一枚のドアを開けたら - 2/5

リビングのドアを開けたら

「か、夏侯惇殿!? あ、いえ……休日出勤、お疲れ様でした」
本来ならば今日は休日なのだが、夏侯惇は冷えの強い朝早くから休日出勤をしていた。しかし連絡も無しに帰って来たので、リビングの掃除をしながら考え事をしている于禁は驚きながらもそう言う。
考えていたことは、弁護士を止めて数年が経過していた。そのせいか『今』ならではの現実的な人間関係を知る、機会が激減してしまっている。今までは、于禁はそれを武器に小説を執筆していたのだから。しかしどうにかしようにも思い付かず、掃除ばかりが捗っている状態だった。
現在の時刻は昼過ぎ。夏侯惇の昼食を用意していないので、于禁は掃除の手を止めてからキッチンに向かおうとした。だが疲労によりげっそりとしている夏侯惇に、腕を掴まれて止められてしまう。
于禁は肩まで伸びている髪をなびかせながら、夏侯惇の方へと振り向いた。
「ま……待て……」
「は、はぁ……」
声を出すことでさえ、苦しいと思えるらしい。夏侯惇は地を這うような重い声音で、于禁にしがみつく。そして夏侯惇が顎でソファを示すと、于禁は夏侯惇の意図を理解する。一緒にソファに座りたいのだと。
于禁は夏侯惇を支えながらソファに向かうと、どかりと二人で座った。その瞬間に、夏侯惇が于禁を勢いよく抱き締める。
唐突ではあるものの、于禁は夏侯惇にされるがままの状態になった。いつもより荒めの吐息が夏侯惇から聞こえるが、それが反射的に愛しいと思ったからだ。
なので背中へと手を回そうとしたが夏侯惇の手が伸びていき、于禁の頭へと向かう。そして伸びてきている髪を撫で始めた。手触りが良いのか時折、髪を柔らかく掬っては落としていく動作を繰り返す。
そうされていくうちに、于禁の中でとある感情が再生したようだ。夏侯惇の手を掴み、その感情を遠回しに伝える。それも、かなりはっきりとした口調で。
「お疲れのようでしたら、今からベッドで休まれてはいかがでしょうか」
しかしそれを聞いた夏侯惇はぽかんとしていた。疲労のせいで、頭が回らないらしい。なのでどういう意味であるのか、于禁に直接質問する。
「どういう意味だ? 別に少しここで休んでいてもいいだろう?」
夏侯惇の体がもぞもぞと動き、于禁とより密着させようとした。だが于禁はそれを拒むように止める。
「どうした?」
「違います。そうではなくて……その……私は、貴方を誘う意味で言ったのですが……」
途中で恥ずかしくなった于禁は頬を勢いよく赤らめた。そこでようやく理解した夏侯惇は、まずは短い笑い声を上げる。
「では、お前が最後までリードしてくれ。できるだろう?」
「……はい」
顔の赤色の範囲が一気に拡大した。それでも于禁が頷くと、夏侯惇の手を引いて立ち上がってから自身の寝室へと入った。昼間なのでまだ明るく、レースのカーテンのみが閉められている。于禁はその上にある厚い生地のカーテンを閉めるが、先程よりも明るさが弱くなった程度。完全には暗くなっていない。
その中でベッドの上に夏侯惇を押し倒すと、たまらなく興奮するらしく短い吐息を絶え間なく吐く。
夏侯惇からは香水と整髪料の混じり合った匂いがするが、于禁はそれが好きであるようだ。犬のように夏侯惇の額や瞼、そして頬を舌で舐める。夏侯惇は擽ったそうに笑っていた。
次にそっと触れる程度の口付けをしようとしたが、そのような余裕が于禁にはもう無いらしい。覆い被さってからついばむように唇を合わせると、角度を何度も変えていく。二人の熱い息と視線が交わる。その際に夏侯惇は少しだけ口を開けていたので、于禁はそこに厚い舌を捩じ込んだ。
しかし夏侯惇は視線のみを動かしており、完全に于禁に身を委ねている。いつもは主に夏侯惇のリードで体を重ねているので、于禁には緊張が少しはあった。だがこの広く白いシーツの上に、それにすぐ目の前には心でさえも一つになってしまっても厭わない人間。
そう思うと脳に張り巡らされている理性の紐が、どんどん千切れていく。緊張が、どんどん溶けていく。
「ん、ぁ……んぅ……は、ッあ、元譲……!」
唇の隙間から唾液と共に、夏侯惇の名を呼ぶ。于禁はただ愛しくてやまないのだ。
夏侯惇はそれに応えるように舌を覗かせると、于禁は食らってしまうかのようにぬらりと舐め上げる。そして確実に捕らえると、じゅるじゅると吸い上げた。
とても気持ちがいいのか、夏侯惇は目を細めていく。するといつもの癖で、腕が勝手に動いて于禁の背中に手を回しかけた。しかし自身の行為の前に、最後まで于禁に委ねるという発言を思い出したので堪えた。そのようなことを言うべきではなかったと、深く後悔しながら。
于禁は夏侯惇のその動きなどに、全く気付いていない。夏侯惇との口付けに、夢中になっているからだ。
そしてしばらく舌を吸われていくうちに、根から抜けてしまうかのように夏侯惇は錯覚してしまっていた。それ程に、于禁の舌を捕える動きに激しさが増した証拠である。
「……もう、限界でしょうか?」
短い言葉で煽ってから顔を上げると、于禁の唇の周辺は唾液に塗れていた。それを服の袖で雑に拭うと、夏侯惇の下半身に触れる。本来はなだらかであるそこは、どう触っても大きく膨らんでいた。
一方の夏侯惇も、于禁と同じく唇の周りには唾液がかなり付着している。下半身も夏侯惇自身も正直であるので、口角をただ上げるのみ。
「そうですか」
于禁は同様に自身の下半身も大きく膨らんでいるので鼻息を荒くしながら、夏侯惇とそれ同士を擦り合う。その時点でさえ腰が止まらなくなりかけたが、于禁はこの先に凄まじい快楽と幸福があるのを知っている。なのでそれを味わう為に、夏侯惇のスーツを少しずつ脱がせていった。
慣れた手付きでジャケットを脱がせ、ワイシャツを脱がせていく。手の平で夏侯惇の素肌を撫でた後に、次はスラックスのベルトに手を掛けた。カチャカチャと外していくと、一気にスラックスを降ろす。残りは生地の部分が派手に膨らんでおり、早くも濃い染みができている下着と、それに靴下がある。
「早く、脱がせろ……」
「いいえ」
生理現象や性欲に、夏侯惇は抗えなくなってきていた。苦しげな声を上げながら、腰を何度も前後に動かしていたからだ。
あまり見ることのできない切羽詰まった様子に、于禁は興奮した。いつもならば、于禁が弄ばれているからだ。その姿をもっと見たいと、于禁は夏侯惇を焦らし始める。下着の立派な膨らみに触れると、やわやわと揉んでいった。
「ッ……! は、ぁ……うきん……!」
「私のを解すまで、待って頂けますか?」
夏侯惇は于禁よりも険しい顔を作るが、もう限界なのだろう。しかし于禁はそれにわざと気付かないふりをすると、自身の服を次々と取り払う。勿論、下着もだ。
素肌しか見えない格好になると、于禁は夏侯惇を視覚的に煽り始める。夏侯惇の腹の上に跨ると足を開き、粘膜の全てをさらけ出した。空気を感じる程、夏侯惇からよく見えるように。
手を伸ばして唾液に塗れた夏侯惇の唇に触れる。指でそこを撫でていき、くちゅくちゅと絡めていった。だが思ったよりも量が少ないので、夏侯惇の唇を割って挿し込む。舌を弱く摘み、唾液を出すように促した。
鼻で酸素を取り込みながら、夏侯惇は喉からくぐもった音を出す。于禁はそれでも構わず指で弄っていくと、大量の唾液が湧き出る。思わずニヤリと笑うと、于禁は指を掻き回して唾液を潤滑油として纏っていった。
唾液がべとりと付着した指を取り出すと、夏侯惇は「はぁ、は……っは……!」と息を激しく吐く。そして于禁は腰を浮かせてから、入口に指をあてがった。
「もう少し、待って頂けますか」
言い終える前に、于禁は指先を挿れていく。二人は最近は特にご無沙汰という訳ではないので、するりと飲み込んでいった。しかし夏侯惇のものを受け入れるには、無理があるだろう。于禁はそれを分かっているので、指を動かして縁を拡げていく。
自身の指先で入口を触れただけで、于禁は快楽を得てしまっている。なので夏侯惇の上で存分に喘ぐ。
「ぁ……! ん、はッ、あ、ア……んぅ、っふ、ぁ、あ……」
途中で夏侯惇の下半身に限界がきているのを、于禁は感じ取っていた。びくびくと震え、どくどくと脈を打っているからだ。だが夏侯惇は発言を撤回する気が無いのか、苦悶の表情を浮かべながらとてつもない性欲と戦う。
指の本数を増やしていくと、奥の粘膜に空気が触れるようになってきた。入口が柔らかくなった証拠である。
肩まで伸びている髪を揺らしながら、指を引き抜いた。腰を痙攣させた于禁は、ようやく夏侯惇の下着を取り払う。すると于禁を毎回女のように狂わせてしまう、立派な剛直が姿を現した。喉仏を上下に動かしてから、于禁はその先端と入口の縁を密着させる。
「たくさん、気持ち良くさせて下され……」
「ん……」
腰を沈めると、于禁は快楽にどんどん打ち負けていく。表情はだらしないものになり、いやらしい声を出した。しかしそこで夏侯惇は、自身の発言などどうでも良くなったらしい。于禁の腰を強く掴むと、無言で睨みながら体を貫いた。
「ひゃあァ!? わたしが、りーどするって、ぅあ、ぁ、や、あ、あっ!? ぉ、あ!」
于禁の髪が乱れるくらいに、夏侯惇は腰を振った。すると締まりが良いのか精液を吐き出したが、ピストンを止めることはない。結合部からは痛々しい程に、肌がぶつかり合う音が響く。そして、入口に注ぎ込まれた精液を掻き混ぜる音も。
「っ、はぁ、ぅ……! 俺は、そのようなことは、聞いていない……ぞ!」
最も強く剛直を突き刺すと于禁は脊中をしならせ、自身の胸に自らの精液を撒き散らした。全身がビクビクと痙攣しているが、夏侯惇は腰を完全に停止させる気はない。
まるで拷問でもするかのように、腰を激しく振って于禁を虐めていく。
「やらぁ! もう、ゆるひて! ぁあ、イく、ぁ……お! ッぉ!? ァ、イぐ! あっ! ん、ぉ、イく、はぁ、ぁあっ!」
于禁の瞳からは涙が垂れるが、体を揺さぶられるので唇にまっすぐ落ちることがなかった。頬を通り過ぎ、もみあげを通るとそのまま落ちていく。夏侯惇はその姿を見上げながら「綺麗だ」と呟くが、于禁にはその声を拾う余裕などない。ひたすら快感という深海に溺れ、浮かび上がることができないでいるからだ。
そして二人は何度も何度も精液を噴出させていくうちに、于禁は何も出さないまま絶頂を迎え始める。しかし夏侯惇の剛直が萎えてくる気配があったので、限りあるまで于禁の腹を突き続けた。ぐぽぐぽ、という異様な音を出しながら。
ベッドからも悲鳴を上げさせながら、ようやく夏侯惇の剛直が大人しくなった。二人は酸素を必死に求めながら、動きをぴたりと止める。だが于禁の体が自然と前に倒れると、夏侯惇はそれを下から受け止めた。于禁は夏侯惇の香水と整髪料、それに汗の匂いに沈み込む。
「好きだ」
夏侯惇がぽつりと言うが、于禁は言葉を紡ぐことができない。そして、指先を動かすことさえも。なので何も返すことができないまま、夏侯惇の呼吸音を聞き続けた。
数分が経ち夏侯惇の呼吸が落ち着くと、両腕で于禁の背中を包んだ。すると于禁の体が小さく震えた。先程の射精を伴わない絶頂のような、そんな震え方である。夏侯惇はそれをよく知っているので、背中を撫でてやるともう一度震えた。
剛直は使い物にならないが、悪戯心が芽生えたので夏侯惇は于禁の耳元に唇を寄せる。
「腹も、擦ってやろうか?」
そう甘く囁くと、于禁の体がまたしても震えた。夏侯惇は僅かに笑ってから、于禁の髪をぐしゃぐしゃにする。
「冗談だ。お前は、もう疲れているだろう? あれだけ鳴いたからな」
于禁が返事できないことを分かっている。夏侯惇は于禁の体勢を楽にさせる為に、体を少しずつ動かしていった。芯を失った剛直をゆっくりと引き抜くと、精液がだらだらと落ちてくる。今回も大量に中に出してしまったと夏侯惇は思った。目の前に居る、この世で最愛の人間を見ながら。だが謝罪などする気が無く、寧ろもっと植え付けたいという思考に染まる。
その最中に于禁の体がまたしても震えたので、ベッドに仰向けに寝かせる。夏侯惇は労る為に、その上に軽く覆い被さった。
横目で時計を見ると、時刻は夕方になっている。もうそんな時間かと、夏侯惇は瞬間的に驚いていた。
「もう少し休憩したら、シャワーを浴びられるか?」
于禁の顔は天井を向いており、次は夏侯惇が見下ろしている。そう聞くと于禁の虚ろ気味にある視線が、夏侯惇の方へ一瞬だけ移動した。返事を理解した夏侯惇は「分かった」と言うと、覆い被さるのをやめてから隣に横になる。
互いの体は精液でべとついているが、そのようなことを気にすることは無かった。于禁が多少は動けるようになるまで、夏侯惇は傍に居る。
一〇分程度経過すると、于禁の手が少しは動かせるようになった。呼吸も落ち着いたのか、まずは夏侯惇の名を出す。それに気付いた夏侯惇は名を呼ばれたことに対して、確実に返事をした。
「辛いが、すまんな」
かなり短い詫びを入れた夏侯惇は、于禁の体を持ち上げる。自身よりも少し大きな体をまずは必死に座らせると、そこから肩を貸して何とか立たせた。于禁からも、そして夏侯惇からもうめき声が上がる。
この瞬間は正直、あまり経験したくはない。だがその前後は心地が良い。いや、此地が良過ぎて全てがどうでもよくなる程だ。夏侯惇は仕事の辛さ、于禁は現在の職業についてを。共に麻薬を作り、互いにそれぞれのものを味わっているように思えた。抜け出すことなど、できる筈がない。
よろめきながらも冷え切った浴室に辿り着く。夏侯惇はすぐに于禁と抱き合ってから、体の中に残っている精液を掻き出す。柔らかい穴に指を入れると、于禁はか弱く鳴く。先程の余韻が、まだ充分に残っているからだ。ぼんやりとした表情で、刺激を受ける。
いわゆる『絶倫』というものなら夏侯惇は直ちに再熱し、于禁を再び犯してしまうだろう。それくらいに、于禁は淫らな声を吐く。
「ん……っう、あ、は……ん、ッは……」
ただ指を動かす度に、于禁は絶頂を迎え続けた。夏侯惇は「あと少しだ」と何度も何度も言い、ようやく全て掻き出し終える。
排水溝に漂う精液を冷水で流すと、于禁の体にぬるま湯を頭から被せた。肩までの長さの髪が一気に額や頬に張り付くと、夏侯惇はそれらを耳に掛けてやる。于禁が最中に鳴いていたように「綺麗だ」と呟きながら。
そして于禁や自身の体を綺麗にすると、浴室から出て体を拭く。が、そこで気付いた。ベッドのシーツを綺麗なものに変えなければならないことを。
バスタオルで于禁の体を包むとリビングに連れて行き、ソファに一旦座らせる。夏侯惇は自身が全裸であるということなど、どうでもいいらしい。急いで寝室に向かうと、シーツを取り外して内側にくるむように床に置く。そして棚から洗濯したシーツを取り出すと、それを素早くセットした。
使用済みのシーツを拾い上げて寝室を出る。ソファに座っている于禁の前を走って通ると、脱衣所の洗濯機に放り込んだ。そこで安堵した夏侯惇は、胸を撫で下ろして于禁の元に歩いて向かった。于禁には大きな疲労を作らせてしまったのか、かなり眠たそうにしている。
「ふふっ……」
于禁はその夏侯惇の様子を見て小さく笑う。素っ裸の男が勢いよく走る姿を見て、面白いと感じたらしい。夏侯惇は「何を笑っている」と機嫌を一瞬だけ斜めにする。しかしその後に于禁に手を差し伸べた。
「疲れただろう? 早く休んだ方がいい」
「はい……」
返事をした于禁はその手を取り、よろよろと立ち上がる。夏侯惇は于禁の体をしっかりと支えながら、寝室へと戻って行った。
互いに何も着ないままベッドの上に二人で倒れると、夏侯惇にも疲れが襲ってくる。今日も朝早くから休日出勤していたせいだろう。
同じ布団に入ると夏侯惇は、于禁を抱き寄せて「おやすみ」と言う。対して于禁も同じ言葉を返すと、二人は疲労を抜く為に眠っていったのであった。

まずは于禁が目を覚ますと、時刻を確認する為に暗い中でスマートフォンを手で探していく。だが見つからないので、最後にどこに置いたのか思い出した。そういえば、リビングに置いたままであることを。
今は短期間だけ小説の執筆を休んでいるので、担当編集である蔡文姫から連絡は来ない。なのでスマートフォンを半日以上確認しなくとも大丈夫だろう。時刻を確認する手段など、他にもある。それに仮に連絡があっても、隣で熟睡している夏侯惇から聞き出せばいい話であって。
次に部屋の照明のリモコンを探していった。それはすぐに見つかると、そっと握ってから、暗がりでも微かに光っている常夜灯のボタンを押す。部屋全体がか弱く淡い色の光に包まれると、自身の寝室を見回して壁に掛かっている時計の方向に視線を向けた。
現在の時刻は、深夜の二時過ぎである。
「まだこんな時間か……」
于禁は生活リズムがずれようが問題はない。今から何かしようと思ったが今は体が痛く、それに隣には夏侯惇が眠っている。あまり身じろぎを取りたくないので、僅かに息を吐くと常夜灯を消して再び部屋を闇に包んだ。
すると于禁はとあることを思い出す。夏侯惇が帰宅する前に、考え事をしていたことを。リアリティのある人間関係を見る場面を、どうにか確保しなければならないことを。どこも黒い空間に目を泳がせながら、于禁は考えた。つまりは、人間観察をしなければならないのだ。
人間観察も趣味の範囲に入るのは知っている。だが生憎にも于禁にそのような趣味が無いし、趣味にしようとも思わない。外で普通に歩いている人間を凝視することなど、どこが面白いのか。
少しの嫌悪感が芽生えてくると、于禁は瞼を閉じる。先程の思考など退けて、再び眠ることにしたのだ。しかし充分に眠ったのか、なかなか眠れないでいた。夏侯惇に申し訳ないと思いながら、まだ清潔なシーツの上で体をもぞもぞと動かす。すると自身でも思ったよりも大きく動かしてしまったらしい。夏侯惇の体が小さく動く。
あと数回体が動くと于禁の名を呼ぶ声が掠れて聞こえ、夏侯惇が目を覚ましてしまったことが確認できた。于禁はしまったと、心の中で頭を抱える。
何か喋ろうとした夏侯惇に先駆けて、于禁は謝罪の言葉を重ねた。しかし言い終えた瞬間に、夏侯惇は于禁に抱き着いてからへその下の当たりをさする。
「っは!? ぁ……う、あぁ……!」
性行為の時のように、于禁の体が快楽に悦んでしまった。そうなると平時のような考えが遮断され、自然と夏侯惇と体を密着させる。于禁の脳はそうでもないが、体は学習してしまっている。こう甘えれば、夏侯惇が気持ちいいことをしてくれるのだと。
「さっきのだけでは、足りなかったのか?」
完全に覚醒したのか、腹をさする手付きがどんどんいやらしいものになっていく。抵抗という言葉の意味を忘れてしまった于禁は、ただ快楽とシーツへと沈んでいった。しばらくは浮かび上がることができないだろう。朧げにそう考えていると、夏侯惇の手の動きが止まった。
同時に于禁の体が浮上していく。なので何事かと思い、震える声で夏侯惇の名をただ呼んだ。ついでに夏侯惇からの拘束が緩んだので、体を少し動かす。
「夏侯惇、殿……?」
部屋は真っ暗なので姿だけは見えない。だが息遣いは見えるように思え、于禁は目を凝らす。すると見えたのは性欲に満ちたものとそれに、大事な存在を労るものである。両方が、夏侯惇の中で拮抗してしまっているのだ。
察した于禁は夏侯惇の方を向いた。そして抱き締めると、呼吸が落ち着いていく。目の前から「すまん……」という呟きが聞こえると、手で夏侯惇の顔を指でそっとなぞった。精悍な顔立ちをしており骨は太く、髭を多く生やしている。だが誰にでも優しい人間性をしているので、そのギャップに惹かれる異性が多かったのだろう。
于禁はもはや何をされても嫌いになることはない。そう自負しているので、なぞって辿り着いた厚い唇に触れる。夏侯惇を独占できていることに、とてつもない嬉しさは前からずっと維持していた。今だってそうだ。
「……少し、ベランダで外を見ませんか? 外は寒いですが」
立つことだけはできるし、夏侯惇のことだから体を支えてくれるだろう。于禁はそう信じて提案した。夏侯惇は一瞬だけ答えに迷ったが、最終的には「良い」と言うと部屋の常夜灯を点ける。
二人は適当な服を着ていくと寝室を出て、リビングに入った。窓際へと歩いていくと、ベランダへと出る。外は室内よりも冷えるので二人の肌には寒さに鳥肌が立ち、体が僅かに震えた。
空気が澄んでおり、ここはマンションの最上階である。街中を歩いている大量の歩行者と、目が合う確率はかなり低いだろう。それに隣に入居者が入っているものの、この時間だ。既に眠っている頃であった。その証拠として、隣を見ても照明や人が起きている気配が一切無いのだから。なので外でも二人きりになっている気分に、于禁は陥る。
見上げると夜なので、空は当たり前のように暗い。見下ろすと眠ることを知らない、街の人工的な光がよく輝いている。夜明け前には消えていくが、ずっと見ているとそれが永遠に消えないように于禁は思えた。だがそれも、気のせいでしかないのだが。
「ずっと、こうしていたいな……」
夏侯惇がふと呟く。街を見下ろしていた于禁は夏侯惇の方を見ると、表情が緩んだ。
二人はそれぞれベランダの柵に手を乗せている。于禁が夏侯惇の手の甲の上に、手のひらを重ねた。そして何も喋らないが、同意見であるという意思が伝わったらしい。夏侯惇は「あぁ」と短く返事をすると、于禁の手をそっと動かした。
そして于禁の背中に手を回すが、体が自身よりも震えていることを確認した。なので夏侯惇は部屋に入ろうと促す。返事に迷った于禁だが、室外よりも室内の方が夏侯惇と愛を重ねることができる。こくりと小さく頷くと、二人は寝室に戻ってベッドに入った。途中で夏侯惇が「眠くはないか?」と聞く。
「はい」
「……それでは、眠くなるまで、話をしていよう」
「喜んで」
二人はベッドの中で抱き合うと沈黙が生まれる隙などない程に、会話をしていったのであった。しかし二人はその途中に、同時に眠ってしまっていたが。