冷えた空気と体温
「于禁、疲れているところすまんが、今からすぐに街へ見回りに行くぞ」
ある日の冬の黄昏時のことだ。城内での鍛錬が終わった直後の直刀を持った于禁に対して、平服姿の夏侯惇はそう話しかけた。
「承知いたしました」
于禁は了承の返事をすぐにすると、直刀を鞘に収めてそのまま携える。そして鎧姿だが一番最初に外していた手袋をつける暇もなく、夏侯惇に着いて行った。
「陽が沈む時間帯は、俺自体が見回りをあまりしたことが無くてな。普段は衛兵が常に見回りをしてくれているのだが、たまには俺自身の目で街を見たい」
二人で歩き出したところで、夏侯惇がそう言うと于禁は頷く。
「それでしたら、この時間帯は治安が悪くなってきますゆえ、喜んで私が護衛を致しましょう」
「すまんな」
「いえ、お気になさらず」
二人がその会話を終えた頃には、街中へと入っていった。
見回っている最中は二人は無言で歩く。于禁は辺りを睨んで警戒しながら、夏侯惇は前を見ながらと。その間に、民は于禁の様子に怯えているのを夏侯惇は横目で見ていた。
ある程度の箇所まで見回ると、陽は沈みかけていた。辺りは暗くなっていく。
すると夏侯惇が「あそこが最後だ」と、人気のない場所へと入る曲がり角を指で示す。于禁はそれに了解と頷くと、夏侯惇を安全な場所へ待機させる。
于禁はその曲がり角の前へと先に向かい、そして直刀を構えながら角を曲がった。だが何も問題は無かったので、于禁は夏侯惇に問題ないと伝えると警戒を解かないまま、鞘に収まっている直刀を構えてその曲がり角へと一緒に入る。
「ここも問題なさそうだな」
曲がり角を曲がると、いわゆる裏路地へと入っていた。だがとても静かで人気がない。それに何か犯罪行為が行われている、または行われていた痕跡が無いことを確認すると、夏侯惇はそう言ってから「城へ戻るぞ」と言う。すると于禁は了承の短い返事をした。
なので二人は裏路地から出ようと歩き始めるが、途中でピタリと止まった夏侯惇は于禁にふと話し掛ける。
「于禁、実は見回りというのは嘘で、お前と一緒に街を歩きたかったからそうし……」
するとゴン、と鈍い音が聞こえた。于禁は建物の壁に顔をぶつけていたようで、夏侯惇は驚いた顔をする。
「どうした!?」
于禁はぶつけた後に両手で顔を覆っている。それを心配した表情で夏侯惇は于禁の顔をうかがう。
「驚きのあまりに……」
「は!?」
「夏侯惇殿が唐突にそう仰るので……」
于禁の顔を覆っている指の隙間からは、赤みを帯びた肌が見えた。夏侯惇はそれを見て笑う。
「なんだ、先程とは大違いで可愛らしいところもあるではないか」
「か、可愛らしいなど……!」
「ほら、手を取れ。そのようなことでは、携えているその刀は取れぬぞ」
「はい……」
于禁がゆっくりと顔を覆っていた手を取ると、顔は真っ赤だった。夏侯惇はそれを見てふわりと笑みを浮かべる。
「ふふっ……于禁、城へ帰るぞ。だが次は今回のような嘘はつかずにお前とただ街を歩きたいから、そのときは予定を空けておけ。断るなよ」
「存じております」
しかし于禁の顔の赤さが分からなくなるくらい、辺りはすぐに暗くなった。その中でも二人手を探って触れると、互いの手の温もりを感じ合う。そして冷えた空気の中で、二人にとって心地よい温かさが伝わっていく。
「……ですが、次は私がお誘いする番の筈では?」
「そうだな。では、そうしてくれ。約束だぞ?」
夏侯惇は于禁の指を一瞬だけ絡めると、それを解くのを合図に、二人は裏路地をゆっくりと出たのであった。