それでも、変らない。 - 8/11

それぞれの視線

出所できるまで半分を切った。
それでも囚人の男がいつものように父親からの手紙を読んでいる最中、とてつもない視線を感じた。穴が開く程とは、こういうものなのかと思っている。初めて受けるくらいに、なかなか強いものなのだが。
視線の主はすぐに分かり、サングラスの男だ。手紙の文面から二人へと瞳の方向を戻すが、やはりサングラスの男からの視線の強さは変わらない。何か失言でもしたのかと思ったが、そのようなことはしていない筈だ。自覚はある。
読み終えてから次第にもやもやとした感情が渦巻くと、強い視線の意図を聞こうと考えた。その程度であれば、差し障りなど無いだろう。
「架川さん、どうしましたか?」
「違う! 俺は架川じゃねぇ、ガワワ……違う、架川だ! いや、お前は架川と言ったな! そうだった!」
サングラスの男の発言の内容からして、このようなことになったのは女くらいしか思い付かない。なので女の方を見た。手紙を綺麗に封筒に入れ終えたのか、すぐに顔を上げる。
「……家で、架川さんのことを『ガワワさん』って呼んでいたことが、バレちゃいました。母と話すときは、そう呼んでいるので」
それでサングラスの男はこう言っているのか。囚人の男の肩の力が一時的に抜ける。しかしサングラスの男からの強い視線は、まだ弱くなってくれない。
なので次はとてもストレートに質問をした。
「あの、架川さん、どうして僕をそこまで見ているのでしょうか? 僕に何かついていますか?」
「……別に」
ようやく視線を逸らすと、強い視線は消えていった。だが囚人の男の心の中で、小さなしこりが生まれる。サングラスの男がこちらをずっと凝視している目的が、よく分からないからだ。
しかし今はそのようなことを頭の中に入れても無駄である。なので軽く頭を振り、気分だけでもそれを忘れようとした。
封筒をサングラスの男に渡した女は、面会室の高めの天井に向けてぼやく。どうしても言いたいことができてしまったらしく。
「やっぱり、お好きなのですね……」
「……まぁ、そうだな」
途端にサングラスの男が照れくさそうに笑う。囚人の男は顔を引きつらせながら「嘘ですよね?」と言った。
こちらへの視線といい、好きかと聞かれて否定をしない。つまりは、と囚人の男はかなり嫌な予感が走った。
過去に女からの「二人は愛し合ってる」や「いちゃつかないで下さい」などという言葉を囁かれたにより、サングラスの男は自然と囚人の男に惹かれてしまったのかと。
自身でも分かるくらいに顔を青ざめさせた囚人の男は、首を横に振りながら「仮に好きだとしても、似合う訳がないでしょう……」と強く否定した。それに対して女は「でも実際に、相性が良かったらどうなるんですか?」と反論する。サングラスの男は二人の会話に割り入ると「俺が保証してやる」と、自信ありげに宣言した。囚人の男は絶句する。
恋愛経験が豊富ではない囚人の男は、大学を卒業してまだ数年の若い女の言葉に何も言い返せなかった。決めつけをするのは良くないのだ、と仕方なしに思いながらアクリル板越しのサングラスの男をちらりと見る。
年はけっこう離れているが、警察官であった頃は相棒として認めてくれていた。それが選ばれた決め手になったのだろうか。
囚人の男はそこから様々な思考を走らせた後に、サングラスの男に話し掛ける。
「……いいんですか?」
「あぁ? 俺はいいと言っている」
はっきりとした答えだ。決まりだ。囚人の男はまだ決意をしていないが、まずは軽い段階からと提案しようとしていた。女はその様子を見てガッツポーズをすると、囚人の男は頷いた。
これまでの人生で一番の未知の領域に踏み込むがサングラス男が居るならば、そして女が応援してくれるならば怖いものはない筈。囚人の男はパイプ椅子から立ち上がると、サングラスの男に向けて畏まった挨拶をし始める。
「あの、今の僕はこの身分ですが、まずは……」
最後まで言い終えようとすると、サングラスの男は首を傾げながら発言を妨害した。それは、二人の共通の考えを粉々に割る物である。
「お前に似合うサングラスを考えているだけなのに、そこまで畏まらなくてもいいだろ。どうしたんだ?」
全ては、二人の勘違いであったのだ。朧気で確実性のない言葉たちが成立し、会話になっていただけ。囚人の男はとても恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤に染める。一方で女は目を見開いて二人の男を交互に見た。
おかしな様子の二人を見やったサングラスの男は、更に首を傾げた。
「お前らどうしたんだ? 俺が何か変なことを言ったか?」
二人はほぼ同時に「言いました」と答える。あまりのシンクロ加減に、二人ではなくサングラスの男が驚く。
「えっ? いや、俺、何も……」
「あー、もういいです、今日はもう失礼しますー」
機嫌を斜めにした様子の女はそそくさと荷物を纏めると、パイプ椅子から立ち上がった。するとその瞬間に何かを思い出したのか、機嫌を平行にしていく。
「……次は、私の話を聞いて下さいね」
朗らかに笑い始めた女は、丁寧にお辞儀をしてから面会室から出る。しかしサングラスの男はまだ退室する気はないようだ。パイプ椅子にどっしりと座っている。
「無理に振る舞っているが、辛いだろうな。勇気を出して、あいつのお父さんの面会に行ったことが……」
「僕だったら、ずっとショックを受けてしまうでしょうね。だって……父親に、その手で手錠を掛けたんですから。強くなったな、水木さんは……」
残った二人の周囲には、見えない黒い空気が渦巻く。それはとても濃く範囲が広いので、容易く取り払うことはできないだろう。
サングラスの男はパイプ椅子から立ち上がった。それらを自身に全て巻き込むかのように、着ているコートを翻す。その後のサングラスの男の視線は、天井を向いていた。
「俺はあいつにも、そしてお前にも、今は何もしてやれない。だがいつも通りに振る舞うことはできる。俺は変わらない。だから、俺はそれを続けていく」
「……僕も、精進します」
正面に顔を戻したサングラスの男が「またな」と言うと、面会室からゆっくりと退室していく。それを見送った囚人の男は天井を仰ぐと、大きく深呼吸をしていったのであった。