数週間後に桐生が都内の病院に入院したことは、すぐにソンヒが知らせてくれた。ある日の昼過ぎのことである。
春日は急いで桐生の元に駆け付けようとした。勿論ナンバや足立、それに今や会うことが気まずい紗栄子にも連絡をしたのだが、皆は「大人数で来ても落ち着かないだろうから」と面会を辞退する。春日は納得がいかなかったのだが、ソンヒに「行け」と強く言われた。桐生のファンであるソンヒがそう言うくらいなので、相当なのだろう。
そこで春日が悟り、頷いた後に都内の病院にすぐに向かう。そもそも春日は今は横浜の異人町に居るのだが、東京に移動しなければならない。駅に向かう途中で、春日は知らぬ人々の会話を聞いてしまう。
「何だっけ? 前に、伝説の極道って居なかったか?」
「居たけど……名前何だっけ……? まぁいいや」
世間は桐生のことなどすっかり忘れてきているようだ。安心した春日は、そのまま電車に揺られていく。
新宿駅に到着したが、時刻は夕方になろうとしている。今から帰宅しようとする者、仕事に行く者で溢れていた。異人町にはないこの、人の多さにうんざりした春日は人々の間を縫いながら歩いていく。駅から都内の病院まではそれなりに近いので、タクシーを使わずに歩くことにした。
しばらく歩いていると、都内の病院に辿り着いた。桐生の病室までもソンヒが教えてくれたので、まずは目的の階にエレベーターで上っていく。そして、そのフロアのナースステーションに行き、病室の番号と面会すると伝えた。看護師から承諾を得ると、早速その病室に向かう。
気付けば見舞いの品など持ってきていなかった。しかし何を持って来ればいいのか分からないし、花などは東城会の大幹部であった堂島大吾や真島吾朗や冴島大河が既に持ってきているのだろう。そう思ってから病室へと向かい続けていく。桐生の病室は、それなりに奥の場所にある。病室の扉の横にあるネームプレートに、きちんと「桐生一馬」と書いてあることを確認しながら。
扉を二度軽くノックしながら「桐生さん、春日です」と言えば、桐生の「入れ」という声が聞こえた。返事した後にゆっくりと扉を開ける。
「こんにちは、春日です……桐生さん、お加減はいかがですか?」
入るなりそう言ってから桐生の姿を捉える。そこで、春日はその場で膝が崩れ落ちそうになった。桐生の姿は、あまりにも病人そのものなのだ。痩せこけ、顔色は悪い。記憶の通りの桐生は、筋骨隆々で、顔色もよくそして頼もしい雰囲気を纏っていた。それなのに今は。
だがそのようなことを考えることは桐生に失礼だと思い、春日はその思考を振り落とす。
「春日……大丈夫だ。俺はもう慣れた」
考えていることはお見通しだったらしい。桐生がそう言いながらこちらを見るので、春日はぎくりとしながら口を閉じた。しかし何か返事をしなければと、詰まらせるように「あの……その……」と呟く。
「それより春日、せっかく来てくれたんだ。何か話してくれないか。俺は暇で仕方ないんだ」
見れば桐生の顔はとても穏やかななものであった。共にした期間は短いのだが、これは身内にしか見せないものなのだろう。
そう思うと、春日は嬉しくなり近くの椅子を取ってから座る。そして口を開けば、主にナンバや足立とのとても下らない日常について話し出す。桐生はそれを、楽しげに聞いてくれていた。
「……で、そういえば紗栄子との関係はどうだ?」
桐生のその言葉を聞いた瞬間に、春日はぎくりとした。紗栄子、そう聞いただけで一気に春日の心に緊張が走る。
春日はハワイの騒動を全て終わらせてから、紗栄子に告白した。だが何がいけなかったのか、紗栄子に振られてしまった次第。結果はどうせ桐生にも知られているのだろう。そう思っていたが、肝心の情報源がない。ソンヒはまだ一度も見舞いに来ていないだろうから。
「その……振られました……」
「そうなのか? 俺はてっきり二人は付き合っていると思っていたんだがな」
「振られました。原因は分かりません……」
「分からない?」
首を傾げた桐生が少し考えてから、春日に幾つかの質問をし始める。まずは簡単でかつ、言いやすい内容から。
「どこで告白をした?」
「異人町のリボルバー前です」
「リボルバー前……」
リボルバーのマスターである、柏木の顔を桐生は思い出していた。だが場所としては順当だったようで、次の質問をする。
「時間は?」
「昼間です……」
これもやはり問題はない。なので溜め息をついてから、別の質問をする。
「お前、いつもと変わったことをしなかったか?」
「変わったこと? そういや……サっちゃんへの愛を伝えるティーシャツを着てましたね……」
「それじゃねぇか」
すぐに回答を導き出した桐生が指摘をすれば、春日は驚く。それが原因だとは思わなかったのだ。しかしこれが原因とは、と春日は唸る。
「なんで……? いやだって、伝えてぇことは、はっきり伝えねぇと……」
「表現の仕方だ。それがいけねぇんだよ」
「じゃあ、何が正解だったんすか」
春日が拗ねたようにそう質問すれば、次は桐生が唸る。そして出てきた答えがこれである。
「俺はお前じゃねぇから分かんねぇよ」
「えぇ……」
がくりと項垂れた後に、病室に花が飾ってあるのが見えた。小さな花瓶に、数本の花がある。見舞い用の花としては妥当なもので、瑞々しい花弁がよく広がっている。花瓶に挿してあるが、当分は枯れないだろう。綺麗な花だと思った。
それを見ていると、桐生が「あぁ、これは……」と口を開く。
「これは、大吾が持って来てくれたんだ。あと真島の兄さんと、冴島が」
「へえ……たしか、東城会六代目の……」
「あぁ」
あまりにもビッグ過ぎる者の名前が出てきたので、春日は驚いていた。
ソンヒから教えて貰ったが、娘代わりとして可愛がっていた遥という娘がてっきり持ってきたのだろうと。しかし親子のような絆を持っている二人だが、遥は来ていないのか質問もしたくなる。知りたい気持ちもあったが、これは個人の問題なのでぐっと好奇心を抑える。
「あいつらも……来てくれたんだ。俺ぁ、てっきりもう、来ないのかと思っていたんだが……何でだろうな……それに、遥も……」
桐生の声が震えているように聞こえた。だが答えは明白である。桐生は泣きかけているのだ。そのような姿は初めて見る、いや想像もできなかった桐生の感情にただ驚くしかない。この男も、平等に泣くことができるのだと。
そしてやはり娘として共に生きてきた遥も見舞いに来ていたのだと分かる。春日はゆっくりと安堵してから、人々の縁の不思議さを知る。人間、兎にも角にも生きていればまたいつか会えるのだと。
「桐生さん、まだ、あの人たちとの縁は切れていないんです。俺との縁のようにです。なので、皆さん来てくれるんだと思いますよ……ここには俺しか居ません。泣いてもいいんです」
「お前、言うようになってきたじゃねぇか……」
笑いながら桐生がそう言ってくるが、春日には怒る気持ちが湧いてこない。寧ろ微笑むと、桐生にぐっと近寄ってから背中を擦る。背中は、見た目以上に細い。
「だが、ありがとな……」
俯いた桐生が言うと、掛け布団に雨のように水滴が落ちてきているのが分かった。やはり桐生も自身と同じく人だ。春日はそう思いながら、桐生の背中を擦り続けていた。
泣き止んだら、花瓶の水を確認しようと思いながら。
数日後に、再び都内の病院を訪れた。
その前に新宿駅の近くで花屋で花を買ったのだが、手にあるのはたった一輪の花だ。黄色のガーベラなのだが、これは店員にすすめられたからだ。どの花が良いのか、経験則では分からずにいると、店員に丁寧に教えて貰った。ガーベラの花言葉は希望。見舞いにはぴったりの花言葉だ。
だが店員曰く、例え一輪でも花は花であり、人を充分に明るくすることができる。たった一輪でも、人に力を与えることができると。
春日はそれに頷きながら一輪のガーベラを買うと、都内の病院に向かった。
「桐生さん、こんにちは」
「あぁ、春日か」
部屋に入れば陽に当たっている桐生の姿があった。それを見て、桐生は日の光が似合うなど考えていた。しかし今日はそれを見に来た訳ではない。見舞いに来て、それも買った花を持って来たのだ。まずはそれを見せる。
「桐生さん、これ」
包装紙に包まれた一輪のガーベラを見せれば、桐生の顔がぱっと明るくなる。やはり花は人を明るくするものだ。
「ん? この花は……ガーベラか?」
「はい、そうです。お詳しいのですね」
「あぁ、よく見舞いの花が来るからな……自然と覚えたんだ」
桐生がよく開いている花びらを指先で突けば、花がよく揺れる。早くこれを飾りたいと花瓶を見れば、今日も沢山の花が生けてあった。春日の表情は寧ろ綻んでしまう。
「たくさんありますね」
「言っただろ? 見舞いの花がよく来るって……しかし、お前の分はお前の分で別に飾りたいのだが、花瓶が無いな。すまねぇが、同じ花瓶に挿してくれるか?」
「はい、喜んで!」
包装紙から一輪のガーベラを取り出せば、花瓶に慎重に挿していく。
「今日も見舞いに来てくれてすまねぇな。暇で仕方なかったところなんだ。病人の話し相手をしてやってくれ」
「俺で良ければ」
近くにある椅子を引き寄せると、それに座った後に桐生の方を向いた。相変わらず体は痩せこけているものの、目は春日の知っている目だ。それは変わらない。
「だが、お前の話を聞く前に俺の話を聞いてくれ。先日、真島の兄さんがハワイに行ったんだ」
「ハワイ!? ……いや、聞いたことはありますよ。たしか、ブライスがかき集めていた核資源ゴミの返却作業を、ヤクザたちがしているんですっけ?」
「あぁ、それで真島の兄さんは後見人って訳でも行くんだが、どうやらネレ島に海賊が二百年前に残した財宝が眠っているらしくてな、それが欲しいと言っていた」
あり得ない、そう思った春日はあんぐりと口を開く。二百年前の財宝など、夢のような話なのだが、本当に眠っているのだろうか。
とうとう首を捻った春日だが、どうやら話に続きがあるようなので続きを聞いていく。
「……で、その中に不老長寿の薬があるらしいんだ」
「え!? なんすか、それ!?」
「いや、俺にも分からねぇが、真島の兄さんはそれが欲しいらしい。それを使いてぇのか……? 兄さんの考えることは分からねぇ」
確かにそうだ。真島吾郎の考えていることなど、春日でも見当がつかない。
還暦になったと聞いているが、今や肩身の狭いヤクザでも長生きしたいものなのだろうか。分からない春日は考えることすらを放棄した。
「へぇ……そうなんですね。冴島さんや堂島さんも行かれたんですか?」
「いや、大吾は留守だ。冴島と兄さんが後見人としてハワイに入った。今頃はあの二人は何してるかな……」
二人が居るとなると、関西弁がよく飛び交っていることだろう。賑やかだと思った。
「では、お土産やお土産話が楽しみですね」
「あぁ、そうだな。特に兄さんなら、何か面白ぇ話を持ってくるだろ」
「あぁ、確かに、分かります!」
笑顔で受け答えた後に想像するが、鮮明に浮かんでしまう。さぞかし楽しそうだと思ったが、加わってしまった方は大変だとも思った。やはり、真島吾郎といえば元東城会の大幹部なのだから。
その後に春日は最近あった出来事を話していく。例えば今の髪型のことだ。無理矢理にストレートにして貰おうと思ったのだが、周りからは「禿げる」だの「モジャモジャ以外は似合わない」だの散々な言われようだ。だが前者の「禿げる」は今の年齢の春日としては気になる為に、言う通りにいすることにしたのだが。
それを聞いた桐生は大笑いした後に「元からチリチリじゃねぇのか?」と真面目な顔で聞いてきた。春日はすかさずツッコミを入れる。
「ちょ待って下さいよ! 俺は元はストレートですよ! くそ……! 証拠がねぇ!」
「そうだな、証拠がねぇな」
やれやれと溜め息をついた春日だが、そこでスマートフォンが何かの通知を知らせてきた。なので確認をするが、ただの天気予報であった。雨雲が接近しているらしい。
「雨……!? やべぇ、傘持って来てねぇな……」
「ここで少し雨宿りしていけ。お前、どうせ暇なんだろ?」
失礼と思ったのだが、否定できない事実だ。なので首を振れないまま椅子から立ち上がる。窓が開いているので閉めようとしたのだ。
「雨か……すぐに止むといいな」
「えぇ、そうですね……」
聞けば真島吾郎がハワイの海の真ん中で行方不明になったらしい。その報せは堂島大吾がしてくれているのだろうか。そう思いながら春日は今日も都内の病院に向かった。今日は事前に百貨店に行き、果物籠を買ってきていた。見た目の良い、華やかな果物だ。
「桐生さん……おっ、花瓶の花が今日は変わっていますね」
入ってすぐに病室の花瓶が見えた。花の種類が変わっており、何だかオレンジや黄色が多い。それでも、様々な色があり華やで統一感がある。
「あぁ、遙とかがこまめに花の位置とかを変えてくれるんだ。お前が持って来てくれたガーベラは、枯れるまでは変えないでくれって言っておいた」
「そんな……ありがとうございます……」
つまりは春日が持って来た花を、遙がわざわざ色などを合わせてくれたのだろうか。堪らなく嬉しい春日は「これみんなに見せてもいいですか?」と、スマートフォンを取り出す。
「いいぞ、自慢してやれ。俺の遙の成果でもあるからな」
返事を聞いた春日は早速にカメラを起動してから、花瓶から花を綺麗に画面に収めてから撮影していく。三枚撮影したところで、メッセージアプリに、その写真を投稿していった。
反応はすぐに返ってきたが、最初に反応したのはソンヒだ。どうやらこれが桐生の好きな色だと勘違いしたらしい。
「桐生さん、一応聞いておきますが、好きな色はオレンジや黄色ですかね?」
「いや、特別に好きな色はねぇが……」
すぐに返事を返すや否や、ソンヒからクレームが大量に来た。そこまでしなくても良いだろうとも思ったが、ソンヒに期待などをさせた自身が悪い。スマートフォンに謝罪文を入力した後に、頭を下げながら送信した。
桐生はそれを見て、クスクスと笑う。
「お前、謝罪文送りながら頭を下げるのか? いや……電話中に謝罪しながらペコペコするようなものか」
途中で納得をしてしまった桐生を見て、春日がぼんやりとしているとそこで気付いた。他の者たちは見舞いに来たのだろうかと。
「そういや、ナンバとか足立さんとか、サっちゃんは見舞いに来ましたか?」
「ん? あぁ来たぞ。それも大所帯でな」
「大所帯……?」
つまりはかなりの人数でここに押しかけたことになるのだろうか。すると一つの答えが導き出された。
「……ソンヒ、ハン・ジュンギ、趙まで来たんすか?」
「あぁ、俺も驚いたぜ。ナンバたちならまだ分かるんだがな、ソンヒとハン・ジュンギまで来るとは思ってもいなかった。だが楽しかったぜ?」
そういえばある日は皆やけに自身を構ってくれないかと思った。不思議だと思っていたのだが、秘密裏に桐生の見舞いに来ていたのか。納得をすると頬が膨らんでいき、メッセージアプリを開いた。内容は自身を省いて桐生の見舞いに行ったことだ。
抗議のメッセージを送信してみるが、既読がついた後に何も返ってこない。
更に頬を膨らませた春日だが、それを見て桐生が「破裂するなよ」と一声掛ける。だが春日の頬の膨らみは変わらない。
「だってぇ! 桐生さん!」
思わず視界が霞むと、これが涙ということが分かった。桐生は肩をすくめる。
「分かったから、今度、みんなで来いって言うから……」
「桐生さん!」
見事に頬の膨らみが解消された春日は、スマートフォンをしまってから花瓶を見る。
「春日、次も花を持って来てくれ。一輪でもいい。お前からくれることが、大事なんだ。俺は、みんなから花を貰うのが生きがいになってきてな……」
「そんな、花くらい持って来ますよ。次は違う色合いが良いですかね。俺、花については詳しくないんで、遙ちゃんに任せるのがいいんですけど……ん? みんなから?」
桐生の言葉にどうにも引っかかりがあった春日は、反芻させた。そうしていると、桐生がすぐに答えを出してくれる。
「みんな、俺に花束を持って来てくれるんだ。量も色も様々でな、見ていて面白いんだ。いや、お前の一輪を責めている訳じゃねぇ。一輪は一輪で、思いやりが籠もっていると思っている」
桐生がそう語ってくれると、春日は花を一輪でも持ってきておいて良かったと思った。しかしそこで、果物籠の存在を思い出す。
「あ、桐生さん、今日は果物籠で……遙ちゃんに、あとはお願いしてもいいですか?」
「あぁ、言っておくが……今日も花でも良かったんだぞ? 俺は枯れていない花なら、いつ見ても飽きねぇと思っているからな」
「……いいんですか? 同じような花を持って来る可能性もありますよ?」
見舞いの品など、普通に選べるくらいの感性がない。それなのに桐生は褒めてくれるうえに、求めてくれる。それが嬉しいと思えた春日は、笑顔を弾けさせながら頷いた。
「じゃあ、また次の見舞いの時に、持って来ます! 楽しみにしておいて下さいよ!」
「あぁ」
桐生の顔も明るくなると、以前のような顔つきをしていた。安堵をすると共に、果物籠を机に置く。果物と花の存在により、病室はとてもカラフルな色合いをしていた。桐生はその中に居れて、幸せだろうと思った。
考えないようにしているのだが、桐生とのこのやりとりはいつまで保つのか考えてしまう。
新宿駅近くの花屋の前で春日はそう考えてしまい、項垂れてしまう。見かねた花屋の店員がおすすめの花を紹介してくれたのだが、それはカラフルなガーベラの花束であった。一輪ではない。
曰く、様々な花言葉を相手に押しつけてしまえばいいと。
何とも身勝手だと思ったのだが、まだ桐生は生きている。だからそうできると思った。春日は頷いてから、会計をする。ガーベラの花束を受け取った。様々な色をしていて綺麗で、スマートフォンを取り出してから何枚か撮影してしまっていた。花とは、これほどに美しいのかと思いながら。
都内の病院に辿り着いてから桐生の病室に向かえば、桐生はいつものようにベッドの上にいた。手を振ってくれるので、振り返しながら椅子に座る。
「桐生さん、今日は花束を持って来ました」
「ありがとう。今日は花束か……おっ、ガーベラじゃねぇか。いいよなガーベラ、花言葉はどれも前向きだしな」
「知ってたんですか」
「当たり前だろ」
花言葉の意味を知られているならば、少し気恥ずかしくなった。しかし、病気が少しでも改善して欲しいのは事実である。なので春日は花束を机に置いてから桐生に見せた。
「綺麗だな……今まで、花とは無縁だったから、ここでようやくカタギらしく花を楽しめるぜ」
「えぇ、確かにそうですね。花といえば、水商売でたまに見るくらいがせいぜいでしたからね……」
すると桐生が俯いた。花束をあれほど見ていたのに、急に目を逸らすのでおかしいと思える。すぐに春日が具合が悪くなったのではないのかと、桐生にぐいと近付く。息はあったが、顔が青ざめている。
「だが、俺はあと何回、新鮮な花を見ることができるんだろうな……」
「桐生さん……いえ、大丈夫です! 俺が生きている限りは、新鮮な花を、毎日持って来ます! 一輪でも、それ以上でも、毎日毎日飽きもせずに持って来ます! だから、俺が持って来る花を見てやって下さいよ! 桐生さん……!」
途中で訳が分からなくなるくらいに、涙が溢れてきた。しかし拭える暇もなく、ぼたぼたと顎に伝い床に落ちていく。それはまるで、花から落ちた雨粒のようだった。
「春日……すまねぇな……だが、約束してくれるか? 俺に、毎日花を持って来てくれ……俺を……殺さないでくれ……」
遂には桐生まで泣いてしまうが、春日は手を握りしめる。骨のように細い腕で、折ってしまうかと思った。
「えぇ、勿論……」
この約束は、いつか途切れると二人は知っている。永遠などないのだ。それなのに、二人はそう約束を交わしていった。花弁は容易く散らないと思いながら。