長い間、暗い場所に居たような気がした。そこは誰も居らず、視界はそこまでも続く闇かのように暗い。出口など、ここには存在するのだろうか。暗闇の檻に捕らえられたが、声を出そうとしても声帯を引き抜かれたかのように出ない。そして普通ならばその場に居るという証拠である、触覚や嗅覚や聴覚が全く無いのだ。夢であるかのように思えてしまう。
その中にどれくらい居たのだろうかは、全く分からない。
これは病院からリチャードソンを道連れに飛び降りた時から始まる。落ちた瞬間までは、現世に居るという感覚はあった。しかし右側から地面にぶつかったと同時に、耐えられない痛みが全身を走る。コンクリートの上に、全身を強打していたのだ。あらゆる骨が折れ、皮膚を突き出して飛び出る。全ての臓器や血液がだらりと流れ、もう助からないと思った。悔しいが、これが自身の運命なのだろうと悟る。信頼していた大吾を、裏切る形になってしまったのは残念ではあるのだが。
だが暗闇に慣れきったところで、黒ではない色が目を刺した。かつては息をするかのように見ていた光が、目の前に現れたのだ。
当然のように目を刺す光は痛い。それは目から次第に全身へと渡っていく。まるで、病院の屋上から飛び降りた時のような痛みが走る。覚えのある痛みを受け、発狂してしまうかのように思えた。
そこで暗闇でない黒が、視界を浸食していく。これにも覚えがあるが、何だか懐かしい気がした。この黒色は、正確には真っ黒ではないのだ。
すると次第に、かつてはあった触覚が戻ってくる。コンクリートの上のような、冷たく硬いものの上かと思えたが違う。それは全身を包み込むように柔らかい、まるで質の良い布団の上に居るかのようだった。
次に嗅覚が戻ってくると、薬品の匂いがした。これは何だろうか。もしかして病院に居るのだろうか。そう考えるが、自身はもう生きる気はない。このまま死に、生まれ変わりたいのだ。人生で良かったことなど、ほんの一握りの瞬間しかない故に。
絶望をしていると最後に聴覚が戻ってくるが、誰かが居る気配がした。しかし視覚が戻らない今は誰なのかは分からない。もしも傍に居る存在が大吾であれば、そう考えるが自身は裏切ってしまったようなものなのだ。優しい大吾だが、それがあるので赦してくれる訳がない。何をしても、償えないのだろう。
心が沈んでいると、遂には視覚まで戻ってきてしまった。だが今はどこに居るのかくらいは知りたいので、ゆっくりと目を開ける。まずは天井が見えたが、やはり見慣れないものである。
時間帯は分からないが、ここは薄暗い。だがブラインドの隙間から差し込む光を見るに、昼間だと推測できた。
「ぁ……」
少しは声が出る。声帯はまだまともに機能しているようだ。だが腹にどうにも力が入らないので、これ以上は喋ることはできない。声を出すことができれば、誰かが来た時にここはどこなのか等を聞き出すことができたのだろう。
起き上がることはできるのだろうか。そう思いながら手足に力を込めるが、腹同様に思うままに動かすことができない。出せない舌打ちをしていると、扉のようなものが静かに開く音が聞こえた。音からして、扉はスライド式なのだろう。
「峯……今日も、来たぞ……」
声がしたが、これには聞き覚えがある。いや、忘れてはならない声だ。大吾の声である。言葉からして、毎日自身の元に来てくれていたのだろう。
だがこのまま、大吾と話してもいいのだろうか。目をぎゅっとつむると、それが見えてしまったのか大吾が反応した。
「峯……!? 峯!」
こちらに駆け寄り、そして必死に話しかけてきてくれる。気付かれてしまったのかと、項垂れたい気持ちになった。しかし体が動かせないので、どうにもできなかった。
返事をするしかないと、口を開いた。
「……ご……ぁ、ん……」
「峯! 峯! 生きてくれていたのか! ありがとう!」
すると大吾は涙を流しながらそう言ってくれる。それを見ていると、先程浮かべていた気持ちをすぐに潰したくなった。やはり大吾は、自身が存在していることを良いと考えているらしい。
大吾はすぐに医師を呼びに行き、一人きりになった。途端に寂しくなるが、涙が全く出ない。情けないと思いながら、大吾が戻ってくれることを待つ。
少し時間が経過してから、大吾は医師を連れて来た。急いで来たらしく、二人は息を切らしている。
医師が体の状態を観察し、そして聴診器を様々な部位に当てた。小さく頷き、そして声が聞こえるかどうか確認してくる。目を動かして反応できるかどうかも確認されると、そこでようやく医師が、現在の体の状態などについて説明してくれた。
医師曰く、自身は病院の屋上から飛び降りたものの、なんとか一命を取り留めたらしい。だが一カ月以上に渡って昏睡状態に陥ったうえに全身を強打しており、様々な部位の骨が折れている。右腕は潰れていたので切断しか選択肢が無かったという。
そして臓器は奇跡的に破裂などをしておらず、では飛び降りた直後の感覚は何だったのだろうかと疑問が浮かぶ。しかしそれは自身のみが知り得ることだ。何も反応しないでおいた。
すると医師は用事が無くなったのか、安静にすゆように述べた後に病室を後にした。大吾と二人きりになる。
「峯……」
大吾は涙をこぼしていた。だがその涙を自身の手で拭ってやることはできないし、何よりも体が今は不自由だ。ただ視線を向けることしかできない。
「ぃ、ぁ……」
だが今の峯にとっては大吾の存在は辛いものでしかない。無慈悲ではあるが、ここから出て行って欲しいと言いたい。しかし喉から出てくるのは、掠れた母音のみ。峯は悔しさに途中で言うのを止めた。
「峯!? いや、すまん……俺には聞き取れない……」
目を見開きこちらにぐいと近付いてくる。病院には相応しくない煙草の匂いがした。自身が意識を取り戻すまで、煙草を吸い続ける日々を送っていたのだろうか。
今の気持ちとしては、死んだも同然の自身にそこまで喜んでくれる義理はないと思った。たとえ、兄弟の盃を交わしていたとしても。
鋭く睨み、このまま死にたいと思っていた。死にたかったから、早く生まれ変わりたいのもあって屋上から飛び降りたのだ。しかし現代の医療技術では、このまま意識を回復することができたならば、歩行が再びできてしまうことだろう。
時間が進むにつれて、自身にとっての絶望が近付いていく。対して、大吾にとっては希望へと近付いているのだろう。
涙をこぼしたかったが、人間とは本当に悲しいときなどは、涙が出ないこともある。自分はその状況になっているのだ。
「……すまねぇ、時間だ。峯、明日も来る」
「ぁ……ぁ」
もう来ないで欲しいと言いたかったが、やはり大吾に伝わらない。だがそれが大吾にとっては良い返事に聞こえたらしく、涙を手の甲で乱暴に拭ってから笑顔を向けた。その瞬間に、胸が痛くなる。ここまでして、自身の生存を嬉しがっているらしい。
この体が動くならば、この手が動くならば、大吾を追い出したかった。当然のように今は動かせないので、溶岩を腹の中で溜めているかのように怒りが募ってくる。
そうしていると、大吾は病室を後にした。直後に、体力が無くなってしまったのか意識を失う。
※
夢を見ていた。そこは以前と変わらない世界に居り、場所はバーであった。隣には大吾が座っていて、共に静かに酒を楽しんでいる。
「峯、聞いてくれるか?」
大吾が何やら恥ずかしそうにそう言うと、手をモジモジとさせた。何か、秘めたことを話したいことはよく分かる。
「どうしました? 六代目」
口が勝手に動き、大吾にそう返していた。これは夢なのだから、自身がそう返すのは当然だ。しかし今の気分としては、例え敬う相手であってもここから逃げ出したいと思っていた。
そう考えていても、手が勝手に動き、グラスを手に取る。これはウイスキーのロックなのだろうか。色は綺麗な琥珀色をしているが、肝心の味は何も感じない。
「俺……最近、好きな人ができたんだ」
大吾が恥ずかしげに言った。まるで、初めての恋をしている女のように見える。だがそれはただの気のせいなのだろう。
「へぇ、六代目の好きな相手……それは、さぞかし素敵な御方なのでしょう」
グラスに口を付けようとしていたが、それを止めてから大吾の方を見る。頬は高い酒のように上品な赤さがあり、その相手が余程好きなのだろうと悟る。
幸せそうで何よりだと、口角を上げた。大吾が照れながら「ありがとう」と返すので、口が勝手に動いて詳細について訊ねてしまう。
「六代目が想いを寄せている相手は、どのような、御方なのですか?」
「ん? えーっとな、まずは顔がいいところだな」
「外見ですか」
笑った後にグラスを持ってから唇を湿らせる。続けて大吾もグラスを持つが、かなり勢いよくあおった。今居る場としては相応しくない動作であるが、ここには二人しか居ない。どうにも、バーテンダーは現在不在なのだ。それを疑問に思っていると、大吾がグラスを置いた。
「……なぁ、外見がいい奴とは、どうやって距離を縮めたらいいと思う? 峯、お前の意見を聞きたい」
「そうですね……」
返事など思いつく筈がない。そう思っていると、そこで夢が終わった。
※
意識を取り戻すと、やはり閉じたブラインドから外の光が差し込んでいた。日付が変わったのか、或いは数分だけ意識を失っていたのかは分からない。
相変わらず手足が動いてくれなかった。そこで髪が長いということに気付き、髭が生えているように思える。不満に感じていると、扉が開いた。看護師が立っている。
経過観察に来たのだろう。手にはバインダーと筆記用具を持っている。だが名を呼ばずに「声が聞こえますか?」と話しかけてくる。自身には、一応は「峯義孝」という名がある。いや、今となっては区別する為のラベルと言うべきか。
看護師が手首の脈を確認した後に、バインダーに何かを書き込んでいった。現在の様子を記録しているのだろうか。
「ぁの……」
喉から声を出すと、思ったよりも声が出た。なので内心で驚きながらも、声を続ける。声がかなり出るようになった。
「あの……ここは?」
「ここは病院です。それ以外にありません。それ以外に、貴方からの質問には答えられません。そのような、指示があったので」
看護師はきっぱりとそう言い切る。更におかしいと思えたので、体を起こす為に力を入れた。体が起き上がった。
「……ッ!?」
今度ははっきりと声を出せた。なので自身の体を見れば、全身が包帯で巻かれている。やはり、飛び降りて全身を打ち付けたからなのだろうか。しかし思ったよりも軽傷だ。てっきり、全身の骨がとりとめのないくらいに粉砕でもしていると思ったからだ。
そしてまずは手を見ようとしたが、どうにも右手が動かない。なので動く左手で右手を触れるが、無い。やはり右手が生えていないのだ。心臓が早くなり、汗がだらだらと垂れる。しかし看護師はそのような自身に案じることはない。
目覚めた時の医師の説明によれば、右手は潰れてしまっており切断をされていた。咄嗟に立ち上がろうとしたが、全身が痛い。まるで、全身を強く叩かれているような感覚が走る。
「安静にしていて下さい」
看護師が冷静にそう言う。まるでそのような対応に慣れているかのように、バインダーを下げてこちらを見つめていた。
「……はい」
この状況からして、言葉に従うしかないのだろう。脱走はできるかは分からないが、そうしても捕らえられる。なので体をベッドにゆっくりと沈める。先程の痛みは引いてきた。
「このまま回復すれば、退院できる筈です」
淡々と看護師が言った後に、窓際へと静かに歩いていく。そしてブラインドを開けると、凄まじい光が目を突き刺す。まるで闇に晒された自身が、焦げるかのようだった。
そこで残った腕に点滴に繋がれているのが見える。それくらいに酷いものなのだろう。
「眩しいとは思いますが、慣れて下さい。では」
特に心配などすることなく、看護師は退室する。なので閉じられた扉を睨んだ後に、窓を見た。太陽が昇っており、外からは見慣れた景色が見える。ここは、東京であった。
「知っている場所……」
そう呟くと、次第に明るさに慣れてきていた。案外早いと思った。
なので窓から外を見ていると、扉からノック音が聞こえた。また誰かが来るのだろうか。再び扉を睨んでしまう。
「峯……」
扉が開くとそこには大吾が居た。手には一輪の花を巻いている綺麗な紙の筒がある。見舞い用の花なのだろうか。
「大吾さん……」
本来は傅く存在の名を呼ぶものの、すぐに嫌悪感が湧いてくる。もう自身は大吾の前で生きるべきではない人間だからだ。裏切り、そしてきっと絶望を与えたのだから。
咄嗟に何か物でも投げつけようとしたが、生憎にも手に力が入らない。なので舌打ちをした。
「峯、まだ回復をしていないが……」
「出て行って下さい。私は貴方ともう話す権利も、元より生きる権利もありません」
ぴしゃりとそう言い放つと、一瞬だけ大吾の顔が歪んだ。かつての自身であれば、このようなことなど決して言わなかった筈だ。大吾はこのような否定の言葉を受け、どう思ったのだろうか。
「ま……待ってくれ、峯……」
すると大吾の瞳からぼろぼろと涙が流れてくる。それは雨垂れのように流れ、大吾の整ったスーツジャケットや清潔な床に落ちていった。だがそのようなものを見ても、もう何も思わない。突き放すことを言ったここや、人をこうして泣かせてしまったなど。
そのような大吾に追い打ちをかけるように、左手であるべき筈の右手を指差す。
「貴方ならば、分かりますでしょう?」
「……ッ!」
大吾が何か言いたげであったが、かける言葉がどうにも見当たらないらしい。俯き、相変わらず涙をぼろぼろとこぼしている。
「お前が……俺は、生きてくれているだけで、良かったんだ。だから、そんなことを言わないでくれ……」
遂には嗚咽を吐く大吾だが、それでも冷たい視線を送ってしまう。もう、大吾のことを兄弟となどと見なしていないのかもしれない。
「俺は……私は、貴方の目の前には二度と姿を現しません。なので貴方も、二度と私に会わない出下さい」
「い、嫌だ、峯……! 峯……!」
すると大吾がこちらに寄り、体を抱き寄せてきた。ふと煙草の匂いがしたが、やはりこの場では相応しくないものだ。顔をしかめると同時に、力の入らない左手で大吾の体を退けようとした。
しかしそうなってはくれない。力不足ということもあるが、大吾が抱き寄せてきた力があまりにも強いのだ。
「やめてください」
抑揚のない声で言うが、大吾は聞いてくれない。
すると早く拒否をしたいというのに、啜り泣く声が近くなりつい揺らいでしまう。分からない、分からないのだが、大吾のその声を聞いていると調子が狂ってしまう。意識をしなければ、拒む左手がぼとりと落ちそうになっていた。
「なぁ、峯……」
泣く声が落ち着いた頃には、着ている寝間着や包帯の一部が濡れていた。これは全て、大吾の涙によるものである。
皮膚が湿る感覚に驚きながら再び体を引かせようとしたが、やはり大吾がぐいぐいと引っ張ってくる。離してはくれない。だからと言って体を更に引かせようとしたが、全ての筋肉が落ちていた。大吾から離れることは、今の自身ではできなかった。
ショックと共に大吾を睨むが、こちらを見てくれない。なので「離してください」と言うと、こちらを見た。遂には鼻水を垂らしているのか、鼻を小さく啜っている。
「そんなこと、できるかよぉ……! 峯ぇ……!」
顔が真っ赤になり、相当に涙を流しているのが分かる。しかし峯の心はそれでも揺らがない。次第に大吾を冷たい目で見ていくと、目が合った。
「俺は、俺は、峯、お前のことを、まだ兄弟だと思っているからな……! そして、頼りになる奴だと、思っているからな……! だから……!」
大吾が言葉を続けようとしたところで、扉が開いた。スーツ姿の男が立っており、片手に携帯電話を持っていた。見たところでは、大吾に必死に電話をしようとしていたところなのだろうか。
「六代目! 次の商談まで……六代目!?」
東城会の六代目会長が、入院患者に縋り付いて泣いていた。このような光景は、スーツ姿の男にとってはあり得ないのは当たり前だ。瞳孔をかっと開く。
「いや、これは……俺は感動をしていただけなんだ! すぐに行く!」
ハンカチを取り出し顔をごしごしと拭いた後に立ち上がる。そしてスーツ姿の男の元に向かったが、その瞬間に胸が痛んだ。つい胸を押さえてしまっていると、大吾が振り向いた。手を下ろす。
「また、来るからな……」
「六代目、早く」
「分かった」
スーツ姿の男がすぐに扉を閉めようとするが、そこで自身の名前など知っているのだろうか。ギロリと睨まれた。まるで「裏切り者」だとか「死んでいないのか」などと思われているのだろう。だが今の自身には何も効かない。
そこで扉が閉まると、小さく走る足音が聞こえた。すぐに遠くなると共に、病室には一人きりになった。太陽の眩しさがそこで再び主張してくる。
「太陽など……」
呟いてからブラインドを閉めたくなった。しかしこの体では自由に開閉することができず、ひたすらに睨むしかない。
いっそのこと看護師でも呼ぼうかと思ったが、自身のことを大切な患者を扱っている態度ではない。舌打ちをしながら、外の風景を渋々見ていた。
※
また夢を見ていた。内容は前回の続きである。
大吾には想いを寄せている相手が居り、そして距離の詰め方を自身に聞いていたところだ。場所はバーであるが、前回とは違う点がある。手元にあるのははウイスキーのロックではなく、何かのカクテルであった。色は桃色をしており、自分らのような者たちにはあまり相応しくないと思える。だが大吾はそれを美味そうに飲んでいた。
「そうですね……私としては……」
大吾への答えなど考えていないが、口が勝手に動く。そしてカクテルの入ったグラスを手に取ると、ゆらゆらと揺らした。今度は夢の中であるというのに、不思議と匂いがした。甘い匂いがする。
「ひたすらにアタックしてみる、とか」
言い切った後にカクテルを口に運ぶと、それもまた匂いと同様に甘かった。
だが自身は顔をしかめることなく、喉にどんどん通していく。遂には飲みきってしまうと、大吾に向けて笑みを浮かべた。
「はは、俺にそんなやり方が、できるだろうか。峯のような、男前だったらできるかもしれねぇが……」
大吾が軽く笑うと、同様にカクテルを飲みきる。口を離した直後に「甘い」と言うと、笑みを返してくれた。
するとどうだろうか。その瞬間に、どきりと心臓が動いた。
「ん? どうした?」
「い、いえ……これはあくまでも、私からの意見でしかないので、あまり真に受けないで頂ければ」
先程の心臓の動きのせいなのかは分からないが、口の自由が少しは得られるようになった。つまりは、夢という名の幻覚の中で、大吾と会話ができるようになったのだ。
しかし今の心境では嬉しくも何ともない。寧ろこのまま現実に引き戻して欲しい。右手を失い、そして体が怪我により動かないという、絶望的な状況の方がまだ良いと思えるのだ。
「峯……そろそろ帰るか?」
「はい、そうしましょう」
当たり障りのない返事をした後に、体を動かしてみる。簡単に動いたが、右手があることを忘れてしまっていた。つい左手をテーブルにつけて立ち上がるが、大吾には何も気付かれていないようだ。
「……そうだ、峯」
「はい?」
会計をするためにバーテンダーを探すが見つからない。なのでどうすればいいのだろうかと思っていると、大吾が話しかけてきた。
振り向くと当然のように大吾が居るが、口を閉ざしている。謎でしかない行動に、首を傾げた。
「あの……」
「なぁ、知ってるか? 夢って、誰かと一緒に見ることができるらしいぜ」
「それは……?」
怪訝な顔で大吾に問うが、当の本人はただ笑っていた。これ以上は、何も言う気がないらしく。
大吾の発言が少し気になるが、会計をしなければならない。そこでカウンターの中の壁にドアがあることに気付いた。
なので軽い会釈をしながらカウンターに入ると、そのドアに近付く。近付いてみれば普通のドアで、何か物音がする気配もない。休憩でもしているのだろうかと、ドアノブを動かす。簡単に動いた。
なのでドアを開けた、その瞬間に夢が終わってしまっていた。
※
目を覚ますとやはり病室であった。
先程の夢は奇妙でしかないものだが、引っ掛かる場所が幾つかある。しかし夢というものは、覚醒と共に忘れていくものだ。なので次第に忘れていくと、体を起こす。繋がれた点滴は新しいものに変えられており、包帯も同様だ。眠っている間に看護師がしてくれたのだろう。
そういえば、自由に歩けるまでどれくらい時間が掛かるのだろうか。看護師は何も言わないのだが、聞いてみるのもいいかもしれない。だが次はいつここに来るのだろうかと思ったが、答えはすぐに出た。ナースコールをすればいいのだ。なのでナースコールのボタンを押そうとした。そこで軽いノックが聞こえてから扉が開く。入って来たのは、看護師である。ちょうど良すぎるが、たまたまなのだろうか。体をゆっくりと起こすが、激しい痛みが走る。
「点滴の確認をします」
「はい」
事務的な言葉を掛けた後に、看護師は繋がっている点滴の袋を確認する。そして注入量は適切の状態か確認し終えると、持っているバインダーに書き込む。
「あの、私は、いつ退院ができますか?」
「貴方の治療費を払っている方次第です」
驚きの言葉を聞き、看護師の顔をじっと見る。しかし看護師は、何も妙なことを言っていないという顔をしていた。
そして自身の治療費を払っている人物、思い当たる者は一人しか居ない。大吾である。
腹の中で熱いものがこみ上げると、それは怒りに変わった。だがそのような自身を見て、看護師は何も思わないらしい。バインダーを下げてから、扉に歩いていくと「失礼します」と言って退室した。
一人になると、またしても怒りが湧いてくる。大吾は自身を侮辱でもしているのか、或いはこれ以上生かして何がしたいのか。
それらを考えていると、またしても扉からノック音がした。今度は大吾なのだろう。そう思えたのでまずは扉をする鋭く睨む。
「峯……」
やはり大吾であった。なので睨むことを止めないでいると、大吾が再び名を呼んだ。何かを言う前に、それを遮るように口を開く。
「どうして私のような人間の治療費を払っているんです? 俺はもう、生きる気はないのに」
すると大吾が歩み寄って来たかと思うと、頬を叩かれた。痛みで分かったのだが、どうしてそうされなければならないのか分からない。再度睨もうとすると、大吾から珍しい怒号が飛んでくる。思わず、圧倒されてしまった。
「ふざけるな! 俺が、兄弟の契りを交わした俺が、生きて欲しいって思っているんだよ! お前にはまだ、これから報われねぇといけない奴なんだよ! お前には、まだ、幸せになる権利があるんだよ!」
言い切った大吾は息を切らしていた。そして大吾の声は鼓膜が破れそうなくらいに大きい。騒音レベルの声量だ。
そして表情はかなり怒っており、いつもの大吾が別人かのように思えた。なのでひたすらに圧倒されていると、怒りを出す糸がぷつりと切れてしまったらしい。息切れをしながら脱力をすると、涙を垂らす。
「だから……峯……」
先程の怒りは、すっかりと消えていた。大吾の顔にあるのは、いつもの優しいものだ。
しばらくぽかんとしていると、何故なのかは分からないが涙が溢れてきた。この涙は何なのだろうか。大吾の言葉に感動でもしたのだろうか。自身に問いかけてみるが、心臓の音がうるさいだけだ。
すると二人の間にしばらくの沈黙が走るが、この沈黙が痛いと思えた。この後、どう思えばいいのかが分からなくなる。空調が効いているというのに、汗が噴き出す。止まらない。
「……峯」
再び大吾が名を呼んだ。その声はとても苦しげで、何かの痛みに耐えているようだった。
そこで大吾との様々な思い出が頭の中を無意識に過る。そもそも、どうして大吾と兄弟の契りを交わしたのか。次に大吾と同じ世界に入ってからの、様々な楽しいと呼ぶべきか。それらの思い出が流れる。
思えば、人生で初めて生きていて良かったと思えたのかもしれない。基本的には、幼い頃からの野望を叶えて金に囲まれていた。その中でも唯一気さくに接してくれた大吾が、失礼かもしれないが友人のように見えた。
自身は、そのような大吾に一生仕えたいと思えたのだ。この思いを忘れていた、どうしてなのだろうかと考えるが何も分からない。いつからこの思いが消えてしまっていたのだろうか。病院の屋上で、大吾のことを不信になったときからなのだろうか。
一粒の涙が頬を伝うと、すぐに布団に落ちていった。その粒を左手で追うが、既に布団は湿っている。だがそれでも、掬うように追っていった。
「……ッ! 六代目……! 私は……俺は……!」
視界が歪んでいきながら大吾の方を見れば、近付いてくるのが分かった。そして軽く抱き締められる。煙草の匂いがよくあるが、それが自身のことを思ってくれていた証拠なのだろうと考える。煙草を吸いながら早く目覚めてくれるように、早く体が動くように。
「名前を変えてになるが、やり直そう。また人生をやり直すんだ。大丈夫だ。お前の遺産は俺が貰ってたから、金のことは心配するな」
犬のように頭をぐしゃぐしゃと撫でられ、ただえさえ整えられていない髪が乱れる。しかしそれよりも、溢れる涙で一杯だった。唯一ある左手を伸ばすと、大吾の体を少しでも包む。
「俺が退院させると言ったら退院できるが、治療はどうする? まだ怪我したところが痛いか?」
甘えてもいい。そう感じると、大吾の質問に頷く。
「そうかそうか。分かった。じゃあ、もう少し様子見しよう……俺も泣いてしまいそうだ……」
目頭を押さえた大吾は首を振ると、どうにか涙を堪えていた。だがこの場には自身と二人きりなのだから、涙を流しても良いだろう。そう思っていると、大吾の懐から電子音が鳴った。部下が用事で呼び出しているのだろう。
大吾は今の自身とは違って忙しい身だ。仕方が無いと思いながら、伸ばした左手を解く。大吾が携帯端末を取り出し、通話を始める。
「……あぁ、あぁ、分かった。今行く」
数回の返事の後に通話が終わると、大吾が眉を下げながら言う。
「すまん峯、急な用事ができたから、また明日、かもしれないがまた来る」
「はい……」
ようやく涙が引くと、代わりに再び左手を伸ばす。そして乞うようなポーズをしてしまうと、大吾が「すまん」と言いいながらも、手を握ってくれた。暖かい。
「じゃあ、また」
大吾の言葉には、大きな希望があった。再び来てくれるということが、よく分かるのだ。なので頷くと、二人の手が離れる。そして大吾が踵を返すと、病室を出ようとした。
もしも自身の体が動いてくれるのならば、大吾を引き留めることができたのだろう。声だけでは頼りない、そう思いながら、扉を閉める大吾を見送った。
病室に一人きりになると、急に寂しい思いが募ると思いながら。
あれから何度も日が過ぎていった。毎日欠かさずではないが、大吾が病室を訊ねて来てくれる。やはり立場故に忙しいのか、時間は数分から十数分のみの面会だ。それでも大吾が来てくれるだけで、鬱々しい気分は少しは晴れた。
体の方は、骨が折れている状態である。完治するまではあと数ヶ月掛かるうえに、リハビリも必要だ。
大吾の隣にでも立てるまで、あとどれくらい掛かるのだろうか。そう思いながら、ベッドから窓を見る。だがこの景色を見るのは飽きたのだが、そうは言っても大吾にわがままを言う訳にはいかない。
人間はどれくらいの暇に対してのストレスに耐えられるのか。そう考えながら日々を過ごしていった。
※
「峯……暇じゃないのか?」
ある日の夕方に大きな荷物を持った大吾がそう言ってくれたのだが、中身は何なのだろうか。ボストンバッグくらいの大きさの手提げを持っている。外から見れば、何か角張っているような物が入っているような気がする。
暇に対するストレスがそろそろ限界に達していた。しかしこれを大吾に話すべきなのだろうか。考えていると、大吾が再度同じことを言う。
「おい、聞いてるか? ずっとベッドに寝ていて、暇じゃないのか?」
大吾からの圧が掛かったような気がする。ここでも甘えてもいいのだろうか。そう考えていると、次は無言でまじまじと見てくる。観念したので「はい」と答えた。大吾は納得したような顔をすると、次には笑顔で持っている手提げを見せてくれた。
もしや、これをずっと見せたかったのだろうか。そう思うと、意地を張っていた自身が情けなく感じた。
「……これは?」
「本だよ。お前が読みそうなものを選んだ。暇だったら読んでくれないか?」
「本ですか。いいですね。ありがとうございます」
手提げを受け取ることは、今の体では難しい。なので頭を下げると、大吾がベッドに備え付けてあるテーブルを出してくれた。そしてその上に、手提げの中身を出していく。
「どうだ?」
自信ありげに本を並べていくが、全部で五冊の文庫本があった。五冊もあるうえに、ページ数は少ないのか薄めの本が多い。これならば自身でも読めると、嬉しくなった。大吾に微笑みを向ける。
「今の私でも、読めそうですね」
そう言いながら左手を伸ばす。並べられたうちの一冊を手に取るが、少し重いように感じた。しかしこれもリハビリの一環だとすぐに思うと、どうにか手に持って見せた。大吾が喜んでくれるが、その直後に床に落としてしまった。何秒も持つことはできないのか。
どうしてなのか大吾が謝りながら拾ってくれるが、謝るのはこちらの方だ。なので大吾の目を見て謝った後に、次は手で本を開いてからテーブルに押しつける。この状態ならば、楽に本を読むことができそうだ。
「よかった……そうだ、これを読んだら感想を聞かせてくれないか。空いている時間に少しずつだが、俺も読んでみようと思う」
「はい、分かりました」
何と贅沢なことなのだろうか。誰かと平凡な話題を共有できる日が来ようとしていることなど、覚えがほとんどない。
すると腕時計で時間を確認した大吾は、目を見開く。もうじき、ここを出なければならない時間になったのだろう。
「あぁ……すまん峯。もうそろそろ行かないと……じゃあ、俺はここで」
軽く手を振ってくれると、反射的に手を振り返した。そこで「あっ」と声が出ると、聞いた大吾がくすくすと笑っている。
「いえ、先程のは……」
「大丈夫だ。それに、お前との上下関係はもう俺にはいらない。気楽に接してやってくれ」
「しかし……」
言ったところで黙ると、一つ頷いた後に「努力します」と返す。大吾が再び笑っていると、懐にしまっている携帯端末から音が響く。タイムアップが来ると、大吾は急いで「じゃあな」と言って病室を出る。近くに部下が待っていたらしく、少しの会話が聞こえていた。
大吾から受け取った本を再び開く。どのような本かはよく見ていなかったのだが、見ればミステリーが多い。大吾はこのようなものが好きなのだろうかと思いながら、ゆっくりと読み始めた。
気が付けば一日で本一冊を読み終えてしまっていた。思ったよりも暇に対するストレスがあったことを知る。
途中で食事を挟んでいたが、食欲はないが本を読む気力はあった。なので食事を今の自身としては急いで済ませると、次の本を開いて文字を追う。そして次第に追っている文字からシーンを連想できていると、手が限界を迎えるまで読んでいた。
五冊全てをたったの二日で読み終えると、どうにか手提げに本を全て戻してから大吾に伝える。あまりの早さに驚いた大吾は、本と自身への視線の往復を何度もしていた。
「時間を持て余している身分なので」
「……だが、いいリハビリにもなっているだろ? 次の本を、明日までに手配していよう。すまんが、同じ本を読んでいてくれ。俺が読むまで、ネタバレするなよ」
「分かりました」
大吾が「本は出しておいた方がいいか?」と聞いてくるが、首を横に振った。
「あぁ、大吾さん。読んだ本は全て面白かったです」
軽い感想を言うのを忘れていたので、自然と頬を緩めながら述べる。すると、大吾の顔がほんのりと赤くなったような気がした。嬉しいからなのだろうか、或いは自身を相手に照れているのだろうか。どちらかは不明だが、大吾がプラスの感情になってくれているのは確かである。
「そ、そうか……良かった。何か、読みたいジャンルはあるか? あれば、なるべく探して来よう」
大吾がそう申し出てくれるが、特に読みたいジャンルなどない。なので「ありません」と言った後に言葉を続ける。
「大吾さんが読みたいもので、俺は大丈夫です。俺は何でもいいので」
「そうか……分かった」
すると時間になったのか、大吾が「またな」と言って病室を出る。
本のおかげで暇は潰せるようになったが、体はやはり動かせない。だが左手は思うように動かせるようになってきた。なので寝間着をずらして包帯がどれくらい巻かれているのか見た。
まずは上半身だが、まず思ったのは痩せこけていることだ。あれほどあった筋肉は跡形もなく消えてしまい、皮膚の下から骨が浮いているのが見える。
金以前に何も無い幼少期の頃を思い出す。すると嫌悪感や何もかもが辛かったことを思い出し、呼吸が荒くなる。発作のように息がどんどん上がっていくと、動く左手で胸を押さえた。一瞬だけ、目覚める前の暗闇すら見える。
そして深呼吸をするように息をしていけば、次第に呼吸が落ち着いてくる。ふと大吾の顔を思い出せば、更に呼吸が正常に戻っていった。きっと、今の自身にとっての大吾は、唯一の生きる希望だからなのか。光だからなのか。
一つ息を吐いてから、再び自身の体を見る。胴のあらゆる部分に包帯やガーゼがあり、怪我は相当なのだろうと見る。
次にかつてはあった右手の付け根を見る。上腕二頭筋から下は切り落とされており、断面はガーゼで保護してある。まだ、切れた皮膚同士が塞がっていないからだろう。
本来はある筈の腕がない、改めて思うと絶望する起きてくる。だがこれは、自身が大吾を裏切った償いなのだ。今生きていることも、片腕がないことも全てが償いなのだ。脳にそれを刻むと、右腕があるかのように、左手で掴む動作をする。
「左手しかない俺に、何ができるのか……」
溜め息をつくと、柔らかいベッドに沈み込んだ。もう一度、大吾が持って来てくれた本を読もうか、そう考えたが今はその気にはなれない。自身の体を先程手で触れ、絶望をしていたからだ。
これから、退院でもしたら自身はどのように生きていくのか。どのような感情を持って生きていくのか。それらを考えながら、病室の見慣れた天井を見ていた。
※
数カ月が経過し、痛みは殆ど無くなった。その間に何冊もの本を読み、そして大吾に「面白かった」と言ったのだろうか。もはや、数えられない数字になっていた。
手はかなり器用に動かせるようになったものの、足腰はまだ自由には動かせない。だが目を覚ましているうちは、ベッドの上で一人で様々な動きを試みていた。寝ている状態から起き上がる動きが主ではあるが、リハビリにしては充分であった。立つことはまだ難しいものの。
そして病院側は、リハビリの補助をしようとはしてくれない。自身の状態を把握していてもおかしくないというのに。
看護師の補助が必要にはなるが、排泄や入浴などで車椅子には乗れるようになった。車椅子でまずは洗面台の前に立つと、自身は酷い顔をしている。髪は伸びきっていて乱れており、髭は生え放題。まるで浮浪者のようで、鏡を見るのが嫌になった。鏡から目を逸らすと、すぐに洗面台がら去る。
このような、だらしない格好で大吾と接していてくれたのかと思うと、自分自身への嫌悪感さえ湧いてくる。
髪は切れないものの、髭剃りを渡された。なので伸び放題であった髭を一気に剃ると、少しは身だしなみを整えられた。肝心の髪だが、これは櫛でとくことしかできない。これは左手のみで軽く結って放っておくしかない。
だが今の自身は、現在の状況に前向きであった。すぐ後ろには暗闇があるものの、前を見れば大吾という灯りがある。なので後ろなど決して見ることなどなく、ひたすらに明るさを見続けた。
するとそこで大吾が退院と下すと、病院側は退院の手続きを取る。夏が過ぎ、再び冬が来た頃だ。
自身の「ラベル」は「峯義孝」にはなっているのだろうか。いや、この状態と病院の態度では戸籍を「作った」のだろう。そう思っていると、大吾から身分証明書を渡された。名前は「鈴木太郎」と、テンプレートのような名前をしていた。病院から出た今日からは、この名前を名乗ることになる。
ベッドから車椅子に移動されたが、手足はやはり骨のように細い。自身の体だというのに、気持ちが悪くて仕方がなかった。その上に、暖かい膝掛けが乗る。一時的にそれは見えなくなった。
「……今は、鈴木さん、俺の家に住んでもらう」
部下ではなく、大吾が直接迎えに来てくれた。そしてわざわざ車椅子を押してもらうが、それを見ていた同行している部下が何か言いたげであった。しかし大吾を前にしているので、何も言えないようだ。
病室を出ると、そこで何故だか感動をしてしまう。病室から外は、何とも新鮮に見える。暖房が効いていないので、体に突き刺さる冷えで体を震わせた。
大吾が「寒いか?」と顔を近付けて聞いてくれる。優しさに心を暖められたので、首を横に振って嘘をついた。
「いえ、堂島さん」
前の名前を捨てたので、大吾のことをこれまでと同じ呼び方をすることはできない。なので名字を口に出すと、大吾が擽ったそうに笑う。
「堂島さんは止めてくれ。せめて、大吾にしてくれ」
「はい。ええと……大吾さん」
「あぁ、それでいい」
進んだ先はエレベーターであった。部下が押してくれると、地上一階に下りるがそこは一般人が居なかった。なので察するに特異な世界の人間が利用する、いわゆるVIP用だったのだろう。
見れば裏口に来ていた。正面玄関のような構造をしており、出ると様々な建物の裏側や側面が見えた。高い建物の隙間から寒々しい風が吹き、軽く結った髪が揺れる。すると次は大きく体を震わせた。それを見た大吾は「少し我慢をしてくれ、すまない」と言う。
「迎えは……来たな」
大吾がそう呟くと、広い駐車場から一台の高級車が来る。周りに車が泊まっているので、かなりゆっくり走ってきていた。
目の前にぴたりと止まると、ドアが勝手に開く。部下がいそいそと何やら出すが、これはスロープだ。すると大吾が車椅子を押し、そのまま入ることができた。
ここまでこの車は広かったのかと思ったが、よく見れば見慣れている車種とはデザインが違う。もしかしたら、自身の為にわざわざ変えたのだろうか。
運転手側に車椅子が収まると、その隣に座席があるので大吾が座る。ドアが閉まると、車が発進した。
「……み、鈴木さん、ここから俺の家までは、少し時間がかかる。ここから出るとなると、表の道路に出るまで遠回りしなくてはならないんだ。車椅子に座っているのは慣れないかもしれないが、我慢してくれ」
「はい」
二人がそのような会話を終えた後は、しばらく無言である。何やら大吾はソワソワとしていたが、話しかけてくることはなかった。
一方の自身は何を話せばいいのか分からなくなる。最近の東城会の動きについては、勿論聞くべきではないのは分かっている。それであったら、何を話せばいいのか。大吾とは、これまで東城会のこと以外で何を話していたのか全く思い出せない。
そう思っている間に大吾の家のマンションに到着してしまった。大吾が咳払いした後に「じゃあ、行こうか」と言い立ち上がった。ドアが開くと同時に、運転手がスロープを設置してくれていた。なので大吾が車椅子を押し、車から降りる。
車から降りた後は、運転手が「お気を付けて」と言った後に運転席に戻る。そして車は去って行った。
見上げるマンションは変わらなかった。以前に何度か訪れたことがあるので、部屋はどこか分かっている。
車椅子が揺れながら、マンションに入る。エレベーターに乗ると、最上階へのボタンを大吾が押す。
そこでようやく会話の糸口を見つけられたので、後ろを向いて大吾に話しかける。
「……寒いですが、大吾さんは体調を崩されてはいないでしょうか」
すると車椅子から手を離した大吾が正面に立ち、中腰になってくれた。大吾の身分の者にそうされるのは初めてで、何だか畏れ多いように感じる。
「ん? 大丈夫だ。外にずっと出ていることもあるが、うちの者が気を遣ってくれているおかげでな。そういう……鈴木さんは、体は痛まないか?」
首を横に振ると、大吾が「よかった」と笑顔で言った。そこでエレベーターが止まる。目的の階に到着したようだ。静かに扉が開くと、大吾が背を伸ばしてから背後に回る。車椅子を再び押してくれた。
綺麗にされている廊下を歩くと、部屋の前に着いた。大吾が懐からカードキーを取り出すと、扉にある機器にかざした。解除音がすぐに聞こえるので、大吾は車椅子から離れてからドアを開いた。そして車椅子の後ろに戻ってから押してくれると、ようやく中に入ることができる。後ろから、安堵のような息が聞こえた。
「……俺の家には、何回か来たことがあるよな?」
「はい、何度かあります」
まずは広い玄関を見た後に、すぐに大吾の家の大まかな間取りを思い出す。流石に寝室は入ったことは無いものの、ほとんど覚えていた。
するとこのまま車椅子が入るのかと思いきや、大吾が靴を脱いでからまずは家に入る。そしてすぐ近くの部屋に入ってから、何かゴトゴトと音がした。何を動かしているのだろうか。
「これ、俺の家の中用のだ」
大吾が見せてくれたのは、もう一台の車椅子だ。すぐに座れるように、開いてある。
「これに、しばらくは座っていてくれ」
「ありがとうございます、大吾さん」
頭を下げると、大吾が照れたように頭を掻く。礼を言われて嬉しいのだろうか、そう思うと自身まで嬉しくなってきていた。
だがそこで一つの問題が起きる。自身の体をその車椅子に移動させなければならないが、大吾は介助の仕方が分からないらしい。そこで考えると、まずは手は自由に動かせることを伝える。なので次に考えたことは、目の前の車椅子の座面に手をつけてから、大吾に体を持ち上げてもらえたらいいのではないか。
すぐにそれを提案すると、大吾は喜んで承諾した。今の自身にもはや、遠慮という文字が一時的に薄れてきていた。
言った通りにまずは自身が開いてある座面に手をつけた。以前のように鍛えた筋肉はないものの、数ヶ月の間に立つこと以外はできるようになっている。
それらを生かして、手を伸ばした。座面に手のひらを着地させることができると、腰に力を入れる。脚を震わせながら腰を上げると、そこで大吾が体を持ち上げてくれた。なので体が浮いた瞬間に、車椅子の座面に腰がゆっくりと下りる。室内用の車椅子への移動が成功した。大吾が膝掛けを再び掛けてくれる。
「ありがとうございます、大吾さん」
「いや、いいんだ鈴木さん。さっきのところで、痛いところはなかったか?」
大吾が優しく案じてくれると、首を横に振った。示した意思通りに、本当に痛みは無かったのだ。なので大吾が安堵をすると靴を脱がせてくれてから、車椅子を押してくれる。まずはリビングに向かった。
「まずは、ここがリビングだが、鈴木さんは、覚えていてくれているか?」
「はい、寝室以外は分かります」
「そうか、それなら話は早い。じゃあ鈴木さんの寝室を案内しよう。準備したんだが、少し狭いが我慢をしてくれ。すまんな」
詫びを入れてくれるが、大吾の言う狭いは恐らくは自身にとっては広いにあたるのだろう。少し笑いながら「ご冗談を」と返す。
リビングを出てから廊下を少し進む。そして一つの扉の前で止まると、ここが自身の寝室なのだろうと思った。
「ここが鈴木さんの寝室だ」
大吾が扉を開けてくれると、まずは白い壁に大きなベッドが目に入った。そして次に机椅子にクローゼットと本棚と窓がある。中でも本棚にはこれまで入院中に読んだ本が並べてあった。背表紙には、見覚えしかないタイトルが並んでいたからだ。
とても一般的な寝室をしているが、表に喜びを出そうとして抑える。今まで、病室で同じ風景を見ていたので飽きたこともあったのだ。このように、新鮮な環境に移動できたのが嬉しくて仕方がない。
それに大吾と共に生活をするとなれば、退屈などすることはないのだろう。やはり大吾のことは暗闇に現れた灯りである存在、という認識は変わらないのかもしれない。
「それで、鈴木さん。鈴木さんには、家事手伝いとして働いてもらいたいが……受けてくれるか? 退院したばかりで悪いが……」
「俺がですか? 家事といってもまだ、車椅子から降りられないのですが……それに、片腕しかありませんし……」
出された提案に疑問しかないので反論をすると、大吾が申し訳なさそうに首を縦に振る。
「……峯、お前には、これから少しでも真っ当に生きてもらいたい願いで、ここに連れて来た。お前が目覚めてから、俺のわがまましか言っていないが、頼む。少しでもいい。できるところまででいいから、してくれないか? 傍……いや……」
遂には自身の「鈴木」というラベルではなく、前の名前で大吾が呼ぶ。ということは相当な頼みのであるのだろう。家事をすることには抵抗などないが、どうして自身をやたらに括るのだろうか。
大吾とは兄弟となり、そして尊敬さえしていた。確かにその感情があったことは言うまでもないのだが、どうして大吾はここまでして自身のことを構うのだろうか。そこで光だと思っていた大吾に影が見え始める。
だがここまで来て断る訳にはいかない。入院しているときに、大吾の親切を受け入れたのだ。なので返事をしようとすると、大吾が中腰になって抱き締めてきた。まだ外で晒されていた名残があるので、服は冷たい。しかし人間特有の暖かさがじんわりと来る。思わず、左手で大吾の背中を擦る。
大吾は顔を伏せており、どのような表情をしているのかは分からなかった。しかし、どのような感情をしているのかは分かる。自身のことをあれほど案じていたので、きっと悲しんでいるのだろう。
「お前は……気付いていなかったかもしれねぇが……俺は……」
発せられる大吾の声には涙が含まれてきている。どうして泣いているのだろうと、背中を擦る手を止めた。すると大吾の顔がゆっくりと上がる。
瞳からは涙がぽろぽろと流れており、それが自身の膝掛けに落ちていた。そして大吾が手の甲で涙を必死に拭うと、少し強めに息を吸い込む。
「俺は、ずっと前から、お前のことが、好きだったんだ」
自身にとっては、驚きの一言でしかない。それに人の好きだという感情が、自分でも分からないのだ。ずっと、それとは無縁の心境で生きてきた故に。
すると前に見たような夢で、大吾が好きな人が居ると話していたことがあったことを思い出す。しかしあれは夢であり幻であり、現実ではない。自身の脳内のみで繰り広げられる話であり、現実にあってはならないのだ。なので無意識に首を横に振っていると、大吾が顔を近付けてくる。
「ずっと、好きだったんだ。だから、お前を助けて、死んだことにして、戸籍を変えて、お前の全てを、俺のものにしたいんだ……!」
「大吾さん……でも、俺は……その気持ちには……」
そこで自身は大吾のことをどう思っているのか考える。自身にとって大吾は、やはり光である。それ以外は何もない。だが光故に、遠ざかることは人間の本能からしてできる訳がなかった。
「俺は……大吾さんの気持ちには答えられません。かと言って、俺は大吾さんのことを嫌いにはなれません。拒否をすることができません。俺は……どうすれば……」
大吾の背中に乗せていた手を自身の頭に押しつけると、結っている髪をぐしゃぐしゃと乱し始める。まるでこれが、今の心を表現しているかのようだ。
「……だったら、俺のことを、少しずつ好きになって欲しい」
たった一言を返した大吾は、顔を遠ざけていった。そして未だに溢れる涙を拭うと、次は無理矢理に作った笑みを浮かべた。
「そ、それより、今は鈴木さんは体が動けるようになってくれ。今は、完全に家事手伝いをしなくていいから、大丈夫だ! あ、あぁ、そうだ。一応俺の寝室にも案内しておくから!」
何と人間は面倒なのだろう。互いに背中に背負っている存在であれば、人や自分の気持ちに振り回されずに済むというのに。
対して今は隻腕のうえに車椅子の生活を強いられている。この状況が憎い。そう思っていると、大吾の無理矢理に作られた笑顔を見て心臓がずきりと痛んだ気がした。自然と手を胸に当てる。心臓がどくどくと鳴っていた。この現象は何なのだろうか。
「ど、どうした……?」
その様子を見た大吾が必死そうに問いかけてくれる。
「いえ、何でもあありません。それより、案内をしてくれますか、大吾さん」
手を離してから返事をするが、大吾はまだ心配そうにしている。
「俺は、これから家事手伝いとして雇用して下さるのでは?」
「あ、あぁ、分かった。鈴木さん」
大吾の顔には悲しげなものが浮かび上がっていた。またしても心臓が痛んだが、次は何もない振りをする。そうしていると、大吾が後ろに回ってから車椅子を押してくれた。
部屋から出る際に大吾が自室の説明をしてくれるが、心の痛みを我慢しながら聞いていたのであった。この時は、大吾はどのような表情をしていたのかと思いながら。
大吾の家に様々な私物を置いた夜。とてもささやかな退院祝いとして、家で夕食を共にすることになった。明日は朝早くから夜遅くまで商談などがあるらしく、大吾はまたしても申し訳なさそうに話してくれる。その目元は赤く腫れており、昼間に泣いたせいだ。しかしそれから目を背けたい気持ちになる。
本日のメニューは他の家事手伝いが作った、大吾は肉などの定食になっているもの。そして自身は粥だ。どちらも冷めてはいるが、電子レンジで温めたら美味しく食べられることができる。
まだ大吾のような食事内容は無理だ。いや、これから粥のような刺激が弱いもの以外を食べられるのか。手足は細り、内臓が弱っている。
椅子に座り大吾とテーブルで向かい合うと、俯いてしまう。
「どうした?」
「いえ……何でもありません。大吾さんは、腹が減っていることでしょう。食べましょう。私のことはいいので」
室内の照明がよく食事を照らしてくれるが、食欲もまだない。そこで大吾が手を合わせると、腹が減っているらしく箸を素早く持って食べ始める。一般的に働き盛りの年齢なので、良い食べっぷりだ。とても美味しそうに食べている。
対して自身は粥に手をつけていくが、匙で米を掬っては口に運ぶだけの作業で辛い。それに大吾との会話がどうにも思いつかないので、二人は無言になる。大吾のことを相変わらず嫌っていないのだが、どうにも気まずい。
大吾とは話したくない訳ではない。確かに。大吾からの告白を受けて、何を話したらいいのか分からないのもある。今まで大吾からの好意に気付けなかった後悔と、その好意は受けていいのか。または自身は大吾のことをただ敬うべき相手と思っていて、その好意をどう思おうが、受けたとしても無下にするだけなのではないか。
そう考えていると、匙で粥を掬う手が次第に遅くなっていく。すると大吾は自身の動作をよく観察していたらしい。箸を止める。
「……鈴木さん、食欲が、無いのか?」
「いえ、そうではありません。少し、ゆっくり食べさせて貰いたくて……」
適当な言い訳を述べたが、大吾からしたら順当なものに聞こえたのだろう。すぐに納得をすると、再び箸を持った。
「……しばらくは、今までの家事手伝いにも家事をしてもらう。いきなり鈴木さんに全部を任せる訳じゃないから。ただ、今までの家事手伝いには、週に三日くらい来てもらうことになる」
「はい、頑張ります」
匙を動かしながらそう言っていると、大吾は食べ終えたらしい。しかし大吾は「急がなくていい。今夜はゆっくりしたい」と笑顔になってくれる。
椀に残っている粥はもう半分。このまま大吾の前で食べることになるが、そこまでいい気分ではない。だが考えながら食べる自身が悪いのだと、匙を持つ手を早めた。
「……前の体型に戻りたいので、家事の合間にトレーニングをしても大丈夫でしょうか」
このまま手足が細いままでは何とも情けないと思える。やはり何もかもに飢えていた幼少期を思い出してしまう。なので以前の鍛えた体で、心を強く持つことができたのだ。気は体から、などという言葉はないのだがそう思えた。
「ん? あぁ、いいが……無理はするなよ」
「はい、分かっております」
若干だが大吾が体を乗り出していた。それほどに心配をしてくれているのだろうか。嬉しい気持ちもあるが、それに甘えてしまえば自身はこのままの体なのかもしれない。なので内心で静かに意思を燃やした。
ようやく粥を食べ終えると、そこで気付いたがこうして誰かと共に食事をすることは久しぶりだ。入院してから数ヶ月、病室で一人きりで入院食を食べていたからだ。
それなのに、大吾と向き合って粥を食べている間にどうして気が付かなかったのだろうか。自身を強く責めた途端に、涙が出てしまう。
「峯!? おい、峯!」
大吾が素早く立ち上がると、こちらに駆け寄ってくれた。そしてわざわざ膝を折ると、視線を合わせてくれる。
「大吾さん、すみません、私は、大丈夫ですので……」
「そうか……? だが……分かった。鈴木さんが言うなら……」
大吾がすんなりと引いてくれると、再び椅子に座ろうとした。しかし互いに完食をしたので「私は完食しました」と言うと、大吾は椅子に座るのを止めた。
「風呂はどうする? 良ければ、手伝っ……」
「入浴は自分でできますので、お構いなく」
「わ、分かった……」
少しだけ眉を下げていた。自身に微かにある良心が痛むと、少しだけ補助をして貰おうとした。なので車椅子を動かす。
「……では、入浴前に、今着ている服の、ボタンを外して貰えますか」
衣服のボタンなど片手で外すことには慣れていた。だが少し困っているような素振りを見せると、大吾の顔が晴れる。
「あぁ、分かった。どうする? 先に入るか?」
「いえ、お先にどうぞ」
「分かった」
この家の間取りは分かっている。なので大吾が浴室まで歩いていくとそれを見送った。すると何もやることが無くなったので、与えられた自室にゆっくりと向かう。
片腕しか無いので、車椅子をあまり動かせない。後ろに大吾が居れば、と寂しくなったが首を横に振る。ずっと車椅子で生活する訳でもないのに。
そう考えながら自室に入るが、扉は閉めることはできない。なので。開けたままである。
自室は以前のようにシンプルであるので、居心地は今の時点でもいい。大吾ほど金や権力があれば、どの部屋にも様々な美術品が至る箇所に飾ってある筈だ。比べて大吾はそのような趣味はない。これは前から知っていた。
なので視界がうるさくなくて安堵をする。車椅子を動かしてから着替えを取って部屋の片隅に移動した。そしてしばらく室内を見るが、これから大吾と生活することになる。昼間に好意を告げられたが、その時はまともな言葉で断っていた。しかし今考えてみれば、あのように告白をされたのは初めてである。今までは、金が目当てで近寄る人間が多かった故に。
すると大吾からの告白が脳内で反芻されてしまうが、次第に心音が早くなる。心は喜んでいるのだろうか。だが自身は大吾のことは光だと考えている。それは変わらない。光を掌中に収めるなど、いいのだろうか。自身のような、何もかもを失った人間が。
残っている左手を弱く握るが、爪が皮膚に食い込むまではまだできない。それさえもできないのかと失望をしていると、大吾の声がした。
「鈴木さん」
「あ、はい」
ふと顔を上げると、風呂から上がったばかりの大吾が立っている。しかし髪を下ろした姿やそれに、軽装の姿など初めて見る。堂島大吾とは、本来はこのような姿をしている存在なのか。つい凝視をしてしまう。
「鈴木さん、どうしたんだ? それに、ドアを……いや、何でもない。ボタンを外すのを、手伝おうか」
「はい、よろしくお願いします」
「そこまで畏まらなくても」
軽く笑った大吾は、後ろに回り車椅子を押す。するとこうされている間が妙に落ち着くと感じてきた。ゆっくりと車椅子を押されること、そして大吾からいい匂いがする。顎を少し上げてしまっていると、脱衣所に着いた。
車椅子を止めた大吾が正面に回り、膝を折る。
「じゃあ……」
すると大吾が手を伸ばして着ている衣服のボタンを外し始める。ボタンは全部で五つあり、一つ目を外した。だがそこで、大吾が手を止める。
「……峯」
大吾の目が小さく笑い、見上げてくれる。その姿はどこにでも居そうな人間と変わらない。だがそれが、どうにも愛しく思えてくる。どうしてなのだろうか。つい左手を伸ばすと、濡れている髪に触れた。意外と柔らかく、指先に数滴の水滴が移る。
そこでハッとしてから、誤魔化すように口を開く。
「……ッ! か、髪を、きちんと乾かして下さい」
顔を逸らすが、視界の隅には大吾が見える。
「あぁ、すまない。鈴木さんの、ボタンを外したら乾かすから」
そう返ってくると、二つ目のボタンが外されていく。三つ目四つ目五つ目を外すと、自身の痩せこけた体が見える。大吾は顔を微塵も歪めようとはしない。何だか、それが嬉しく感じた。見ていて嫌だと思われていないのだと。
大吾が立ち上がった。そこで顔を大吾に向ける。名残惜しそうに見えるが、気のせいだと思いたい。だが気のせいではないのだ。再び心が痛むと、少し考えてから一つの提案をする。控えめな声を出す。
「……お手すきであれば、後で私の髪を乾かして貰えますか? こんなに、長いですが」
「勿論だ。あぁ、そうだ、着ていたものは洗濯機に入れておいてくれ」
大吾が即答してくれると、洗面台に置いてあるドライヤーを持って脱衣所を出る。扉を閉めてくれると、籠に衣類などを投げ入れる。そしてボタンが外れた服を脱ぐが自身で見ても、痩せこけた体は気持ちが悪い。眉間に皺を深く刻みながら下履きも脱ぐ。
言われた通りに洗濯機に脱いだものを入れると、見事に入った。内心でガッツポーズをすると、壁を伝って立ち上がる。前よりかは立てるようになった気がした。
時間は掛かったが入浴を終えると、次々と着替えていく。その最中に洗面台の鏡で背中の麒麟を見ようとしたが、どうしてなのか勇気が出ない。きっと貧相な体に不釣り合いなものになっているのだろう。今すぐ、背中の皮を剥がしたいとも思えた。だが我慢をする。大吾に心配を掛けるのは良くない。様々な思考の制御として、大吾の存在がある。なので着替えることを再開した。
脱ぐことは割とできるものの、着ることは難しい。なので必死に息を切らしながら着ていくが、これを大吾に見られたらと気が気でない。そこまでの介助をお願いしていないので、来ないとは思うが。
ようやく下着や服を着ることができると、ボタンを留めてから車椅子を動かす。その際にゴロゴロと音が鳴るのだが、それを慣らして数秒後に脱衣所の扉がゆっくりと開いた。音を聞いて大吾が来てくれたのだ。髪は乾いているが、やはり年相応の外見をしていることが分かる。
「鈴木さん、俺が押す」
「ありがとうございます」
大吾がすぐに後ろに回ってくれると、車椅子を押してくれた。
「リビングで髪を乾かそう」
「はい」
言う通りに、向かう先はリビングである。廊下を進んでからリビングに入ると、壁際で止まった。周りにはソファーやテーブルがあり、そのテーブルの上にドライヤーが置いてある。手に取った大吾は、温風を出してから自身の頭に当てた。風が温かいうえに、手で柔らかく触れられる。心地が良かった。長くなった髪が温風で揺れる。
思えばこうして人の手で髪を乾かしてもらうのもいつぶりなのだろうか。脳内で記憶を辿っていると、幼少期に育ててくれたおじさんがしてくれたことくらいなのか。そうしていると、ふと死んでしまったおじさんのことを思い出した。懐かしさと悲しさに、静かに涙が滲んでくる。
だが大吾には気付かれてはいない。背後に居るうえに、髪から垂れる雫だと認識される程度なのだろう。このまま涙を垂らすが、すぐにドライヤーの温風で雫が移動して蒸発してしまう。あっという間である。
「よし、これでいいな。乾いたぞ」
「ありがとうございます」
温風が止んだので振り返ってから頭を小さく下げると、その上に大吾の手が乗った。そして柔らかく撫でられるが、頭を撫でられた経験などほとんどない。なので目を見開くと同時に、先程流したばかりの涙が再び出る。次は大吾に見られてしまった。
「峯……」
すると大吾が前方に回ってから膝を床に着けた。そして痩せきった太ももに手を乗せる。
「言っただろう? もう、これからは生まれ変わるんだって。だから好きに泣いて、笑っていいんだ」
返事は何も思い浮かばない。しかし言葉は受け止めたのでただ頷くと、流した涙を大吾が指で掬い取った。
「……鈴木さん、今日は早く寝よう。退院してから新しい環境に来て、疲れているのかもしれない。自室まで送ろう」
「……はい」
腰を上げた大吾は後ろに回って車椅子を押した。だがその前に、自身は寝る前に睡眠薬を数錠飲まなければならない。それを伝えると、キッチンでグラスに水を注いでから渡される。さすがに、片手で車椅子を押すのは危ないと判断したらしい。
自室に入ると、睡眠薬を口に含んでから、グラスの水を喉に通す。口腔内に薬が残っていないことを確認すると、大吾がグラスを回収してくれた。
「ありがとうございます」
「いや、いいんだ。俺も寝る前に水を飲むから、これは洗っておくよ。ベッドに乗れるか?」
「はい。乗れます。ですので、おやすみなさいませ」
会釈をすると大吾が「おやすみ」と言ってから自室から出た。扉はきっとりと静かに閉めてくれて、どこから来たのか分からない安堵をしながらベッドの傍に車椅子を移動させる。
腰をゆるゆると上げてから立ち上がるような動作をした。そしてそのままベッドに落ちるように移動する。ベッドはそれなりに反発をするが完全には沈まないので、少しの痛みが体を襲う。
消灯はベッドサイドにあるリモコンでできるらしい。手を伸ばせば届く。なので消灯をすると布団を体に掛ける。
視界は底抜けの暗闇だが、不安はない。近くには光の存在が居ることが分かっているからだ。なのでいつの間にか、眠りについていた。睡眠薬がよく効いてくれていることもあるのかもしれないが。
大吾と共同生活と言っても、家に大吾は殆ど居なかった。立場故の忙しさがあるので仕方がないと思いながらも、寂しさが募ってしまう。
そこで自身はここまで寂しがり屋だと思っていたが、元々はこのような性格なのか。幼少期におじさんが死んでから更に狂っていたので、もう分からない。窓際に行き外からの風景を見る。この街が、何故だか綺麗に見えた。
しかし今やるべきことはこれではない。少しでも早く家事手伝いとしての仕事ができるように、まずはリハビリをしなければならない。なのでまずは車椅子生活から脱することができるように、全身になるべく力を入れて立つ練習をしていたのであった。
数週間が経過したが、車椅子はほとんどいらなくなった。代わりに杖をつくようになったが、まだまともに歩行できるとはいえない。
車椅子にほとんど座らなくなったおかげで、少しずつ何かできることが増えていった。例えば物の移動や持ち運びなど。
目覚めた当初は絶望をし、死にたいと思っていた。だがここまで回復でき、生きていることの嬉しさを感じることができる。何と素晴らしいのだろうか。しばらく動かしていなかった表情筋が、少し重い気がする。
治っていくのを見て、疲れている中でも大吾が褒めてくれていた。それは何にも代え難い喜びである。なのでか、リハビリが捗っていた。
そこから更に数週間が経過すると、車椅子は完全に不要になっていた。杖を床につける回数も減っていき、まともに歩けるようになったのだ。勿論、大吾がそれを祝福してくれる。
「今日は天気がいいし、外に出てみないか? 髪を切りに行こう」
すると大吾がそう提案してくれると、確かにこの長い髪は邪魔だと思っていた。なので頷くと、大吾が笑顔で手配をしてくれる。今すぐにでも、散髪をして貰おうと。
だが大吾は気軽に外に出ていいのかと思ったが、髪は下ろしたままで服装は地味である。もしかして、その状態で一般人に擬態でもするつもりなのか。今の自身では大吾のことなど守ることはできない。せめてできることと言ったら、肉の壁になることくらいだろう。
しかし今日は大吾は珍しく休みなのだろうか。それならば、このような自身に付き合わなくとも良いと思えた。そう言えば、大吾は「そんなことない」と言ってくれるだろう。いや、言ってくれる筈だ。
そこで気付いたが、自身はもしかしたら今の大吾に依存し始めているのかもしれない。この世で唯一、自分に寄り添ってくれる存在。これは好意を寄せている大吾の策という可能性もあるが、それでもいいと思った。やはり大吾のことは嫌いにはなれないからだ。
「ですが、貴方は……」
「大丈夫だ。部下が何とかしてくれる。俺は部下を信じている」
かなりの自信を持って大吾がそう言う。これは相当なものだろうと思ったと同時に、以前の名前で存在していた時も自身にそう思ってくれていたのだろう。それを考えると、鼻の奥がつんとなった。舌を噛んでこみ上げる感情を抑える。
そしてそれに応じると早速に玄関に向かい、靴を履いて少し足を慣らす。靴を履くことも一人で練習していたので、それを見た大吾から賛美の言葉がきた。
「ここまでできるようになったのか、偉いぞ」
「はぁ……ありがとうございます」
正直照れてしまう。だが嬉しいことには変わらないので、頬を指先で弱く引っ掻く。少し皮膚が痛い。
まずは靴をここまで履くが久しぶりであった。不思議な話だが、履き方を忘れているのではないのかと思った。しかし忘れてはおらず、きちんと履くことができたのだ。
玄関を出るが、これまでは玄関を出ることをしなかった。防犯上の問題もあるが、出てしまってもその先を歩くことができる自信がないからだ。
足を踏み出すと、廊下の硬い感覚でさえ新鮮に感じた。大吾と共に歩くが、腕を掴まれた。支えてくれているのだろうが、杖があるので転ぶ心配はない。それでも、転ばないのかと不安に思ってくれているのだろうか。大袈裟だと言いたいが、この大吾の親切心をありがたく受け取った。
「鈴木さん、エレベーターに乗るぞ」
「はい」
エレベーターに乗り、大吾がボタンを操作する。扉が閉まりすぐに動きだすと、エレベーター特有の浮遊感に体が大きく揺れる。それを見た大吾が慌てて両手で支えてくれた。礼を述べる。
「ありがとうございます、ただ、揺れただけですので……」
「あぁ、だがエレベーターに乗るのは久しぶりだろう?」
すると大吾が笑ってくれるが、励ましの意味なのは分かっている。それなのにつられて笑う。これもまた久しぶりの感覚だ。
「鈴木さん、久しぶりに笑えたじゃないか」
「えっ……?」
咄嗟に返事ができなかったので口をぽかんと開けていると、エレベーターが止まり扉が開いた。遠くの大きなガラスの自動ドアの向こうに見えるのは、かつては見慣れていた街の景色の一部である。
共にエレベーターから歩んでいく。ここまでの距離を歩いたのは久しぶりであるが、息切れを少ししている程度。だが大吾がそれを見かねて足を止めてくれた。歩みを再開するのを、穏やかな笑顔で待ってくれている。
どうしてなのか謝ろうとしたが、大吾が首を横に振る。遠慮など全くいらないと言いたいのだろうか。なので喉から出かけていた謝罪の単語をぐっと飲み込む。
何分も要してようやく外に出ることができた。思わず空を見上げてしまうが、相変わらず狭い空だ。
何週間も引きこもっていたので、外の空気は東京のものでも美味く感じられた。別に大吾の家の空気が悪かった訳ではない。人間とはやはり、自然の空気を求めるという当然の摂理があるからだ。
「鈴木さんと、こうして外を歩くのを、俺は楽しみにしてた」
「私もです」
変わらず大吾は腕を掴んでくれていて、そして周囲の行き交う人々は自身の杖を見るとサッと避けてくれる。人とは、ここまで優しいのだろうか。何十年も生きてきて驚愕をしてしまい、つい足を止める。
「……行きましょう。目的地までは、あとどれくらいですか?」
「あと五分もないぞ。大丈夫だ。お前の足でも、そこまで距離はない」
きちんと目を見てそう言ってくれるので、大吾の言うことを信じた。なので歩みを続けていく。
何度が立ち止まってしまったが、思ったよりも目的地に早く到着した。表通りから出てすぐにある。小さな建物を見れば理髪店と書いてあるが、古くから営業をしているのだろう。店の佇まいにどこか趣があった。
大吾に支えられながら入ると、ニコニコをしている店主が出迎えてくれた。馴染みの店かと思ったが、そうではないのだろう。店主は特に大吾をもてなしている気配がない。
他に客は居ないのですぐに椅子に通される。大吾が椅子に座るまで支えてくれると、持っていた杖を取ってくれた。
店主がすぐに散髪の準備に取りかかる。大吾は待っている間に待機用のソファーにゆっくりと座った。こちらからは鏡で姿が見えなくなり、どうしてなのか少し不安になる。
目の前には大きな鏡があるが、自身の痩せた顔がよく見える。そして軽く結っている長い髪が肩に流れており、視覚だけでも鬱陶しい。
「本日はどのようにいたしましょうか。今回は、洗髪はよろしいですか?」
店主がそう聞いてくれるが、そういえばどう切ってもらうか考えていなかった。だが単純に短くして欲しいと言えば、店主は応じてくれるのだろうか。なのでそれを言ってから洗髪を断ると、店主は嫌そうな素振りを見せずに「分かりました」と言ってくれる。深い安堵をした。
自身の姿を見るのが嫌なのもあるので目を閉じる。するとはさみで髪がばさばさと切られているが、感覚としては気持ちが良かった。髪を切ってくれている店主も、同じなのだろうか。
切られる感覚は最初はとても大まかであったが、次第に動きが繊細になっていく。少し目を開ければ、あんなにあった髪は短くなっていく。
するとどんどん以前のような長さになっていくと、あっという間に散髪が終わった。ドライヤーの風を当てて切れて残っていた毛が落ちていく。目をしっかりと開ければ、そこには髪だけはかつての自身が居た。
「付き添いの方、終わりました」
「はい、ありがとうございます」
店主が床を軽く掃いている間に大吾が立ち上がり、手を差し出してくれた。なので大吾の力を借りて立ち上がると、杖を持たせてくれる。
「ありがとうございます」
礼を述べると大吾が離れていくが、会計をしているようだ。一般人のように千円札や硬貨を数枚出して払っている。一般人になることを徹底しているのか。
支払いを終えると店を出た。すると街を見る目が変わったように思える。あれほど鬱陶しかった長い髪は無くなり、視界が開けた。狭い空を見上げれば晴れており、そして隣には大吾が居る。
何と幸せなのだろうか、そう思ったところで疑問が湧いた。この状況が幸せとは、何なのだろうか。大吾のことが好きだとでも言いたいのだろうか。
「鈴木さん……鈴木さん?」
大吾が何度か呼びかけてくれたが、そういえば自身の今のラベルは「鈴木太郎」だ。そこでハッとしたので、控えめに返事をする。
「は、はい!」
「……ずっと椅子に座らせて悪かったな。さて、そろそろ帰ろうか。鈴木さん、疲れていないか?」
頷く返事をしようとした。そこで先程の幸せの感覚を、どうにも忘れられなくなっていく。このまま大吾と街を歩いていれば、幸せは続くのだろうか。しかし大吾はこれ以上は外に出ていては危険だろう。すぐさま思考を切り替えると、頷いた。
だがせめて家に帰るまでは先程の幸せを、再び感じていたいと思った。なので大吾の腕を払うと、寧ろこちらから掴む。初めて行う動作であるが、掴んだ大吾の体はやはり逞しい。
「鈴木さん……」
大吾は何を思ったのだろうか。頼ってくれて嬉しいと思ってくれているのだろうか。どうしても気になってしまい、一歩足を進めてから呟く。
「大吾さん、俺は、幸せなのかもしれません」
「峯……?」
一瞬だけ大吾の腕に力が入ったが、これは気のせいではない。力が入り、腕がより太くなる。
「いえ、何でもありません。行きましょう、大吾さ……」
そこで大吾が体を引き寄せてきた。当然のように自身の体が大吾の体に寄っていくと、逞しい体にぶつかる。
見れば大吾の顔は、好意を伝えてきたようにまっすぐな目をしている。その目に、深く取り込まれそうだった。それくらいに、自身としては引き込まれる瞳をしている。
「峯、俺は……いや、何でもない。帰ろう鈴木さん」
大吾の顔は何か言いたげな模様をしていたが、ここは家の外である。いつまでも突っ立っていてはよくないとでも思ったのだろう。なので大吾が口を閉じると、腕を優しく引いてくれる。普段の目に戻っていた。先程のは、ただの幻覚だったのだろうかと錯覚してしまう。
「すみません、大吾さん」
風がひゅうひゅうと吹いたが、揺れる長さの髪はない。それもあって、風を妨げるものが無く寒いと思えた。気付いてくれた大吾だが、首に巻くマフラーなど持っていない。
溜め息をついた大吾だが、代わりにと腕ではなく手のひらを掴んでくれる。手を繋いでくれたのだ。大吾の手にはトレーニングや銃の扱いなどでできた、厚い皮膚がある。それを肌で拾うが、これが大吾の手なのだと少し感動をしてしまう。以前は、手を繋ぐことなどあり得なかったからだ。
すると手が暖かくなりながら、二人は歩き出す。外は相変わらず人々が行き交っているが、こうして歩いたのは初めてなのかもしれない。誰かとこうして一般人として歩いたこと、そして隣に居る存在を見て幸せに思うことを。
杖の先端は順調に道を突き、そして足が進んでいく。
杖を突く機会は格段に減っていた。季節は春を迎えたが、大吾に限定をされているが散髪の際は出歩いていいという許可を得る。だが日が経っていくにつれて外出の範囲が広がってきていた。喜ばしいことだ。
そして自身の体の貧相さは次第に薄れてきていた。やがては腹に縦にうっすらとした線が入る。思うように歩けるようになり、食事量が戻ったのもあるからだ。以前のように筋肉隆々ではないが、このまま順調に戻っていくことだろう。
左手で器用に家事ができるようになり、本格的な料理はできないができるようになる。板についてきたのだ。なのであまりの嬉しさに、夜遅くに帰宅した大吾にできたことをわざわざ報告までもしていた。大吾は疲れた顔をしていたが、報告を聞くなり本当に疲れが飛んでいるように見える。それが嬉しく、毎日が楽しくなってきていた。
だがそのような幸せの中にも苦悩がある。それは大吾への気持ちだ。共に暮らしていくと、隣に居ることの幸福が増していく。これは、大吾のことがやはり好きなのだろうか。いや、大吾の下に仕えることができることによる、忠誠心の増大なのだろうか。
どちらもあり得るが、毎日考えていても分からない。もう一度、久しぶりに散髪をした後のように、大吾に幸せだと伝えるべきなのか。しかし伝えたとして、大吾の想いはまだあるのかは分からない。それに応えることができるのだろうか。もしもまたしても応えられなかったら、大吾は傷つくのだろうか。
大吾をこれ以上傷つけたくはない。なのでその想いを封じながら、日々を過ごしていった。
※
ある春が過ぎた日の昼間のことである。この日はいつものように残った左手のみで家事をしながらトレーニングをしていた。体にはまだ薄い筋肉しか無いが、自身としては見栄えはいい方である。
今日は珍しく昼間に大吾が帰ってくるが、次の日までは予定がない。なので家事を普段よりも入念にしていた。大吾がここまで家に居ることは滅多にないからだ。
部屋の掃除を終えたのでチェックをしていると、こちらに向かって走る足音がしていた。大吾が帰って来たのだろうと見れば、やはりそうである。少しスーツが乱れているが、短時間の仕事でも疲れたのだろう。
しかしどうにも真剣な顔をしているが、どうしたのだろうか。
「……少し、いいか」
「はい?」
何なのだろうか。服の右の袖をはためかせながら、大吾の元に向かう。その足取りは、とてもしっかりしていた。
「……峯、やはり、お前のことが好きだ」
そう言って大吾が抱き締めてきたが、大吾の心臓の音がどくどくと鳴っているのが分かる。大吾としては、一世一代の告白をしているような気分なのだろうか。しかしこうして再度告白されたのはしばらく無かったので動揺をしている。
大吾がこちらを抱き締める力が強くなるが、どう返事をすればいいのか分からない。今度は大吾からの想いは嬉しいと思える。しかしよりによって、どうして自身のような人間を好きになるのか。今の自身に、魅力などあるのだろうか。今回はそのような疑問が浮かんできた。
「私は……」
やはり今回も断るべきだろう。しかしこのまま断ると居場所が無くなる気がした。だが今は死ぬのがとても怖い。それは何よりも、大吾から離れてしまうからだ。
「少し前に、言ってただろう? 幸せだって。それは、俺のことを好きでいてくれてるからだと思う。峯、そうなのだろう?」
大吾にそう言われると、そのような気がしてきた。そうだ、自身は大吾のことが好きなのだから幸せなのだろう。しかし、片腕も何もかもがない自身とはあまりにも不釣り合い過ぎる。
そう思っていると、大吾の体が離れていく。顔は真剣そのものだ。
「私は……」
「峯」
真剣な眼差しを向けられると、胸が疼いてくる。この気持ちは何なのだろうか。これが本当の恋であり、人を本気で想う瞬間なのだろうか。
唇を薄く開いたところで、声を出そうとした。
「私は……」
同じ言葉を発したところで、ようやく素直になれた気がした。そうだ、今まで持っていた感情は全て大吾への恋心なのだ。自身としては光であることも含めて。
「私は、大吾さんのことが好きです」
言うことができた瞬間に、涙が雨粒のように流れてくる。そうだ、自身はようやく報われたのだ。
「峯……!」
大吾の目には笑みが浮かぶと、そのまま抱き寄せられる。そして顔が近付いていくと二人は自然と唇を合わせた。ほんの一瞬であるが、合わさると大吾のことが更に好きになってしまう。この想いはもう止まらない。
「大吾さん……!」
すると左手を伸ばしてから大吾の腰に触れる。大吾が小さく驚いたのか、体がびくりと跳ねた。その反応が可愛らしいと思い、更に手を動かしていく。下へと移動させて尻を少し触ってみれば、大吾から微かな悲鳴のようなものが聞こえた。
「ひゃっ!?」
「どうしました、大吾さん、ここを、触られるのが、お好きなのですか?」
悪戯をするようにそう訊ねながら、次は自身から唇を合わせた。大吾の唇は柔らかく、このまま食いそうになってしまう。
突然の事に大吾が目を閉じるが、その反応はまるで初々しい。誰かとキスをすることなど、何度も経験があるというのに。
「ん……分からない。峯に触られたら、体が……」
照れているのか顎を引いて上目遣いで見てくる。すると自身の中で何ヶ月も無かった雄の心が蠢く。これは、大吾に明らかに発情をしているのだろう。
心の中で確信を得ると、大吾の手を掴んだ。そして引いていくが向かう先は大吾の寝室だ。今から、大吾を抱こうというのだ。引かれて歩く大吾は戸惑ったものの、行き先を察すると黙る。
大吾の部屋に着くなり、すぐにベッドに共に倒れ込む。互いに体をくっつけ合うと、自身は久しぶりに勃起をする。あまりの喜びに大吾の体に押しつけると、再びキスをした。次は舌を突き出す。
「ん、んんっ!」
大吾の目が見開くが、次第に目が垂れていく。その様子が、何とも官能的に見える。突き出した舌で大吾の唇を割ると、そのまま捻じ込んだ。大吾の喉からは、くぐもったような音が鳴る。
「ん……んぅ、ん!」
大吾の舌を絡めれば、ぬるぬると擦り合っていく。気持ちがいい。そう思いながら顔の角度を細かく変えて、大吾の粘膜を舌で触れていく。
次第に互いの口の端から唾液が垂れていけば、今朝変えたばかりのシーツに吸い込まれていく。だがそのようなことはどうでもいい。それよりも、大吾の体をもっと堪能したいと思えた。どのようなものよりも、大吾の体が美味いのだ。
ちゅうちゅうと大吾の舌を吸いながら、左手で服を脱がせていく。だが片腕しかないので脱がせることはできない。なので大吾が胸を軽く叩いてくる。キスを止めた。
二人の髪は、シーツに押し付けられたことによりぐちゃぐちゃになっていた。特に大吾は、普段は整えられている髪が大きく乱れている。スーツの格好でそれは、滅多に見れない姿だ。興奮しない訳がない。
「んっ……俺が、脱ぐから……」
そう言って大吾はまずはジャケットを脱いでいく。ただでさえ自身は興奮しているというのに、大吾が服を脱いでいる姿というのはかなりの刺激になる。久しぶりに勃起した魔羅が膨らみそうになっていた。
「はぁ、はぁ……大吾さん、大吾さんが脱いでいるところを見ながら、一回抜いてもいいですか?」
「えっ?」
大吾は大きく動揺をしたが、股間の部分が膨らんでいるスラックスを見せる。またしても同様のリアクションをしたものの「峯がいいなら……」と承諾をしてくれた。すぐにスラックスや下着を下ろしてから、まずは勃起している魔羅を大吾に見せる。
「でかい……」
「大吾さん、俺が、挿れますので。いいですよね?」
そういえばどちらが挿入側なのか全く話し合っていなかったが、自身は大吾を抱く気満々だ。大吾の体を抱き、全てが欲しいのだ。
少し考えた大吾は、とても恥ずかしそうに頷いてくれた。なので喜ぶと共に魔羅を握る。久しぶりの自慰になるが、そのような大吾を見ただけで興奮が止まらない。
「今、脱ぐから、見ていて、くれ……」
足をもじもじとさせているが、大吾も同じく勃起をしてくれているのだろうか。そう思うと嬉しさが増す。魔羅を強く握って射精しないようにした。魔羅が痛い。
すると大吾が頬を赤く染めながら、ジャケットを脱いでいく。シャツが見えると体のラインが大まかに分かる。鍛えられていても、それは大吾の体である。さぞかしいやらしいボディラインをしていることなのだろう。
ジャケットを脱いでシャツ姿になった。腰の辺りのラインがよく見えるので、それを見ながら自身の魔羅を手で擦っていった。我慢汁がやがては出てくると、それを潤滑油にする。
ぬちゃぬちゃという音を立てながら魔羅を刺激すると、すぐに射精をしてしまう。咄嗟に手のひらに受け止めたが、若い頃のように濃い。思わず舌なめずりをしながら、大吾にそれを見せる。
「ほら、大吾さん。大吾さんのエロい体を見て、こんなに出しましたよ」
「ぅ……峯……」
大吾が手のひらを凝視してくる。しかしそこでティッシュで拭おうとすると、大吾が手を引いてきた。あろうことか、精液に塗れた手のひらを舐めてきたのだ。
さすがに驚いたので手を引こうとしたが、やはり大吾の方が力が強い。手のひらをぺろぺろと舐められていく。擽ったい。
すると精液をあらかた舐め取ったのか、大吾は満足そうに舌を引かせる。
「峯の、にがい……」
「当たり前でしょう」
軽く笑うと、もっと服を脱ぐように促す。だがこれ以上、大吾が脱いでいる様を見ながら自慰をしていては、抱くことなどできないだろう。なので自身も服を脱いでいく。それを見た大吾はネクタイを緩めてから抜き、シャツのボタンを一つ一つ丁寧に外していった。
「俺も、峯の裸が見たい……」
大吾がこちらを見てくれると、すぐに服を取り払った。こちらはもう全裸である。まじまじと見られるが、大吾に比べたらやはり細い体をしている。そこは情けないと思ったが、それよりも早く大吾と繋がりたい。その考えに集中すると、目の前を見る。
ボタンを外し終えたのか、シャツを取り払った。しっかりと鍛えられた体が剥き出しになると、それを凝視してしまう。今からこの体を、自身がたっぷりと可愛がるのだと。
そして次にスラックスを脱いでいた。股間部分は既に膨らんでおり、自身やこの状況に興奮してくれているのがよく分かる。口角を上げた。
裾から足が抜かれると、下着には染みができていた。なので「大吾さん……」と喜びながら名を呼ぶ。
「峯、俺も……」
最後に下着や靴下を取り払うと、ベッドの上の二人は一糸纏わぬ姿になる。そして今から肉同士でぶつかり合うのだ。
互いに全ての肌を見つめ合うと、大吾の体を押し倒した。だが左手だけでは体を支えられないので、膝を着いている。
大吾の目はこちらから見れば、情欲に溢れている。抱かれる覚悟もできたのか、浅く息を吐いていた。しかし今すぐに抱くことは勿体ないので、まずは大吾の肌を味わう。首元に、唇を寄せた。
「んんっ……」
大吾の体がびくりと跳ねる。良く反応をしてくれているのだろう。なので舌を出して皮膚の上を這わせていけば、大吾は更に熱い息を吐く。
「は、はぁ、峯……気持ちいい……」
「それはよかった」
笑みを浮かべると、大吾の胸がどくどくと上下に動く。相当に、自身にときめいてくれているのが分かる。
それを愛しく思いながら、首の肌をちゅうちゅうと吸いながら移動をしていく。喉仏に到達すると、そこを軽く噛む。大吾は大きな声を上げた。
「あ、あぁ!? 峯、そこは……」
「どうしました?」
わざとらしくそう聞いてやれば、大吾は少し口を開く。だが恥ずかしいのか分からないが言葉を詰まらせていた。なので喉仏の上にある皮膚を強く吸い上げると、大吾の体がびくびくと跳ねた。相当に気持ちがいいのだろう。
「ひゃ、あ、ァ……! 峯!」
「大吾さん……」
その反応が、自身にとってはかなりの刺激になっていた。鼻息を荒くしながらもう一度吸い上げるが、これ以上ここを弄っていては大吾が射精をしてしまうだろう。そう考えたので、首から鎖骨へと移動し、同じく吸い上げる。大吾はやはり気持ちがいいのか、湿っぽい声を出した。
「はぁ、は……峯に舐められるところ、どこも気持ちがいい……」
「それは光栄です」
褒められたので嬉しくなり、鎖骨の辺りの皮膚を軽く噛んだ。ガリッと音がした後に、微かに鉄の味がしたが、どこか甘く思える。大吾の喉からは軽い悲鳴が漏れた。
唇を離してみれば、大吾の滑らかな肌に薄い噛み痕がついている。
「ひゃぁ!? な、なに……!?」
「分かりませんか? キスマークですよ」
このようなものも、何度かつけたことがあるだろう。自身に対して変わらず見せてくれる様子に、気持ちが昂ぶる。
「んぁ……分かっては、いるけど……つけられたのは、初めてだから……」
目の前で恥ずかしそうに言う大吾の顔が、何とも可愛らしいと思える。胸を上下に動かし、そして眉を下げてこちらを見ているその様が。
施した痕に軽く口づけると、もう一箇所増やそうとした。しかし後で怒られることを想像したので止める、その代わりにと、鎖骨から胸へと下りていった。
男でも、胸は感じるのだろうか。まずは手で片方の膨らみをやんわりと揉んでみる。するとそこは、とても柔らかかった。筋肉がある筈であるのに、指先が皮膚に食い込むくらいに柔らかい。思わず何度も揉んでしまっていると、大吾は擽ったいのかくすくすと笑い始める。
「ちょ、峯……そこ、擽ったいから……」
「そうですか、では……」
少し凹んでしまったので、もう大吾の股間を弄ろうとした。しかしそこで胸の尖りに指先が掠めたが、その瞬間に大吾の体が小さく震える。
「ッ!? あ、ぁ!」
「ん? ここが、感じるのですか?」
女ではあるまいと、首を傾げなから胸の尖りに触れた。すると大吾が先程のような反応を示す。見れば性感帯を触れられ、気持ち良さそうにしているのが分かった。
なので指先で尖りを潰すように押してみれば、大吾は背中を反らせた。相当らしい。
「ァ! あ、ひゃ、あ……! らめ、峯、そこ、きもちいいからぁ……!」
大吾がそう発するが、言葉と反応が矛盾している。
「やめて欲しいのではなく、もっとやって欲しいの間違いなのでは? 大吾さん」
押されたせいなのか、尖りはどんどん膨らんでいく。それは熟れた果実のように美味そうだと思うと、顔を近付けてから柔らかい膨らみにかぶりついた。唇が尖りに当たると、大吾が顔を仰け反らせる。
「ひぃっ! ぁ、あ! 峯、もう、やらぁ!」
「大吾さん、可愛いですよ」
うっとりとしてしまうその反応に、ついそのような言葉が出てしまった。事実なのだが、大吾が否定しようと首を横に振りかけた。そこで尖りに軽く歯を立ててみる。大吾の腹に力が籠もると、体が大きく揺れた。
「ん、はぁ、あ……! そこ、峯っ! あ、イく、ぁ、んんっ!」
こうされるのも好きらしい。学習をすると、次は舌で尖りを舐めていく。すると大吾は遂に射精をしてしまった。大吾自身の腹が白くなる。雄臭い匂いが鼻を擽るが、返って興奮の材料となる。
今はほとんど見えないのだが、良い光景なのだろう。
「大吾さん、もうイってしまったのですか? 俺が、まだ気持ち良くさせたいのに」
唇を離してそう言うと、薄く笑う。すると大吾が手を伸ばしてきた。そして背中に手が回るとぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。まるで背中の麒麟ごと、手で包み込んでいるようだ。
「ん……俺、峯の、ちんこで、イきたい?」
大吾の目は垂れきっているが、言葉にはかなりの力が籠もっていたように思える。言葉を発した後の、喉が微かに震えていたからだ。
それを見てから頷く。
「……大吾さん」
胸から顔を離すと、同時に大吾が腕をシーツの上に落とす。そしてゆるゆると膝を上げてから開く。
勃起している下半身の下に尻の穴が見えるが、きつく閉ざされている。どうやって慣らそうか、凝視しながら考えていると大吾は恥ずかしくなってきたらしい。すぐに膝を閉じようとしたが、自身の体を間に挟んで妨害した。
「大吾さん、ローションはありますか?」
「ん……? ローションは……ない……」
「そうですか……では……」
そこで大吾の腹を見ると、そういえば腹に精液を垂らしていた。想像通りに好い光景であるが、そこでとあることを思いつく。大吾の精液を潤滑油にすればいいのだろうと。
すぐに行動に出る。手を伸ばして大吾の腹にある精液を指で掬うと、それを様々な指に絡ませていく。大吾からごくりと固唾を飲む音が聞こえた。
「苦しいかもしれません。いいですか……?」
そう聞くと、大吾はすぐに頷いてくれた。片腕しかないので、大吾の片方の膝しか持ち上げることしかできない。それでもぐいと持ち上げると、精液に塗れた指先を尻の入り口に当てる。
今からここを、排泄器官ではなく性器にするのだ。そう思うと興奮が増してくる。
「ん……俺は、大丈夫……峯を、信じてる、から……」
大吾の言葉により、心臓がどくんと鳴った。信じている、その言葉を聞くことができて、脳や体が喜ぶ。大吾から言われたのもあるのかもしれないが、こうして体を重ねる前に言われたのは初めてである。
それに応えなければならないと、少しの汗を垂らしたところで指先に力を込める。そこはきつく閉ざされており、指先がようやく入る程度。大吾の方を見れば、顔を歪めていた。苦しいのだろうか。
「俺は……大丈夫だから」
大吾の顔にも汗が垂れていた。それを拭いてやりたいが、今は腕は一本しかない。なので小さな溜め息をつくと、指先に再度力を込めた。
「はぁ、はぁ……俺は、待っていたのかもしれない」
手が伸びていき顎を弱く掬われる。その手は震えており、今にも落ちてしまいそうだ。
「俺は、前からお前のことが好きだったんだ。だが、言うことができなくて……俺は、お前に、こうして抱かれたかったのかもしれない……だから、俺は大丈夫だから……」
伸びた手が落ちると同時に、指が少し進んだ。大吾が呻き声を上げるが、すぐに首を横に振った。心配はないと。
「大吾さん……俺にとっては、大吾さんは光です。今も前も変わりません」
そう言うと、更に指が進んだ。中は想像以上に熱く、今にも溶けてしまいそうだ。いや、この熱で溶けるならば本望だと思えた。
しかし何やらしこりに当たったが、その瞬間に大吾の体が大きく跳ねる。それは胸よりもどこよりも、気持ち良さそうにしている。
「ッひゃ!? あ、ぁ! そこ、おれ、だめぇ!」
「えっ……? 大吾さん、ここですか?」
男との経験はないので、確認をするように先程のしこりに触れる。
「ゃ、や! だから、そこ、きもちいいから、おかしく、なりそうだからぁ!」
「……成る程」
どうやらここが感じると分かったので、指を何度も動かしつつ慣らしていった。次第にぐちゅぐちゅと、卑猥な音が立ち始める。潤滑油として使用している、大吾の精液のせいなのだろう。
「あ、あっ、ん! はぁ、ァ、みね、おれ……!」
指をもう一本入れてみれば、次はすんなりと入った。ようやくここが指を受け入れてくれたのか。なので次はわざとしこりには触れずに、指を何度も挿入していく。大吾は触れられないもどかしさで、腰をゆるやかに振っている。
「次は、俺ので、イってください」
するとどんどん柔らかくなり、三本もの指が入った。指を開いてみれば、更に拡がっていく。
大吾を見れば、腰をガクガクと動かしている。果てたくて堪らないのだろうか。それを見てから指をすぐに抜く。もはやこの部位は肉の筒と化していた。
「っあ! ぁ……みね……」
声さえも震えているが、それを塞ぐように唇を重ねる。そしてすぐに離すと、大吾に改めて想いを伝えた。
「大吾さん、好きです」
「ん……おれも……」
直後に互いの呼吸は荒く、そして髪はいつの間にか乱れていた。それを構わずに、自身の魔羅を見る。ぱんぱんに膨らんでいるが、大吾の痴態を見たせいなのだろう。血管が大きく浮いており、早く肉の中に埋めたくて仕方が無い様子だ。
最初に挿入するならば、まずは大吾の顔をみながらが良い。そう思い、自身の魔羅を宛てがいながら大吾の顔を見る。
「みね……きす……」
「はい」
大吾がキスを求めてきたので、唇を合わせた。そして魔羅の先端を大吾の肉の筒の入り口にぴたりと付けた。すると更に息が荒くなっていき、互いの顔に熱風が掛かる。
見つめ合った後に、吸い込まれるように唇を重ねた。そして腰をぐいと動かす。魔羅の先端が肉の筒に食い込んでいく。だが侵入を完全には許していないようで、くびれまでは入らない。
困っていると、大吾が舌を突き出してきた。深いキスを求めているのだろうか。そう思ったので、自身も舌を突き出す。先端同士が触れると、まずは大吾に舌を捕らえられた。
厚い舌同士が絡み合うが、そこで入り口が緩まったように思える。なので魔羅を進めていくと、くびれがずるずると入っていった。大吾が息を吐こうと舌を引かせたが、そうはさせないと上顎を舌で撫でる。大吾の舌の動きが止まった。
「ん、んんっ!」
大吾の顔はもはや蕩けている。そのような状態で舌を寧ろ絡めていけば、はしたなく体を揺らす。そして目尻から涙が垂れるとより官能的に見えた。それだけで射精をしそうになる。
魔羅のくびれが入ったからには、後は竿を通すだけだ。わざと唇を離した後に、魔羅を思いっきり打ち付ける。大吾の腹の中に、自身の魔羅がぎゅうぎゅうと収まった。そこはとても狭く、挿入しただけでも果ててしまいそうである。それくらいに、気持ちが良かった。
「は、ぁ……あ……!」
「大吾さんの中に、俺のが全部入りましたよ」
へその辺りを撫でると、大吾の中が呼応するかのようにまたしてもきつく締まる。食われるかと思った。
「みね、うごいて、おれ……みねをきもちよく、したい……!」
「はい、では……」
ゆっくりと腰を揺さぶれば、大吾の中を緩やかに犯していく。粘膜が魔羅を包み、そして離さない。その感覚にもっと浸りたいので、揺さぶる力を強めてみた。大吾は女のように高く喘ぐ。
「あ、あっ、ア、あ! おっきい! みね、きもち、いい!」
「はぁ、はっ、俺も、気持ちがいいですよ、大吾さん」
大吾の体を揺さぶりながら、片手を伸ばす。そして抱き締めるが、両手さえあればと思えた。
しかしこのような自身でもこうして大吾は好いてくれているのだ。なので体を重ねることに集中した。腰を揺らす速度を上げていけば、次第に肌がぶつかり合う音が聞こえる。大きくなっていくほど、大吾の嬌声が激しくなっていった。
「あ! ァ、ぁあ、あ、ッは、みね、すき、すき! あっ、っん! はぁ、あ、おれ、もうイく、イくからぁ!」
「ぐ、はぁ、はぁ……俺も、イきそうです」
共に果てられることを信じ、大吾の腹の中を魔羅で突き続けた。まるで皮膚まで破いてしまうかのような勢いになると、二人が乗っているベッドがぎしぎしと悲鳴を上げる。だが、今はそれどころではないのだ。
「ア、あっ、イく、イく! っあ、やぁあ!」
「うっ……! はぁ、はぁ……!」
思った通りに共に果てることができた。大吾は腹に精液を噴出させ、そして自身は大吾の腹の中に精液を注ぐ。何と幸せな瞬間なのだろうか。
互いに下半身が萎えたことを確認するが、二人は体を離す様子はない。体を密着しあうと、唇を重ねていった。それも、何度も何度も。
シャワーを浴びてベッドの上に横に乗ったのは、それからしばらくしてからだ。服を着る気力が無く、下着姿であった。二人、特に大吾は疲れた顔をしている。
間接照明のみを点けているので、室内は割と暗い。
「大吾さん……」
「ん……俺は、大丈夫だ。いや、ありがとう」
仰向けに並んで横になると、互いに見つめ合うのではなく天井を見つめる。その際に大吾が左側に居てくれているので、手をしっかりと繋いだ。
「……俺、峯を救うことができて、よかった」
そこで大吾の方を見れば、部屋の間接照明が少し明るいような気がした。いや、これは気のせいではないのかもしれない。気持ちから、そう見えたのだから。
「俺は、大吾さんに救われて、幸せです。ですが……」
そこで心配事が急激に募る。
「気を抜くと、今の体が嫌になってしまって……」
涙が滲んできた。大吾の輪郭がぼやけてきて、存在が消えるかのように思えた。しかし手はしっかりと握られており、繋ぎ止められている。それを確認すると、大吾の体にぴったりと体を寄せる。
「俺は嫌じゃない。そこが、お前のいいところだと思う。片腕を無くしても、俺を求めてくれたこの手が、この体が好きだ」
「大吾さん……!」
涙が止まらない。このままでは大吾の体を濡らしてしまうと、離れようとした。だが大吾が体をぐっと引き寄せる。
「言っただろう? お前は、これから報われるべきだって」
そう言う大吾の声には涙が乗っているように思えた。なので顔を見ると、若干泣いている。
すると二人は、ベッドの上という狭い空間の中で一晩中泣いていたのであった。
大吾との生活はあれからかなり円滑に進んでいった。二人は結ばれた関係でもあるので、毎日とほ言わないが体を重ねるようになる。
そのような日々が幸せだと思えたおかげなのか、トレーニングにより体がどんどん鍛えられていく。すると以前のような筋肉量を持つようになった。自身としてはかなり喜ばしいことであるが、両手さえあればと思わなくはない。だがそれは無い物ねだりをしているのであって。
※
「ッふぅ! ふ、大吾さん、は、はぁ……!」
ある夜に、当然のように大吾を抱いていた。今は背中の不動明王しか見えないが、大吾はさぞかし気持ちよさそうにしていることだろう。左手で腰を掴むが、その力は強い。手の痕でもついてしまいそうである。
ピストンを早めていくと、不動明王がよく揺れた。ベッドがぎしぎしと鳴り、ぱんぱんと乾いた音が何度も鳴る。音だけでも、何と淫猥なものである。
「あ、ぁん! は、はぁ、ぅ、はぁ、あッ!」
「大吾さんの中、熱くて、気持ちいいですよ」
突く角度を少し変えてやれば、大吾の嬌声が変わる。それを楽しみながら、腹の中を目一杯突いた。
「ぅあ!? ア、あ……! みねの、おっきい!」
大吾の背中が逸れ、不動明王が歪む。それくらいに気持ち良くなってくれている証拠であるが、まだ足りないと思えてきた。まだ、大吾をもっと啼かせることができるのではないのかと。
不動明王の上に伸し掛かると、うなじをべろりと舐める。当然、大吾の肩が跳ねるがそれすらも快楽に変えているらしい。すぐに腹の中をぎゅうぎゅうと締めつけた。
「ん、んぅ……! は……みね……!」
射精を終えたところで大吾が振り向くと、唇を合わせた。その前に唾液を垂らしていたらしく、滑るように二人の唇が重なる。すぐに互いの舌が絡み合った。まるで、何かの生き物のようにぬるぬると。
「ん、ん、ぅん……んっ!? んん、ん……!」
時折に舌を吸う。それが気持ちいいのか、大吾の喉からはふやけた音しか出ない。耳でそれを楽しみながら、ピストンを緩める。大吾の舌の動きが止まったが、ゆるゆると引かせていってから一気に魔羅を叩きつけた。大吾の唇が外れると、悲鳴のような喘ぎ声を出す。
「ッう、あぁ! やらぁ、そこ、もう、ぁ、あん……」
その瞬間に腹の中をよく締めつけたので、魔羅が膨らむと精液を吐き出した。大吾の腹の中に精液をどんどん流していく。
そこで魔羅を引き抜くと、大吾がぐったりとしていた。もう終えるべきなのだろうが、自身の魔羅はまだ元気だ。それに雄の本能は鎮まってくれる気配はない。なのでベッドの上でぐったりとうつ伏せになっている大吾の腰を持ち上げる。
尻が高く上がり流れる精液の合間から、ぽっかりと空いた穴がよく見えた。収縮を繰り返しており、卑猥な光景である。それだけでも、射精ができると思った。
「……な、み、みね!?」
大吾はひたすらに驚くことしかできないようだ。だがそれを無視すると、精液が流れ出ている尻を持ち上げてから観察する。自身が出した精液が流れている様は、とても卑猥である。このような姿の大吾をもっと見たいと思えた。
なので未だに芯のある魔羅をあてがうと、柔らかくなっているそこにずぶりと挿入する。女の膣のようにスムーズに進んでいった。
「うっ、ぁ……! みね、もう……!」
「そう言う割には、感じでいるのではないのですか?」
自身の口調こそは冷静なものの、息は獣のように低く荒い。そのような声や音を聞き、大吾はどう思ったのだろうか。
竿まで全て入ると、激しいピストンを再度行う。皮膚同士がぱんぱんとぶつかり合い、痛々しい音が室内に鳴り響いた。大吾はそれが恥ずかしいのか首を横に振る。しかし自身の性欲からしたら、そのようなことはどうでもいい。それよりも、大吾の腹の中の粘膜に魔羅を擦りつけたいのだ。
魔羅を打ち付ける度に、大吾がシーツを強く握り始める。しかしピストンの回数が増えていくにつれて、シーツの皺が薄くなっていった。大吾の体を蹂躙できている証拠なのだ。
「ァ、あ、ひぃ! あ、ア、あっ、ぁあっ、あ!」
大吾の腹は離さないと言わんばかりに、きつく締めてくる。それが嬉しくなり、ピストンの速度を限界まで早めた。皮膚同士で痛々しいような音が鳴ってくる。しかし不思議と痛みはない。大吾の体を犯すことに集中しているからなのか。
「ふっ、ふぅ、ふっ……大吾さん、気持ちいいですよ」
手を伸ばして不動明王を撫でれば、大吾の腰がぐねった。嬉しいのだろう。
何と可愛らしいのだろうと思い、もうすぐ終わると魔羅を引かせていった。大吾は分かっているのかは分からないが、形の良い尻をよく突き出してくれる。
そして魔羅を勢いよく挿入していくが、いつもよりも角度を変えてみた。そうすると、何かの引っ掛かりに当たったような気がする。このようなことは初めてだが、何なのだろうか。
疑問や好奇心が湧いてくるが、一方で大吾の体は小刻みに震えていた。あまりの快楽に、それしかできなくなっているのだろう。
「大吾さん、もっと奥に、いきますよ」
「ぁ……あ……」
大吾の返事はまともではない。だが承諾の意だと捉えると、ぐいぐいと魔羅を押し込んでいった。その度に先端が引っ掛かりを掠めるが、何度も動かしていくうちに引っ掛かりを越えたような気がする。同時にぐぽ、と初めて聞くような音が聞こえた。そして大吾はその瞬間に、高い悲鳴を出した。
「……ひっ!? ぁ、あぁッ! そこ、やだぁ! ちんこでそこ、つかないでぇ! あたまが……ひぃっ! ッあぁ! お、ぉ!」
どうやら大吾は相当に気持ちいいらしいが、ここまでの反応は初めてだ。勿論、自身も相変わらずきつく締まるそこが気持ちがいいので、そのまま奥を突いていった。
その際に大吾の腹を撫でてみれば、勃起していたものが射精したようだ。なるほどと、思っていると大吾のものは萎えた。しかし自身の魔羅をしっかりと咥えているので、体や意識はまだ大丈夫なのだろう。
「ん、んんぅ! おれ、もうイったからぁ……!」
「だめです、俺が、イっていません」
容赦なく魔羅を叩きつければ、大吾は雌のように乱れる。萎えてしまったものが上下にぶるんぶるんと揺れ、そしてこちらから見れば耳が赤い。相当に良い顔をしていると思った。だがこの体勢でなければここまで奥に入らないと思っていたので仕方がない。
腰を何度も叩きつけると、ようやく射精をすることができた。いつもよりも奥に精液を流し込むと、まるで種付でもしているかのように思える。大吾の腹の奥に、子宮があるように思える。
射精しきった後に萎えたので、引き抜いてから大吾の体を仰向けにさせる。そして腹を撫でると、大吾が体を震わせた。後に萎えたものから無色透明の液体が何度か噴出した。大吾の太腿を濡らす。
「あ、ぁ……! みね、おれ、たくさん、イっちゃった……」
「良いことではありませんか、大吾さん、可愛らしかったですよ」
顔を近付けてから唇を合わせれば、大吾が恍惚の目で見てくる。その様子がとても愛おしく、左手で大吾の体を抱いた。
「ん、んんっ……」
「っはぁ……大吾さん、お疲れのようなので、少し休憩してからシャワーを浴びましょう」
「ん……おれ、ッ!? は、はぁっ……!」
すると何もしていないというのに、大吾が再び萎えたものから液体を噴出させた。快楽がまだ体に残っているのか。
「大吾さん……貴方は……」
大吾の体の上に伸し掛かると、何度も何度も口付けをする。その度に大吾が手を伸ばして、背中の麒麟に触れてくる。撫でて、可愛がってくれているというのか。
「おれ、みねが、すきぃ……」
「俺も好きですよ、大吾さん」
互いに想っていることは本当であるが、それを何度も口にしたくなる。不安から来る愛の確認ではない。ただ好きだから、それを口にするのだ。
するとまたしても大吾が透明の液体を排出した後に収まった。息を上げており、体は火照りからか赤みを帯びている。そのような大吾を、ずっと自身のものにしたかった。なので普段は嫌がるのだが、胸に唇を寄せた後にガリっと歯を立てた。印を施したのだが、これは一生残るものではない。近い内に消えてしまう。
「ん、みね……」
背中の麒麟を優しく撫でられる。自身は大吾にこうされるのも好きで、お礼にと何度も何度も口付けをしていった。
※
春がもうじき過ぎる頃になる。あれほど寒かった日々は消え、外は陽気で満ちていく。以前は季節の移り変わりなど気にもしなかったが、今は違う。季節を楽しんでいるのだ。
昼間に家事をしている間に窓から外を見れば、新緑がちらほらと見える。そして外に出れば明るい色を纏った人々の姿もある。その様子が綺麗だと思えた。あのままの人生を続けていれば、自身としては一生このような体験はできなかったのだろう。何よりも、今の方が幸せなのだから。
夜になり大吾が帰って来れば、それはそれで楽しかった。毎日会うものの、やはり大吾は忙しいので話せる時間は短い。それでも、少しでも隣に居て話せることがとても心地が良い。
だがそのような日々を過ごす間にも、苦悩があった。夜に一人で寝ようとすると、病院で目覚める直前の底のない暗闇を最近になって思い出すのだ。それは睡眠中に夢にまで出てくることもある。理由など分かる訳がない。
どこにも光がなく、もはや自身はどこにいるのか分からない恐怖。その度に大吾と一緒に寝ようと考えたが、疲れているのだろうと毎回諦めている。
自身は大吾という光を得た筈だというのに、どうして暗闇が見えるのだろうか。疑問が湧くが、答えなど分かる訳がない。
するとその暗闇を思い出す頻度がどうしてなのか増えていった。それは眠る前以外でも起きるようになる。起きた直後、家事をしている間など、一人でいるとき限定だ。だからと言って大吾には甘えられないと、耐えていた。しかし人間には限界があるものだ。
いつしか自身は、本当に光を得たのかと考えてしまっていた。
ある暖かい日に、いつものように家事をしていた。この日は掃除をしていたが、その手つきはとても素早い。慣れたのもあり、要領よくこなしていく。
外から差し込む日差しを見ていたが、すると突然に苦しくなる。その場に座りこみ左手で頭を抱えるが、この後どうすればいいのか分からなかった。このようなことは初めて起きたからだ。
発作が起きたかのように息が苦しくなり、目の前がいつの間にか暗闇に変わっていく。これは幻覚だ。そう分かっていても、やはり光が欲しい。そう思えた。残った左手を伸ばそうとすると、どうしてなのか右手があるように思えた。なので肩を動かすが、重さも何も感じられない。ただ、肩から少し伸びている肉を伸ばしただけであった。
そこで暗闇から解放されると、涙が溢れそうになった。
夜になるがこれ以上は暗闇に耐えられないと思った。なので光、もとい大吾に頼る。初めて、体を重ねること以外で大吾と共に寝ようと思ったのだ。
大吾は勿論良いと答えてくれると、大吾の隣に遠慮がちに横になる。
眠る前らしく、室内の照明は間接照明しかない。
「……峯、もっと俺に甘えてくれてもいいんだぞ」
「いえ、ですが……貴方は人を従える立場ですので、お疲れのようですし……」
背を向けて目を閉じると。大吾が背後から抱き締めてくれた。暖かい体に包まれるが、まるで背中の麒麟をなだめているように思える。心臓に落ち着きが無くなった。それがすぐに大吾に伝わると、クスクスと笑いながら頬にキスをしてくれる。
「大吾さん……」
「遠慮なんてするな。俺は、お前のことが好きだからそう言っている」
その言葉が胸に打たれるが、目は開けなかった。代わりにに「はい……」と曖昧な返事をしたが、そろそろ大吾は眠るらしい。間接照明を切ると、部屋が真っ暗になる。
自身の視界に暗闇が広がるが、後ろには大吾が居る。光が居る。なので安心をしながら眠りについた。
やはり一人ではないので光のない暗闇を見ることはなかった。朝になれば既に大吾は居らず、かなり熟睡していたことが分かる。大吾と共に寝たお陰なのだろうか。
だがそこで自身は家事手伝いであるのに、出迎えも何もできなかったと反省をした。体を起こそうとしたが、まだ大吾の匂いが残っている。シーツに顔を近付けるとそれが濃くなると、次第に安心していった。そしてまたしても眠ってしまうが、またしても暗闇が現れる。大きく動揺をしたが、途端に明るくなる。光が生まれたからだ。
暗闇に居なくても済む。安堵をしながら、未だに眠りの世界に残り続けていた。
それから夜は大吾と共に寝ることが多くなった。大吾の言葉をやはり素直に受けたからだ。
大吾は喜んで受け入れてくれるが、どちらもまだ性には盛んな年代である。抱き合っていくうちに性行為に発展していくことが多くなった。頻度が上がるにつれ、大吾の体がやがては性行為に順応していく。すると触れるだけで、大吾が良い反応を示してくれるようになったのだ。
性行為は激しくなっていた。まるで獣同士の交尾のようだと、後から例えてしまうくらいだ。大吾は翌朝などは腰を痛そうにしており、時折に不安になる。このままでは、大吾が倒れてしまうのではないのかと。
そう思えたので、夜に大吾と共に寝ることを止めた。いつものように大吾の部屋に入ることなく、自室のベッドで久しぶりに横になる。暗闇が現れることだろうと思いながら、照明を消して目を閉じる。
すぐに暗闇が現れ、無い筈の右腕が生えたような気がした。内心で舌打ちをしながら、その場に留まる。だが暗闇の中なので自身がどこに居るのか分からなくなり、不安になった。人間の正常な思考がここでも働いてしまう。
やはり光を求めるべきかと思っていると、一瞬だけ明るくなったような気がした。何かと思っていると意識が眠りから戻っていく。目を開けると、室内が仄かに明るい。飛び起きてみれば、近くに寝間着姿の大吾が居た。とても心配そうにしている。
「峯……?」
「大吾さん……どうしました?」
「いや、今日は来ないから心配になって……大丈夫か? 何だか、うなされていたようだが……」
大吾からはそのように見えたらしいと分かると、言い訳も何も言えなくなる。なのでこのまま、正直に述べることにした。そうしようとすると、大吾がベッドの縁に腰を下ろしてから、頭を優しく撫でてくれる。安心が押し寄せた。
「……大吾さん、俺、一人になると、最近になって、病院で目覚める前に見た暗闇を思い出してしまいます」
かなり訳の分からないことを言っているのだろう。しかし大吾はそのような素振りを見せることもなく、うんうんと頷いてくれた。なので話を続ける。
「その暗闇が、最近になってまた見えるようになって……でも、大吾さんと居れば見なくて済みます。だから今までは一緒に寝ようと誘っていました」
「そうなのか……だが、俺はそう言ってくれて嬉しかったが、今日はどうした? 来てくれないから、心配していたぞ」
大吾は相変わらずこちらの目を見てくれる。それを思うと、大吾と心も体も通じ合えて良かったと感じる。何と優しい、慈愛に満ちているので心が温まってきた。
「このまま、大吾さんに無理をさせてしまいそうになると思うと、俺……」
顔を伏せると、大吾が近寄ってきた。そして腕が伸びてきて、体を包んでくれる。なので抱き返そうと左手を伸ばした。大吾の背中に回す。
「無理はしていない。大丈夫だ。それよりも、お前が無理をしている」
「いえ、俺は……」
首を横に振ろうとしていたが、大吾の言葉はただの真実であった。あのような短い言葉だというのに、反論する余地など全くない。なので黙っていると、大吾の顔が近付いてきた。そして額を合わせられる。鼻先がくっつきそうになると、そこで大吾が口を開く。
「俺が居るから、大丈夫だ。俺のことを、光だと思ってくれているのだろう?」
「……ッ! はい……」
光、大吾からそのような単語が出て思わず背筋を伸ばす。
「だったら、俺をもっと頼ってくれ。俺はお前が好きで、お前は俺が好きなんだ。だったら単純なことだ。頼り合えばいいだろう?」
「大吾さん……」
すると互いの唇が自然と合わさった。優しいキスをしたかと思うと、大吾が唇を離してはくれない。このまま、大吾に押し倒された。
「峯……好きだ」
大吾がそう言ってから寝間着を脱いでいく。寝間着は単純な作りなのですぐに全裸になった。まだ勃起はしていない。
そして自身の寝間着も脱がされていくと、互いに全裸になった。思えば、勃起していない状態で性行為をするのは初めてである。どのように勃起すればいいのか分からないでいると、大吾の体が動く。ずるずると下っていったと思うと、自身のものに顔を近付けた。何をしようとしているか分かると、止めようとする。しかしこちらの反応が遅かった。
「俺が、勃たせてやるから……」
そう言ってすぐにぱくりと咥えた。瞬間的に凄まじい刺激が加わるが、これは快楽だ。すぐに呻き声を上げる。
「うっ……! 大吾さん……!」
大吾は上目遣いでこちらを見ながら咥えていく。魔羅にどんどん血が集まっていく。それもあってか、みるみるうちに勃起していった。自身の単純さに、少し呆れる。
咥える口は離れることなく口淫が続く。まずは竿全体や裏筋を舌が這うと、腰ががくがくと揺れる。あまりにも気持ちが良いのだ。互いのものを口淫することはあったが、慣れていない訳ではない。
すると射精感が込み上げて膨らんだ。大吾はそれを分かっていて、じゅるじゅると吸い上げてきた。つい睨んでいると、快感には勝てる筈もなく大吾の口腔内に射精をした。大吾の喉からは、ごくごくと精液を飲み込む音が聞こえる。
射精が済むと、ようやく大吾の口が離れた。自身の魔羅は唾液に塗れていて、とても卑猥だ。だがこれを大吾の中に挿入するかと思うと、興奮が止まらなくなる。眉間に皺を寄せた。
「はぁ……はぁ……気持ちよかったか?」
大吾が笑いながらそう訊ねてくるが、気持ち良くない訳がない。なので「はい」と返事をすると、大吾が自身の体の上に跨る。
「峯……俺の中に入っていくのを、見ていてくれ……」
少し恥ずかしそうにしているが、それもまた堪らない光景だ。目に焼き付けたいくらいだが、しっかりと覚えていられるだろうか。そう思っていると、大吾が下品に足を開いてから肉壺に魔羅が当たる。
「っ……はぁ、峯のちんこ、でけぇな……はぁ……はっ……」
目尻を大きく下げた大吾が、ゆっくりと腰を下ろす。しかしそこで肉壺を慣らしておかなくてもいいのかと考えたが、連日に渡って性行為をしてきた。女の膣のように柔らかくなっていることだろう。
魔羅の先端が肉壺に入っていく。やはり予想通りに、とても柔らかかった。先端だけでもまるで包み込むかのような感覚に、快楽を更に求めたくなる。
「ぁ、はっ……峯のちんこが、入ってくる……ぁ、あ、ぁあ!」
そこで一気に大吾が腰を落とす。当然のように魔羅が突き刺さり、大吾の腹がすぐにそれをきつく包んでいく。気持ちがよかった。腰を揺らそうと思ったが、大吾が既に腰を揺さぶっている。
自身の体の上で善がる大吾は、何ともいやらしい様である。思わず、大吾の顔を見てしまう。口は半開きになっており、悦に浸った目をしていた。
すると大吾のものがようやく勃起したが、確認をすると自慰を始めた。何と艶かしいことか。なので凝視をしていると、大吾に恥が込み上げてきたらしい。目を伏せるがその様子もまた良い。なので口角を上げていると大吾が射精をしたが、そこで萎えてしまった。腹には大吾自身の精液が散っている。それを大吾は見せつけてきた。
「みね、俺を、もっと、見て……ぅあ! はぁ、あっ、ァ!」
「はい……」
次第に手持ち無沙汰になってきたので大吾の太腿に手で触れると、しっとりとしていた。筋肉があって硬いが、内側は柔らかいのだろう。そう思っていると、腰を揺さぶり続けている大吾がその手を取った。指同士が絡んでいく。
「俺、大吾さんと……もっと一つになりたい……」
「俺もだ、峯……」
そこで大吾の体が倒れてくると、自身の体の上にしっかりと乗っかった。それでも、二人は手を繋いでいる。
肉同士が合わさり、そして何よりも自身の魔羅がより奥に入ったらしい。少し前にもあった、何かのくびれに先端が引っ掛かる。
「ぅあ、あ……! おくに、はいるぅ……!」
大吾は歓喜の表情をしたが、そこで我慢などできなくなった。腰を大きく揺らすと、大吾の腹から異音が聞こえる。魔羅が奥に入ったのだ。
「ぁ、お……!? お、あぁ、ァ!」
「はぁ、うっ……! 大吾さん、俺ので孕んで下さい、よっ!」
あり得ないことを口にしたが、興奮のあまりに出たのだろう。一方で大吾は頷いてくれた。男の体では、妊娠などできる筈がないというのに。しかし大吾はそれを正直に受け止めてくれていた。一瞬だけ、大きな喜びの為に笑みを浮かべていたからだ。
大吾の腹の奥は、自身の魔羅がぴったりと入るように蠢いていく。しっかりと受け入れてくれている証拠なのだろう。このままいけば、大吾の腹の奥にしっかりと精液を注ぐことができる。
「っあ……ァ……おれ、みねとのこども、つくりたい……!」
すると懇願をするように大吾がそう言ってくれるので、嬉しくなった。なので腹の奥をずちゅずちゅと魔羅を貫く。大吾の喉からは甘さが混じった嬌声が出る。
奥はかなりの締め付けで食いちぎられるかと思えた。それくらいに、大吾の腹の奥が離してくれないのだ。いや、大吾から離れるつもりはない。なので、粘膜をずるずると擦っていった。とても気持ちがいい。
「やだ、あ、お、ぉ! ちんちん、きもちいい!」
「もっと、気持ち良く、なって下さい!」
腰を引かせると結合部が崩れる。だがその瞬間に腰を叩き付ければ、大吾の体が衝撃などで揺れる。直後に凄まじい快楽が走ったらしい。半開きにしていた口からは唾液がだらだらと垂れ、自身の首元に掛かる。
同時に二人は汗を垂らしてきたが、唾液に汗が混じった。だがそれはシーツに吸い込まれて消えたものもある。
「ん、ぅ、ァ……みね! だして……!」
「っう……! ぁ、は……はい、勿論です」
そこで手を離すと、片腕しかないが大吾の腰を掴んだ。ラストスパートとして腰の動きを早めていくと、大吾からは相変わらず可愛らしい喘ぎ声が出る。それを聞きながら、魔羅で腹の奥をずりゅずりゅと潰すように突いていく。
次第に膨らんできたのが分かると、そのまま腰の動きを止めなかった。すると凄まじい射精感が来た後に、すぐに射精をする。量は多いのか、射精の時間が長い。まるで、本当に大吾を孕ませているかのように思えた。
「ひゃあ……! ぁ……みねの、ざーめん……」
惚けた表情をした大吾は、体をシーツの上に落としていく。その際に萎えてしまった魔羅が抜けてしまったが、ちょうど射精を終えたところであった。しかし大吾の肉壺からは、精液がだらだらと流れていることだろう。
「ん……みね……すき……」
行為を終えた大吾はすっかりと疲れた様子であった。息を切らしているのは自身と同様ではあるが、口からは未だに唾液が垂れているからだ。それによく見れば、涙も垂らしているのが分かる。自然と流れてきたのだろう。
「大吾さん、俺も、好きです」
このような告白など、最中に何度言ったのかもう数えることができない。それくらいに、口にしたのだ。何度言っても、飽きることなどないように思えた。何度言っても、互いの仲が深くなっていくように思えた。
汗に包まれた体同士を密着させると、二人は自然と唇を合わせる。その際に大吾は残っている思考で、自身の左腕が体に潰されないような位置にくる。
大吾の口腔内は自身の精液の味がしたが、そのようなことなどどうでもいい。寧ろそれを味わうように、大吾の口腔内を舌で這わせる。
「ん……んんっ……はぁ、ん……」
湿っぽい吐息を出した大吾が、抱き締めてくる。なので自身は動かすことのできる左腕を伸ばすと、大吾の頭をやんわりと撫でた。汗で湿っているが、軽い程度だ。
そして何度も何度も口付けをした後に、名残惜し気に唇を離す。二人の間には唾液の糸が張っていたが、それはすぐに消えてしまう。それを見た後に、口を開く。
「大吾さん、ずっと、俺にとっての光で居て下さい。何があっても、絶対にです」
「ん……峯……分かっている……だから、峯……お前は俺の隣に、居てくれ……」
「はい」
二人はまるで永遠を誓うように、見つめ合った。大吾の視点は若干合っていないが、こちらを見ていることは分かる。なのでしばらく見つめた後に、もう一度唇を合わせた。
そして大吾の目をしっかり見ながら呟いた。「俺の、光……」と。