焼きすぎたお節介
夏侯惇は時折、失明した片眼がまだあってものが視えるように錯覚してしまうときがある。なので平衡感覚を失うことがごくまれにあった。それはほんの一瞬だが、本人でさえなぜかは分からないらしい。それが起きるタイミングはいつも不規則なので、夏侯惇はそれに少し悩まされているが。
ある空の晴れた昼間のことだった。平服姿の夏侯惇は城内の人気のない庭にある椅子に腰掛けて休憩していた。執務に追われたり、曹操のわがままに付き合ったりしていて、疲れている様子だ。しかし一〇分くらい椅子に腰掛けていたので、そろそろ休憩を終えなければならないと、立ち上がる。
すると突然に平衡感覚を失い、固い土の上に転んでしまった。そのときに右脚で体勢を直そうとしたが、結局はどうにもならずに右足首を挫いてしまい、平服も泥だらけになった始末。さらに夏侯惇は舌打ちをしながら立ち上がろうとするも、足首を痛めてしまってなかなか立ち上がれないでいる。
だが夏侯惇はそれでも、と無理矢理に立ち上がろうとすると、背後から誰かに二の腕を掴まれる。それのおかげですんなりと立ち上がることができた。
「お怪我はありませぬか?」
背後に居たのは同じく平服姿の于禁だった。それに対して夏侯惇は「すまんな……」と言った後に続けて礼を言おうとしたが、挫いた右足首の痛みが増して言おうにも言えない。それに痛みのせいで真っ直ぐに立つことができないらしい。夏侯惇は片目で右脚を睨む。
于禁はその夏侯惇の様子を見て、事態に気付いたらしい。心配そうに話し掛ける。
「……もしや足首を挫かれましたのでしょうか? ご自身で立つことはできますか?」
「挫いてしまったが、少し厳しいらしい。お前には情けないところを見せてしまったようだな……」
夏侯惇が少し弱気になると、それを見た于禁は「失礼」と言った。夏侯惇はどうしたのかと首を傾げていると、体が急に浮く。
「……なっ!? おい! そこまでしなくてもいい! おろせ!」
「なりませぬ!」
于禁は夏侯惇を瞬時に横に抱いていたのだ。周りには誰も居ないと言えど、夏侯惇はあまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にした。真剣な表情の于禁に横に抱かれながら、ジタバタと暴れる。
「……夏侯惇殿、いくらあなたが軽いとは言え、危ないので大人しくして頂きたい。早く、侍医に診せなければならないというのに」
「できるか! それに軽いとはなんだ! 肩を貸してくれるだけでいいから、早くおろせ!」
「なるほど、そう仰るなら仕方がありませぬな。走って向かいます」
「人の話を聞け! というより、俺はこのままかよ!」
「観念して下され」
「な、なぜだ……于禁……」
于禁は夏侯惇を横抱きしながらきっぱりと言う。
そうして夏侯惇は色々と諦めたのか死んだ顔になり、于禁に横に抱かれると「念の為に私の首に腕を回して下さい」と言われたので、夏侯惇は文句も何も言わず、相変わらずの死んだ顔でそれに従った。それを見て頷いた于禁は、城内の侍医の元へとかなりの速さで走って運んで行く。
ちなみに、本当にたまたま道中すれ違った荀彧に二度だけではなく、三度見をされたうえに目が合ってしまったのを、夏侯惇はしばらく忘れられなかったという。