開始の十月
深夜であり放送時期からして、話数がゴールデンタイムに比べて少ない。その為か分からないが、十月の上旬からドラマが放送される予定だ。
放送時間前に于禁はテレビの前に座ったのは良いが、あまりにも近い。僅か、おおよそで数十センチしか間が無かった。その後ろでソファに座っている夏侯惇が「近すぎだろ……」と于禁の体を、ソファの方へと引き摺ろうとする。だが于禁はイヤイヤと首を横に振った。
「いえ! これは、きちんと鑑賞しなければ!」
「その真面目な姿勢は良いが、近過ぎるだろ! もう少し離れろ! それに、その距離ではまともに観れる筈がない!」
どうにかソファに乗せられると、于禁は思わず頬を膨らませる。
「文句は後で聞くから、そのまま動くなよ」
「動けななくなりましたら私は、どうすれば良いのでしょうか」
「あのな……」
夏侯惇が溜息をつくが、放送開始時刻が迫っていた。なのでそれを伝えると、于禁の頬が元通りになっていく。次は安堵の息を吐き出すと、二人はおおよそ三十分間の放送を観ていた。
「……あまり見学には行けていませぬが、台本を頂いていたので最後までの話は知っております。映像を観るのは初めてですが、違う楽しみ方もあるので、来週の放送もとても楽しみです」
放送が終わると、于禁が緩やかな表情でそう述べる。夏侯惇は静かに頷くが、そこで于禁は立ち上がった。どうしたのかという視線を夏侯惇に送られながら、向かった先はキッチンである。于禁は棚から酒と二つのグラス、冷蔵庫から氷を取り出した。
「なので祝いに、飲みましょう!」
テーブルにどすんと置くと、夏侯惇が口を半開きにする。だが于禁は構わず酒を開封し、二つのグラスに氷を適量入れてから注ぐ。
あまり酒を飲まない于禁だが、今は祝福も兼ねてそのような気分になっていた。
「そ、そうだな、そうだよな……!」
少しの笑いを見せた夏侯惇はグラスを手に持ってから、酒を飲んでいった。明日は、休みだからか。
しばらく経過すると、于禁はあまりの喜びに何杯も酒を飲んでいた。調子に乗っているという自覚はあったが、手が止まらなかったのだ。酔ってしまっていた。同じく夏侯惇も酔っているが、ほろ酔い程度だ。
遂にはまともに立てなくなったのか、顔を真っ赤にしながらソファに伏せる。
「……大丈夫か?」
「た、ぶん……」
呂律が回らないのか、于禁の言葉に多少の詰まりがあった。目は虚ろだ。酒は空なので、キッチンで片付けをしてから于禁は寝室へと連れられて行く。自身のベッドに寝かされた于禁は、夏侯惇の服の裾を摘んだ。とても、微笑みながら。
「かこうとんどの、おやすみのちゅー」
「仕方ないな」
酒により気分が高揚している夏侯惇は、すぐに于禁の頬にキスをした。だが不満があるのか「ちがいます」と異論を唱える。
「ちがいます、頬ではなく、くちびるに、おねがいします!」
于禁は自分の唇に、震える指で示す。夏侯惇が「そうだな」と言うと、そっと口付けをした。その瞬間に于禁が眠るが、夏侯惇は自室に向かうのが面倒になってきたらしい。なので于禁の隣に横になると、酒にほんのりと酔ったまま眠っていった。
翌朝に目覚めると、于禁のスマートフォンに夏侯惇からのメッセージが入っていた。休日出勤しなければならなくなったらしい。
体の怠さを認識しながら、薄暗い部屋でそのメッセージを確認すると于禁は二度寝したい気分になった。なのでシーツに芋虫のように包まり、目を閉じる。
眠気はまだあるような気がするので、于禁はすぐにとは言えないが二度寝をしていた。
再び目を覚ますと、時刻は昼過ぎである。于禁はのそのそと起き上がり、様々な支度を終えてからリビングに入った。するとそこには、夏侯惇が居た。
「ただいま。先程帰ったばかりでな。酔いは覚めたか?」
まだスーツ姿であるが、ジャケットは脱いでいる。冷蔵庫から出したミネラルウォーターを開封し、飲んでいるところであった。
「おかえりなさいませ。はい、何とか……そういえば、酒を飲んでからのことをほとんど覚えておりませぬが、私が何かしらの無礼は働いていないでしょうか?」
「あぁ、多分な」
からかうように夏侯惇がそう答えると、于禁は焦った。本当か嘘なのか、分からないからだ。なので「本当でしょうか」と何度も聞くが、夏侯惇の答えは全く変わらない。
「では、やはり……!」
「どっちだろうな。あぁ、そういえば昨夜の番組が、社内でとても評価が高かったぞ。世間からの評価も、インターネットで少ししか拾えなかったが、概ね良いだろう」
ごまかすように話題を変えられたが、于禁はその話題に食いついた。于禁は自身で書いた本でさえ、ほとんど世間の評価を調べようともしない。振り回されて、思ったことが書けなくなることを恐れているからだ。しかし、出版社側の評価はきちんと聞いてはいるのだが。
一部分しか携わっておらず、自身の書いた本とは内容だけが異なる。まずは泥を塗られることが無かったことに安堵すると、次に制作サイドに深く感謝していた。
するとふと、プロデューサーに連絡を一つ入れ忘れていたことに気付く。寝室に戻りスマートフォンを取り出すと、夏侯惇からのメッセージの前にプロデューサーからのショートメールが来ていた。内容を見ると、受信したのは放送終了直後である。于禁は慌ててそのショートメールに返信を送った。
リビングに戻ると、于禁は深く項垂れる。
「気付かなかったとは……」
「どうした?」
「制作サイドの者からのメッセージに、今気付きました。それも昨夜、届いておりました……」
聞いた夏侯惇は「気にするな」と言うと、于禁の整えた髪を乱すように頭をわしわしと撫でた。
「お前のことだから、謝罪と共に番組の感想を簡単にでも添えたのだろう。早く返すことだけが全てではない。気にするな」
頭を撫で終えると、夏侯惇は「腹が減ったな」と呟く。しかし満足そうな顔をしている。
するとそういえば、于禁も空腹であったことに気付いた。乱れた髪のまま、昼はどうするのか尋ねる。
「すまんが、今は少し疲れているからな。外で何か美味いものを食いたいが、今日はゆっくりさせてくれ。明日は何か美味いものを食いに行こう」
「はい、では……たまには、まだ決まっておりませぬが、明日は私にご案内させて頂けないでしょうか」
「いいのか? では頼む」
穏やかな表情で夏侯惇は于禁に近付き、頬にそっと唇で触れようとした。だがその直前で止めると、夏侯惇は于禁に疑問を投げかける。
「頬では、駄目だったな」
思い出したように、夏侯惇が笑いを含ませながら言う。だが于禁はきょとんとした。夏侯惇の言っていることが、いまいち分からないからだ。なので首を傾げながら考えるが、于禁の中で思い当たる節がない。
するとそこで気付いた。昨夜、酔っている時に何か言ってしまったのかと。
「やはり私は昨夜……」
「い、いや、何でもないぞ! 気にするな!」
夏侯惇が大きな焦りを見せながら、于禁の推測している口を唇で塞いだ。それは一瞬であったが、于禁はしばらく黙って考える。すると昨夜のことはどうでもよくなったのか、于禁は「昼食にしましょう」と提案した。
「そうだな」
頷いた夏侯惇と共に、まずは昼食をするか二人で一緒に冷蔵庫の中を覗いていた。
数週間が経過し、十月の下旬に差し掛かっていた。相変わらずドラマの評価が高いので、于禁は若干だが鼻が高く感じている。
十一月が近いので、さすがに暑さはもうない。于禁はそれなりの厚着をしながら、書斎に入った。夏侯惇は仕事で不在なので、自室しか触ることができない。
十二月には、五月の下旬から施工始まっていた家が完成する予定にある。書斎での仕事は今年はしない予定なので、引っ越しの為の荷造りをのんびりと始めた。
ここに越してほんの数年なので、前回と比べてかなり楽に荷物を纏めることができる。それに、この部屋に籠もって仕事していたのは僅かな時期。使用するよりも掃除をしていた時間の方が長かったが、まずはあまり使わない物を簡単に整理していく。
しかし来月からは本格的に荷造りが始まるだろう。于禁はそう考えながら、様々な物を手に取っていて。