大吾と峯が、とあるビルの中を歩いていた。この日は傘下にある組が経営しているフロント企業の会計や報告を受ける為である。本当は傘下にある組が、大吾の元へ直接向かわなければならない。
しかし大吾はそれを断り「いい散歩になるのかもしれない」と言って、外で報告を受けた次第。峯はそれに対して不満はあったが、大吾が決めたことである。その不満を喉に流してしまう。
「……もう少しで社長室です」
「あぁ」
東城会六代目会長である大吾の周りは、峯の他には誰も居なかった。これは大吾が峯を信頼しているからこそであるが、周囲からはぼんやりとした不安の声があった。大吾を、たった一人で守ることができるのかと。
その点への峯の回答は「私は必ずやる」と、かなりの自信があるようだ。格闘や銃撃などの腕前は、一人前であると自負していた。更に大吾はあまりの人数の部下が着いてくるのは、あまり好きではない。だがもう一人くらいは居て欲しいと思っていると、社長室の前に到着した。
このビルの内装に豪華さはないが、一般的なシンプルさはある。普通の会社によく見えるように擬態しているからなのか。或いは、ここの社長の趣味だからなのか。
大吾がそう考えながら扉をノックをした後に、自身の名を言う。ドア越しから聞こえる声は、とてもかしこまっていた。返事は「お待ちしておりました」と。
だがまずは峯が扉を開けた。同時に忍び込ませている拳銃を握るが、峯が予想していたであろう光景は無い。きっちりとした服装の組員たちが数名居た。背筋を伸ばして机に向かい、そして手元には数枚の資料がある。「想定」とはかけ離れた光景なので、峯はすぐに拳銃から手を離した。
それを見た大吾は峯をなぁなぁと落ち着かせていると、一人の男が立ち上がってから机にある資料と同じものを二部渡した。そして丁寧に視線を変えさせられると、机と椅子が二人分ある。とても真面目な場を作られており、峯は少し安心したようだ。肩が少し沈んだ。
「では、今回の……」
社長である組員が立ち上がると、資料を見ながら説明していく。ここは大きなスクリーンを利用するのではないのかと峯は思ったが、この会社ではこれが普通だと、大吾が小声で教えてくれた。峯は大吾が言うならばと、すぐに納得をする。
会社についての報告は、ものの三十分で終わった。手元にある資料はとても分かりやすく作られており、峯でもあまり関わらない事業の専門用語が出てきても、社長である組員が分かりやすく教えてくれたのだ。なのでか、峯の機嫌が少し良い。
説明が終わるが大吾と峯からは質問はない。なので帰ることにしたのたが、説明の為に使った紙を持って帰るか大吾が悩んでいた。すると他の組員が、必要であれば郵送で送ると言うので、それに甘えることにする。二人は社長室の扉のドアノブを手に掛けてから、そして開く。少しは覚えた会社の内装が目に入るかと思いきや、ここは真っ白の部屋、いや空間だった。あまりの突然のことに、大吾はパニックを見せる。
「み、峯! ここは、どこだ!?」
「あいつらの罠かもしれません。しかし……六代目に何か恨みでも?」
峯は考える。先程の者達は大吾への信頼が熱く、不審な動きをしている噂など聞いたことがない。正に、大吾の下で喜んで働いている者達なのだ。
どういうことなのかと溜息をついていると、ふと頭上から紙が降ってきた。文字が書いてあるような気がしたので、峯は素早く取る。
紙の色は白く、そのへんのコピー用紙のような質感をしている。畳んであるので広げてみれば、そこには驚愕の文が書かれていた。
「……何!? 相手の身体の部位を潰さないと出られない部屋……?」
峯が怪訝そうな顔で読み上げると、聞こえた大吾が駆け寄って来る。
「おい、何て書いて……潰す……?」
大吾は顔を青ざめることなく、首を傾げていた。この文章の意味が分からないのだろうか。
「……潰すのなら、私を」
「えっ? いいの? じゃあ……」
峯としての「潰す」は機能しなくなるまで、壊すと捉えていた。だが峯は大吾にそうされるなら良いと考えている。自身は何があっても大吾を守り、そして絶対に従順な存在になりたいのだから。
何をされてもいい。指を潰されようが、目を潰されようが、大吾が助かるなら本望だ。そう思いながら、少し考える大吾を見る。
勿論、緊張などもしていた。今まであったものが失うことになるなど、峯だって怖い。峯だって、普通の人間だ。次第に緊張しながらも、大吾の方をひたすら見る。大吾は何か考えているようだ。
「うーん、どうしよう。これでいいのかな……」
潰す場所を思いついたらしいが、判定に入るのかと悩んでいるらしい。峯は「六代目が思うままに」と言うと、大吾が「分かった!」と気合いの入った声で返す。
どこが潰れるのだろうか。どこが無くなるのだろうか。峯はそう思っていると、大吾が近付いてきた。
やるなら早く来て欲しい、峯は暴れる心臓の音を聞きながら心の中で懇願した。大吾がずいと顔を近付けた。そして手を上げるのだが、今から潰すのは目なのだろうか。そうであれば、最後に両目で大吾の姿を映しておきたい。峯は大吾をまっすぐに見た。
ゆっくりと大吾の手が上がると、頬に寄せられた。暖かい、そう思いながらも目を開けていると、大吾の顔が更に近づく。このままでは鼻同士が追突してしまうのではないか。そう思ったところで、大吾の指が峯の鼻をぐっと押し込む。
「よし、潰したからこれでいいだろ」
「……へ?」
峯は気の抜けた声を出してしまう。確かに潰れてはいるが、これは一時的なものに分類されるのであって、判定としてはノーとしか言いようがない。なので大吾に非難の言葉を放とうとすると、扉が開いた。正解だったらしい。
安堵をしたが、大吾はこのまま動く気配はない。なので峯が動こうとするが、大吾に止められた。腰や腕をがっしりと掴む。
「……ッ!」
するとどうしてなのか、恥ずかしい思いが走ってくる。なので自分でも分かるくらいに顔が熱くなり、耳までも熱い気がする。視線は方向を見ており、喉からは何を言えばいいのか分からないので「あ、あの、ろ、六代目……」とおどおどとしていた。何とも情けない姿である。
それを見た大吾がくすっと笑うと手が離れていき、顔が離れていく。そして開いた扉の前に歩いて立ち止まると、大吾はこう言った。
「この後、俺の部屋に来れるか? さっきの続き」
「い、いいえ、でも、いや……はい」
ここまで返事が詰まったことは初めてだが、大吾がクスクスと笑っている。その顔がとてつもなく好きな峯は、曲がってしまったネクタイを締め直しながら扉の方へと歩いて行った。
まっすぐに締め直したネクタイなど、この後外す羽目になるというのに。