。
「もう一泊するぞ」
「ですが、プロットが……」
「気にするな、今は何も考えなくてもいい」
リビングの部分のソファに座らせるか悩んだ夏侯惇だが、結局はベッドに再び寝かせた。于禁はどちらでもよかったのだが、夏侯惇曰く「体を休ませなければ」と。
首を横に振ることを止めた于禁は、ベッドに仰向けに寝かされてから夏侯惇の方を見る。そして、更に甘えの態度を取った。
「でしたら次の朝になるまで、隣に居て下され……」
「勿論だ」
夏侯惇は笑いながら快諾する。そして于禁の隣に横になり、軽いキスを繰り返していたのであった。

その二日後にようやく于禁は、前に没になっていたプロットを出版社に再提出した。数日後に編集会議にかけられる。結局はそのうちの一本が編集会議で通り、于禁は執筆を始めた。締切は年が明けてから数週間後である。
だが締切がある小説家には休みが無いようなものだ。なので于禁はクリスマスを迎えようが、ニューイヤーを迎えようが小説を執筆していった。
最近は于禁の調子が良いのか、小説を執筆しながら幾つかのプロットを作っていた。小説を書くことが、止まらなくなってきているのだ。夏侯惇からそれを心配されたが、于禁は体調を崩している訳ではない。しかし短期間だけ昼夜逆転することがあったので、于禁は自身でそれを確実に修正していった。
締切前にいつものように小説を書き上げ、出版社からの校正指示などを受ける。
しかし今作は発売の告知をされ、世間からの期待がかなりあるようだった。前作の発表により認知されたからか。それを蔡文姫からメールで知らされた于禁は、ここで初めて重いプレッシャーを感じる。蔡文姫は于禁の小説が読まれていると言う為であったのだが、于禁は深く考えてしまったらしい。
小説家になりたての頃にもプレッシャーのようなものがあったが、今回はそれとは全く種類が違う。今回は認知され、そして期待されているうえでのプレッシャーなのだ。これが期待外れだった場合は読者や勿論、出版社にどのような顔をすれば良いのか分からなくなっていく。恐らくは失望をされていると思いながら。
于禁はノートパソコンの画面に表示されているメール画面を閉じると、机に倒れるように突っ伏した。今は書斎に居るが、何も考えられなくなるとただ瞼を閉じる。暗闇ならば、少しは動き続けている考えか止まるだろうと。
だが思考は相変わらず動いており、どうにもできなくなった于禁である。するとあることを思いつくと、勢いのままに机の上に置いているスマートフォンを取り出した。迷いなくスマートフォンを操作していくと、スピーカーを耳にあてる。数コール音が聞こえた後に、鳴り止む。
「……もしもし」
『どうした?』
于禁は夏侯惇に電話していたのだ。だが今は仕事中なのか、スピーカーからは忙しない人々の声や電話の音が聞こえる。
仕事中は邪魔になるからとあまり電話を掛けたくなかったのだが、于禁はなるべく短い時間で済ませようと思った。なので用件を手短に伝える。
「夏侯惇殿、私の新作が期待外れであったら……」
『ん? 期待外れ? 何の話かは分からないが、前回と同じかそれよりも発行部数は伸びるだろう。特に悩む必要はない。それよりも先のことを考えていろ』
「はい……」
夏侯惇の力強い言葉を聞くと、于禁の思考の動く方向が変わっていった。なので「失礼致しました」と言って通話を終えると、頭の中がすっきりしたらしい。椅子から立ち上がると、体をよく伸ばしたのであった。

 

 

 

 

 

新居である于禁のマンションへの引っ越しは一〇月頃である。つまりはかなり余裕を持って八月から引っ越しの準備をしなければならない。それまでのところで、于禁は一月に発売したものと合わせて三冊分の小説を執筆した。
それらが発売する毎に過去作の発行部数が伸びていく。すると于禁は、世間からは作家名や作品は何となく知っているというレベルになっていた。于禁本人はそこまで名前が広がるとは思いもしておらず、かなり動揺する。
于禁が動揺した点と言えば、もう一つある。印税が前よりもかなり増えたのだ。しかしそれを今は一気に使うことなく、貯金することにした。夏侯惇との将来の為にと。
八月に入り、二人は少しずつ引っ越しの準備を始めた。夏侯惇はあまり仕事を持ち帰ることができない。なので本当に私物だけであるのだが、仕事が多忙のせいか趣味はほとんどなかった。それでもほぼ毎日仕事に追われているので、引っ越しの準備の段取りすらできないらしい。そこで于禁が夏侯惇の荷物をなるべく纏めることにした。
冬物の衣類や寝具を、まずは毎週のように纏めていく。それから秋物と春物を。これらは今の時期に使う訳が無いので、最初に手を付けた。
次に雑貨類を纏めると、八月の半分が終わりかけていた。なので于禁は自身の荷物にも手を付け始める。
夏侯惇の荷物同様に春物と秋物、それに冬物の衣類や寝具を纏めていく。于禁は雑貨類はあまり置いていないので、翌日の朝からはいきなり大量の荷物に手を掛けた。そう、書斎にある、弁護士時代にメモしていたファイルの山をだ。
これらを于禁は処分する気はない。弁護士に戻るつもりはなく、小説の執筆の参考にする為である。メモのおかげで書くことができ、そして評価された小説は全てだ。手放す訳にはいかない。小説家になる前は不要だからと処分しようと、僅かに思っていたこともあった。
于禁はファイルを丁寧に纏めていったが、ほぼ丸一日を費やした。それくらいに大量に細かく作成していたのだ。于禁は疲れにより溜息をつくが、寂寥感が募る部屋を見渡す。この部屋とは、もうお別れなのだと。
時刻はもうじき夕食を取るに相応しい時間であった。なので于禁は書斎を出てから、夕食を作る。そして寝る支度を済ませると翌日も荷物を纏める為に、ぐっすりと眠っていったのであった。
大方の荷物を纏め終え、そして様々な手続き等を終えた頃には九月に入っていた。因みにだが、家賃を払わなくていい代わりに、光熱費や食費は夏侯惇が払うことになっていた。最初は于禁が折半と言っていたが、夏侯惇が無理矢理にその意見を退ける。すると于禁は仕方なしに、納得するしか無かったのだが。
すると夏侯惇が休みの日に、新居に配置する家具を決めていく。何度も何度も話し合ったその結果、現在使用している家具はほとんど使い続けることになった。しかしベッドは買い替えるのだという。勿論、それぞれの部屋にはキングサイズのベッドを。
夏侯惇はとても頑丈なキングサイズのベッドが良いと言うと、二人は家具屋に赴いて理想的なベッドを探していった。何件か回っていくうちに見つけると、それを二つ購入してから新居に移るまで取り置きをする。
そして二人はほぼ引っ越しの準備を終えると、互いのほぼ何も置いていない部屋を見てからにこやかに笑い合ったのであった。
もうすぐ、二人で一緒に住むことができると。

マンションの着工完了の前夜を迎えた。この日は夏侯惇の家で二人で硬い床に並んで寝そべり、夜を越えようとする。枕代わりに、翌日着る柔らかい生地のパーカーを丸めていた。だがやはり床が硬いので、二人で「寝辛い」などと不満を吐く。それとは反対に、二人の表情はとても楽しそうであったが。
「今日で、こことは最後だな」
「はい」
今は照明を落としているので暗いが、二人は互いに隣にある愛しい存在の方を見ていく。
「ここに入居して何年か経ちますが、貴方ともっと前から知り合えなかったことを、とても悔しく思います……ですがしかし、それは今からでも取り戻すことができるでしょう。いえ、取り戻して見せます」
于禁は手を伸ばして夏侯惇の体に触れた。手が当たったのは、首の部分である。そこから上にいき、唇を探すと顔を近付けた。それにそっと口付けをすると、夏侯惇は自然と「好きだ」という言葉が出る。それに対して于禁は「私もです」と呟くと、夏侯惇から口付けが返ってきた。
二人は抱き合うと吐息の細かい音が聞こえるくらいに、顔同士の距離を保つ。
「……ではこれの続きは、明日の夜にな」
夏侯惇がそう言うと于禁は「はい」と返事し、二人は硬い床の上で眠ったのであった。

翌日に、二人はまだ新しいマンションに入った。ここにどれくらい住むかは分からないが、一軒家を買うことができるまでとかなり曖昧だ。
二人の部屋の場所は最上階の角部屋である。入居者は不動産会社経由で、次々と入居の申し込みが入っていた。だが実際に入居するのは、二人が入った次の日に少しずつである。
部屋の間取りは3LDKとなっており、一つの洋室が夏侯惇の部屋。もう二つの洋室が于禁の部屋だが、一つが寝室でもう一つが書斎である。夏侯惇には書斎など必要無いからか。
引っ越し業者が昼までに二人の荷物を全て運び、取り置きしていたキングサイズのベッドも部屋に入った。広さはキングサイズのベッドや家具が入ってもかなり余裕がある。それでも少し窮屈なので贅沢な悩みを抱えていくことになった。ベッドには既にに組み立ててありマットレスもついている。なので後は二人のそれぞれの寝具を取り付けるだけだ。
しかし部屋にある多くの荷物を見るなり、二人は何もかものやる気を無くす。夏侯惇はそれなりに高く積まれている段ボールを見て、項垂れた。
「……荷解きは明日にするか?」
「なりません、最低でも食器類や衣服、それに寝具はセットしなければ」
更に夏侯惇は溜息をつくと、渋々と言った顔で于禁の言った物の数々を段ボールから取り出したのであった。
最低限の物を取り出してから棚などに入れていくと、空はもう夜の深い色へと変わっている。
「そういえば、今日だけはお前と本当に二人きりだな」
「入居者が来るのは明日ですからね」
「……まだ、分からないのか?」
于禁が大きく首を傾げると、夏侯惇は今日で一番大きな溜息をつく。それを見て眉間の皺を深くした于禁は、必死に考え込む。だが答えを探す時間など、夏侯惇はあまり与えてくれなかった。
数秒経った後に夏侯惇は、于禁の手を掴む。
「新しいベッドがどれほど頑丈か、確認も兼ねてだ。ほら早く。それに、昨夜言ったのを覚えていないのか?」
ようやく于禁は察してから思い出したのか、顔を真っ赤にする。夏侯惇は「誘いの言葉にどうして鈍感なのか」と呆れると、于禁の手を引いて行った。まずは真新しい浴室へと。
簡単にシャワーを浴びると、二人は下着のみの姿で夏侯惇の部屋の真新しいベッドに乗り上げた。
「貴方との家でこれからも、私を愛して下さい……」
押し倒された于禁は、夏侯惇を見上げる。そのときの表情は、まろやかに蕩けている。夏侯惇はそれにただ頷くと、二人はとても甘く交わったのであった。
この、一つと呼んでいい家で。