車中

車中

朝から突然に降っていた雨が、しばらく経過すると弱くなっている。その数一〇分後に商店街付近で事件が発生した。
強盗殺人事件であり、場所はスーパーマーケットだ。犯人は複数人居たとの報告だが、走って逃げているらしい。近隣の交番の警察官がたちが、犯人を追っている。だがその最中に次々と通行人に暴力を振るっているらしく、大きな事件へと膨らんできていた。
このときは署内でデスクワークを、主に蓮見がこなしていたときに通報を受ける。水木は勉強の為にと過去の事件の資料を見てはメモを取っており、架川は席を外していた。曰く、手洗いに行ったらしいが。
それまでは刑事課は程よい静けさがあったが、一気に騒がしくなり上がる声の全てには真剣さが含まれていた。さすがに席を外していた架川が急いで刑事課に戻ったが、服装がおかしいことにまずは水木が気付く。指を差して指摘をした。
「あ、あれ……? 架川さんの、なりすまし……?」
「誰が俺のなりすましだ! 雨で服が濡れちまったんだよ! それと、人に指を差すな!」
架川は通勤途中に見舞われた雨により、スーツやワイシャツを濡らしてしまったらしい。そこでちぇりポくんの長袖のティーシャツを急遽着ていた。しかしスラックスはそこまで濡れていないので、そのままである。
この時期にしては寒い格好だが、それでも本人はとても満足している。水木が間違いや指を差したことによることを謝罪するが、架川は「かっるいなぁ……」と気が抜けるようにぼやいた。すると短く纒められた通報の内容を梅林から聞くなり、鋭い返事をする。
蓮見は架川のその服装を二度見してから、署内の駐車場に走って向かう。架川と水木も着いて行き、蓮見が運転席に座る。そこで架川が何かを思ったのか、水木にとある質問をした。
「そういえば水木、お前は車酔いは大丈夫なのか? いつも俺が助手席に座っているが、平気なのか?」
「……えっ!? あっ! 大丈夫です! 私は車酔いとかは大丈夫です! 大丈夫です! 私は、後部座席がすっごい好きなので!」
水木はかなり必死の形相で答える。なのでこれ以上は何も言えない架川が「お、おぅ……」と、驚きながら頷いた。既に運転席に座ってから車のエンジンを掛けた蓮見は、引き気味に二人の方を見る。どこでもいいので、早く乗って欲しいと言いたげな視線を向けながら。
すると二人はその視線に気付いたのか架川が助手席に、そして水木は後部座席に素早く座る。ようやく出発ができると、蓮見はハンドルを握ってからアクセルを踏んで署の駐車場から丁寧に出たのであった。
数分走らせた頃、架川が「寒い」と体を震わせながら暖房をつけ始めてから、蓮見は気になることがあったらしい。ルームミラーに頻繁に小さな視線を寄越しながら、口を開く。
「あの、水木さん……さっきからどうしてそこまで隠れてるの? もしかして……やっぱり、車酔い?」
蓮見の言葉と共に、架川が振り向いて水木の方を見た。確かに、水木は深くうずくまっている。その姿を捉えた架川は、水木の体調を真剣に案じた。一方で蓮見は事件現場に向かうことが、今の自分としては最優先事項だと思っている。なのでルームミラーに頻繁に視線を動かしつつ、運転を続けていった。
「おい、大丈夫か?」
ハッとしたように、水木が顔を上げる。しかし顔色が悪いといった様子はなく、架川は首を傾げた。
「違います! 今の私は水木直央ではありません! 今は後部座席です! 後部座席として、この空間に存在しています!」
意味が全く分からずに架川は蓮見に助けを求めようとしたが、運転中なのでそうすることはできない。だが何かを言わなければならないと、必死に頭の中で言葉を探す。まずは水木に何を言うべきかを。
「なのでお二人で、ぜひドライブを楽しんで下さい!」
「えっ!? 事件は!?」
水木が話を続けたのでようやく架川が言葉を見つけた直後に、蓮見がそれを遮った。前を見ているが、返す言葉の内容としては正解である。
「おい、やっぱ体調悪いんじゃねぇのか? 着いたら必ず車の中で安静にしてろ」
まだ寒いらしく、二の腕のあたりを擦りながら架川がそう言う。しかし水木は首をぶんぶんと振り、それを強く拒否した。架川が怪訝そうな表情を作ると、事件現場に到着したようだ。
他の警察車両が既に駐車場に停めてあるが、架川たちと入れ替わるように他の警察官たちが事件現場から出る。恐らく、監視カメラを見てから犯人を追っているのだろう。
蓮見は駐車場に車を停めるとエンジンを切り、水木の方へと顔を向けた。だがいつもと変わらず、元気そうである。一瞬だけぽかんと口を開けた。
「えっと……水木さん……」
「さぁ! 事件現場に行きましょう! 早く早く!」
水木が一番早く車から出ると、張り切りながらスーパーマーケットの方を見る。なので架川と蓮見が視線を合わせて首を傾げていると、水木が運転席のドアを開けた。
「そういうことは、仕事が終わってからにして下さい! いつでもイチャイチャしたい気持ちを、私としては尊重したいですが!」
「お前何言ってるか分かんねぇよ……」
頭を抱えた架川は、溜息をつきながら助手席のドアを開けて出る。しかし外は寒いのか「さっむ!」と叫ぶ。続けて蓮見も運転席のドアを開けて出ると、施錠してから事件現場であるスーパーマーケットではなく水木の方を見た。大きな足踏みをしている。
「さぁ、行きますよ!」
そして水木が跳ねるような足取りで事件現場に向かうと、残った二人も慌てるように着いて行く。このときの架川と蓮見の表情には、動揺に塗れていたのであった。

2023年12月8日