めくる月 - 7/12

再開の七月

先月に書いていたメモを元に、数日のうちにプロットを書いてしまっていた。于禁自身としては、いつもよりも早いペースだ。一番近い編集会議までには少し期間が空いているが、于禁はその一本で勝負をすることにした。久しぶりに書いたのにも関わらず、自信があったからだ。
蔡文姫にメールでデータを提出をすると「面白そう」と、プロットの時点で高評価の返事がきた。于禁は嬉しくなったが、担当編集からの感想だけでは決まらないので気を引き締める。なので「よろしく頼む」とだけ返していた。
そして七月に入るが、于禁の提出したプロットは無事に採用される。帰宅した夏侯惇に間に合うのかと心配をされたが、于禁は「ご心配なく」と頷いた。恐らく、相当に筆が進むのだと信じて。
なので早速に執筆を始めるが締め切りは九月の中頃だ。発売は十一月から十二月の、どこかにしたいと出版社側が定める。メディア化に合わせたのだろう。常に締切を守っている于禁であり、久々だからと言って締切を破らないようにまずは大まかな計画を立てていった。同時にメディア化の際の、キャスティングの監修の仕事もあるのだが。
八月の終わり頃までに全てを書き終え、締切の数日前に推敲を終わらせる。これが大まかな計画だ。于禁は書斎のカレンダーを見ながら頷くと、メディア化の仕事以外の日はなるべく一日中机に向かうことにした。

業界的には珍しいドラマ化のオーディションがあったので、この日は一日中家の外に居た。審査員として居たが、慣れないことしか無かったので、余計に疲れている。
だがまだオーディションやキャスティングの会議がこれから何度もある。于禁はスケジュール帳に事前に書き込んでいた予定を確認すると、早く慣れなければと考えていた。
それに今の時期はかなり暑いので、于禁は疲弊しながら夜の七時前に帰宅していく。夕食を作りたいが、そのような体力はもうない。なので出来合いのもので済ますことにしたので、帰宅途中にスーパーに寄っていた。
買ったものは炭水化物と肉が中心である。あとは電子レンジで温めるだけなので、于禁はそれらを冷蔵庫にしまうとエアコンをつけてからリビングのソファに座った。すると体に根が張ったかと思うくらいに、動く気力が無くなる。前の職業の時代は、このようなことは無かった筈なのに。もしや若かったからなのかと考えると、そういえば夏侯惇と出会ってから数年は経過していたことに気付く。年を取ったのだ。
時の流れは早い。于禁は夏侯惇と出会った当初のことから、最近のことまでを軽く振り返る。ここまで長く、人間関係が続くのは初めてだと。
思えば恋人ができたとしても、多忙によりすれ違い振られてしまうか自然消滅をするかのどちらかであった。長くとも二年以内にはそうなってしまう。なので弁護士を辞める前までは、ただ一人でぼんやりと生きようと考えていた。
なので時の流れが早いと同時に、人生とはやはり不思議なものである。于禁は瞼を降ろしてから再び夏侯惇との思い出に浸っていると、玄関の扉が開く音がした。直後に夏侯惇の「ただいま」という声も聞こえる。于禁は張ってしまっていた根を勢いよく切り、立ち上がった。そしてまだ玄関に上がっていない夏侯惇の元に駆けて行く。
「おかえりなさいませ」
姿を見るなり、于禁は夏侯惇に抱き着いた。夏侯惇は半袖のワイシャツを着ており、外の光熱を吸っているのか仄かに熱い。だが于禁はエアコンで体を冷やしているので、それが丁度良かった。
「ただいま」
改めて言い直すと、夏侯惇は于禁の体を抱きしめ返す。于禁が手を解いていくと、夏侯惇も同じようにしていった。そして「今から夕食にするのか」と聞く。
「帰宅された直後ではありますが、夕食になさいますか?」
「ん、そうする」
夏侯惇が頷くが、そういえば靴をまだ脱いでいない状態だということに気付く。于禁は慌てて靴を脱ぐように促すと、夏侯惇は「そうだったな」と言って靴を脱ぎ玄関を上がった。
すぐに二人で夕食を済ませると、それぞれが少し休みたいのか片付けを後回しにした。ダイニングテーブルに向かったままで、夏侯惇が話題を出す。食後に、グラスに入ったアイスコーヒーを啜りながら。
「今日はオーディションがあったそうだな」
「はい。私も審査員として参加させて頂きましたが、そのような立場ですら初めてなので、どうすれば良いのか……」
溜息をつきながらそう話すと、夏侯惇が笑った。
「確かに、そうだな。だが順調に終わっているのであれば、良いではないか。ご苦労だったな」
「ありがとうございます」
グラスには氷が入っているので、それを鳴らしながら夏侯惇がアイスコーヒーを飲んでいく。
「明日は何もないから、休みだな」
夏侯惇の言う通りで、明日はメディア化についての仕事の予定が入っていない。なので明日はかなり執筆を進められると思いながら、アイスコーヒーを着実に減らしていったのであった。

翌朝から、于禁は夏侯惇を見送ってから家に居る日は毎日のように執筆をしていく。まだ半分も終わっていないが、調子が良いと自覚していた。実際に、スラスラと大量の文章ができていくからだ。詰まることは滅多に無い。
だがずっと書き続けていては流石に誤字脱字が目立つので、前からのルーティン通りに昼食と休憩は必ず取っていた。オーディションやキャスティングについての会議がある日は何もできないので、初日のように疲れ切っていたのだが。
それを毎日繰り返すと、七月の終わり頃には半分以上を書き終えることができた。于禁は目標よりも多く進んだことに感動する。
するとオーディション等も無事に終えたので、たまにでも良いのでプロデューサーがこれから始まる撮影に覗きに来て欲しいと言われた。于禁はそれに頷くくと、撮影スケジュールをデータで送られてくる。于禁は事前に連絡をしてから訪ねようと、それを見て予定を立てていた。

そして迎えた七月の最終日。余裕ができた于禁は、今日は一日休むことにした。夏侯惇を見送ると、昼寝をまたしても繰り返してしまう。良くないことだと自覚しながらもだ。
寝ては起きることを繰り返すと、いつの間にか夕方に差し掛かっていた。流石に眠気がない于禁は、外に出て散歩も兼ねて、いつもより少し遠いスーパーに足を運ぶ。あまり来ない店なので、変わった品揃えに于禁の気分が上がっていた。
そのまま買い物を終えるが、まだ陽は沈んでいない。陽が長いせいだが、時刻は六時を回ったところだ。于禁は少し早歩きになりながら、家に帰って行く。外はかなり暑いので汗の粒が肌を伝う。片手に持つ程度の荷物だが、やはり一番近い場所にすればよかったと、心に弱い後悔が生まれる。
すると近くにまで来たところで、退勤途中の夏侯惇と出くわした。
「夏侯惇殿……!」
「おっ、奇遇だな。于禁」
あまりの嬉しさに、于禁は束ねた長い髪が跳ねる程に夏侯惇に近寄る。買い物袋も揺れたが、卵などの割れやすい物は入っていないので気にしていない。
「本日も、お疲れ様でした」
「ありがとう。だが……すまんが、暑いから早く帰らないか?」
夏侯惇は暑さやそれに仕事で疲れた様子である。于禁はそれに気付くと、ハッとしながら「はい」と答えた。夏侯惇と共に、まずは涼しさを求める為に帰宅していく。
家に入ると、ひんやりとした空気が二人を包む。リビングは于禁が一日中、今もつけているからだ。夏侯惇の部屋は、于禁のスマートフォンのアプリで事前につけていた。なので夏侯惇が暑さに不快感を示すことはない。于禁はダイニングテーブルの上に、買い物袋を置く。
夏侯惇が「気が利くな」と褒めると、于禁は思わずもっと褒めて欲しいという顔が出てしまう。夏侯惇は愛しげに笑った。
「偉いぞ」
于禁の長い髪を乱すように、頭を撫でられる。身長からして殆どの者が頭頂部に届かないので、やはりこのようなことをされるのは嫌いではなかった。目を細める。
「早く帰ることができたから、夕食作りを手伝おう」
「……い、いえ! 貴方はかなりお疲れのようですし!」
「一人より二人の方が早く作れるだろう? ほら、早く作るぞ」
洗面所に引っ張られて行き共に手を洗うと、于禁は夏侯惇と夕食を作り始めた。
そして眠る前に、于禁は寝間着姿でリビングのソファに座った。明日からは八月である。この月までに全てを書き終え、自身での推敲を終わらせなければならない。今のペースでは、かなり余裕を持って終えられそうだ。
リビングの壁に掛けられているカレンダーは、既に捲っている。なので八月のページを見ながら、于禁はそう考えていた。
「調子はどうだ?」
すると夏侯惇が眠たげにそう聞きながら、于禁の隣にぴったりと座った。
格好は于禁とは違い、下着のみの半裸である。暑いのもあって、服を着ることが面倒らしい。
「進行の際に大まかな目標を立てていまして、今月のうちに半分を書き終えることでした。しかしかなり調子が良かったので、半分以上を書けたので、来月はかなりの余裕がてきます」
「それはよかった。だったら、もしも余裕ができたら、どこか遊びに行かないか? しばらく、二人でどこにも行けなかったからな」
于禁は「行きましょう」と即答した。そしてカレンダーを見て、八月の後半の日付の数字を次々と見ていく。
「返事が早いな。では、余裕ができたらだぞ?」
「はい!」
嬉しさが溢れながら于禁がそう言うと、夏侯惇がまたしても于禁の頭頂部を撫でる。しかし寝る前であるので、触れ方は慎重だ。
「ん? もうこんな時間か……于禁、おやすみ」
リビングの時計を見ると、夏侯惇が急いで立ち上がる。そこで于禁も立ち上がると、夏侯惇の手を掴んだ。そして素早く、軽いキスをする。
「おやすみなさいませ」
言葉と行動の両方で就寝の挨拶を済ませると、夏侯惇はお返しにと口付けを于禁にした。だが于禁もそれを返す為に、またしてもキスをする。
「はっ!? このままでは寝ることができませぬな……」
直後に気付いた于禁に、笑みが溢れる。夏侯惇が「確かに、そうだな」と言うと、これが今日の最後の分だと于禁の唇とそれに頬に口付けをした。
「では、これを明日必ず返してくれ」
「はい」
会話を終えると、夏侯惇は自室へとのんびり歩いて行く。そして于禁も数分後に、自身の寝室に入って行ったのであった。
翌朝は、于禁がきちんと『昨夜のお返し』を夏侯惇にしていたのは言うまでもない。