A4サイズの不正
とある日の朝の八時前に、架川が少し眠たげにしながら桜町中央署に出勤してきた。この時間帯は一般市民は居らず、同じように出勤してくる者、あるいは夜勤明けの者が入れ替わるように出入りしている。しかし受付などがあるロビーの隅で、とある物を見ると立ち止まった。掛けているサングラスを外してから、まじまじと見る。
「アンケート……?」
小さな白色の箱に一〇数枚くらいの、印刷されたA4サイズの紙が入っていた。よくあるアンケートの内容が記載されているが、とある文字列を見るなり一枚だけを素早く取る。
「ちぇりポくんのアンケートか」
すると眠気がすっきりと吹き飛んだらしく、目尻を下げた。今は筆記用具を持っていないのに、アンケートに書く事柄を考えながら。文字を次々と追いながらもこの場から立ち去らないでいると、背後から聞き覚えのある女性の声が聞こえる。
「ちょっと、ここで何してるのよ」
架川が振り返ると仁科が居たが、隣に立ち始める。怪訝そうにしているが、ここはロビーのど真ん中ではない。なので邪魔だとは言えず、周囲を僅かに見てから悔しげな声で言葉を続ける。
「早く刑事課に行きなさいよ」
「おはよう、まだ八時じゃねぇからいいだろ。それにこれに興味があってな」
ひらりと仁科に紙を見せるが、声ではなく溜息が出てきていた。また何か企んでいるのだろうかと。だが架川はそのようなことを気にしていない。
「おはようございます」
背後から本日二つの言葉が掛かってくる。二人が振り返ると、蓮見が居た。
挨拶をいつもの調子で返した架川だが、蓮見の顔を見るなり思い付いたことがあるらしい。紙をもう一枚取ってから、蓮見に渡す。その途中で遠くからこちらに近付いてくる、のんびりとした足音が聞こえた。しかし三人とも、特にそれを注目をしていない。
「おい蓮見、この紙にお前の名前を書いてくれ。頼む」
架川が蓮見に向けて言い終えたと同時に、遠かった足音が直前になっていく。三人がその方向を見ると、足音の正体が水木だということが分かった。
変わらない口調で架川が挨拶をしようとしたが、水木はとても動揺をしている。なので何かあったのかと、まずは蓮見が聞こうとした。そこで水木が意を決したように、架川に話し掛けた。
「架川さん、蓮見さんにそうして貰うには、色々な段階を踏まないと……! だって、けっ、け、こ……」
「け? こ?」
アワアワとしている水木に、三人が首を傾げる。特に架川は水木の発言の最後の部分を復唱していた。しかし繋がる単語は全く見つからない。そこで水木が「はっきりと言わなければ」と拳を強く握ると、架川が紙面を見せた。そして「名前だけ書いてくれ。後は俺が書く」と言う。
水木は記載されている内容を見て、一瞬だけぽかんとした。そして首を横にブルブルと振ると、この面子の中では初めての正論を述べる。
「架川さん、これは……不正回答になりますよ! 駄目です!」
「別にいいじゃねぇか、ちぇりポくんについてのアンケートに答えるだけだしよぉ。それに……ここを見ろ。グッズ化をして欲しい項目があるだろ? ここに、ちぇりポくんの抱き枕って書きてぇんだ。それか、添い寝シーツだな」
どこからツッコめばいいのか分からない、と蓮見と仁科が頭を抱えた。一方で架川はとてもニコニコしている。
「不正回答は駄目です。それに、抱き枕と添い寝シーツは何件か要望がありましたが、コストの面からして却下です。他の物をお願いします」
四人が振り返ると私服姿の米光が居て、腰に手を当てている。
米光はこのちぇりポくんについてのアンケートを定期的に纏めているらしく、すらすらと架川に過去にあった意見を報告した。またしても注意されたのはともかく、要望として出そうとしていたグッズ案の先駆者が居たらしい。架川は眉間に深く皺を寄せる。
「……どこかにちぇりポくんのコアなファンが居るのね」
仁科がアンケートの紙面を見ながらそう呟くがハッとした。コアなファンが、今目の前にいることを忘れていたらしく。
こくりと頷いた米光は「皆さん、もうすぐ始業時間ですよ」と言うと、所属している課のフロアへと足早で向かって行った。続いて仁科もこの場から立ち去ろうとしたが、数秒だけアンケート用紙を見つめる。そして架川の方を睨むように、刹那的に視線を向けてから舌打ちをした。
「……仕方ないわね」
アンケート用紙を一枚取った仁科は半分に折り畳み、つかつかと歩いて行く。
「ありがとな仁科。ほら、お前らも書け」
仁科の背中を見送った架川は、蓮見と水木の二人にそう促す。蓮見が「こんなことをしている暇は……」と言いかけたところで、水木がすんなりと聞き入れてからアンケート用紙を一枚取った。それを見て溜息をついた蓮見は、先程の仁科のようにとは言わないが、仕方ないという顔をしている。
その二人を見て架川が「ありがとな」という礼をしてから、言葉を続けた。
「アンケートに書く内容に困ったら、いつでも言ってくれ!」
「別にいいです」
「はい!」
蓮見はかなり素っ気なく返し、水木は元気に返事をしていた。二人の反応に差がかなりあるが、架川としては予想の範囲内だったのだろう。二回ほど頷く。
「始業時間になるから、刑事課に行くぞ」
そう言いながら、架川が階段の方へと歩いた。水木は先程と同じように元気よく返事をすると、架川に着いて行く。蓮見は本日二度目の溜息をつくと、二人を追って階段を駆け上がったのであった。
そしてこの日の昼、アンケートに書く内容が思い付かない蓮見は音を上げ、架川に助けを求める。なので蓮見が記載するアンケートに、かなり大幅な不正回答が生まれてしまったのは言うまでもない。一方の水木は、アンケートにすらすらと答えていたのだが。