いると思って
春という季節を迎えた。
四月に春の人事異動があったものの、桜町中央署の刑事課の面子はほとんど変わらない。しかしその前に蓮見、改めて梶間が自首したことにより、深く関わっていた架川と水木は数日の自宅謹慎を命じられる。
そして春の次の数ヶ月後にある秋の人事異動で、架川はようやく本部の四課に戻ることが暫定的に決まった。だがそれまでは、桜町中央署の刑事課に留まることに。
自宅謹慎が明けた朝。
二人は始業開始時間前に署長室に向かった。水木はシンプルな黒のパンツスーツ姿だが、架川は警察手帳の写真と同じ制服姿である。架川なりに、警察という組織に向けての誠意を表しているのだろう。水木とそれに署長はその服装に驚くが、架川は水木を睨む一方で署長には無表情になることしかできなかった。どういう顔で返せば良いのか、分からなかったらしい。
すると署長から直々に厳重注意を受けてから、反省文を書くことを命令される。二人は苦い顔をするが妥当、いや軽い処分としか思えないので頷く。不満は微塵もなかった。
署長室から解放された二人が疲れた顔で刑事課のフロアに戻り、次は矢上の席の前に立つ。矢上も架川の見慣れない服装に動揺しながら、二人に署長から同じような内容の注意を受ける。そして基本的にはコンビを組むようにとを告げた。聞いた二人には不満は全く無いのだが、コンビを組むことが初めての水木は首を大きく傾げた。
「コンビ……? でしたら、私達はM−1グランプリを……」
「おい水木、コンビつっても、お笑いコンビみたいなもんじゃねぇからな。そんなグランプリも参加しねぇし」
横に立っているので、水木の方を向いた架川はそう指摘してから続ける。
「分かりました。秋までの短い期間ですが、再びお世話になります課長。梅ちゃん、メガ本もよろしくな。あ……それとな水木、俺がマル暴に戻るまで暴走してやらかすなよ」
矢上がうんうんと頷いたが、梶間含めて三人の前の行動を刹那的に振り返ると口を開いた。最初は重々しかったが、次第に明るく軽いものに変わっていく。
「……うん、二人とも。梶間君がしてきたことは、本当は警察官としては失格だ。でも、人としての正義としては正解でしかない。僕もだけど……警察全体が、極端にとは言えないけど、そういう正義の意識を持ついい機会だったのかもしれないって思ったよ。そんなきっかけを作ってくれてありがとう。でも無茶はしないでね」
二人が揃って「はい」と返事をした。矢上はその様子を見てから、業務を開始して欲しいと告げて刑事課を出る。どこかに用事があるのか急ぎ足であり、刑事課の朝礼が終わった合図となった。同時に自席で立って静かに聞いていた梅林と野本は、強盗事件の聞き込みの為にとフロアを出る。
二人がそれらを見送ってから各自席に着いた。蓮見であった人間の席は空席になっている。向かい側は梅林と野本の席だが、先程出たばかりだ。なのでフロアはとても静かだった。
だが席に着いてから、架川はかっちりとした警察官の制服が嫌になったのだろう。ジャケットを脱いでネクタイを外すと、第二ボタンまで開けていた。荷物になってしまうが、いつもの服装を持ってくればよかったと後悔しながら。
「……ところでお前は、反省文を書けるのか? 前のがようやく提出できたよな?」
今は反省文を書きつつ雑務をこなすしかない架川は、一つ隣の水木にちらりと視線を寄越してから話しかける。だが架川は紙一枚が乗っている机に向かっているのみだ。手に持ち始めた筆記用具で文字を書く気配が全くないが、反省文をある程度は書き慣れているらしい。器用にペン回しをしている。
「いいえ!」
水木が即答をするが、架川の言う反省文のに向かったばかりである。自身の名前しか書いておらず、それ以外の欄は真っ白。視界の隅で白色を捉えた架川は、溜息をつく。
「早く書いてくれねぇと、俺が困るんだよ。課長から片割れの俺に苦言が来るんだよ」
「……そう言われても、私は反省文を書くのが苦手なんですよ。分かりますよね?」
「うるせぇ。口を動かすな、手を動かせ」
連続で溜息を吐くと、架川は反省文にようやく文字を書き始めた。すぐにほとんどの欄に文字が書かれていく。水木はそれを見て、焦りの表情を浮かべた。
「えっ!? もうそんなに書けたんですか!?」
「当たり前だろ。今まで何枚書かされたと思ってるんだ」
「すごい! さすが架川さんですね!」
水木のその言葉に、架川は文章で埋められていく書類を見つめながら「褒められた気がしねぇ……」と複雑そうにぼやく。水木はそれに気付いていないのか、書き方のコツを質問した。
だが架川は「書いてある通りに書けばいいんだよ」と返す。そこで何かを思ったのか、隣の空席を見た。困った様子をしながら。
「……なぁ、蓮見。お前もそう思うだろ?」
驚いた水木は空席と架川を交互に見る。脳内で幾つもの考えを巡らせてから、答えを導き出したらしい。空席をじっと見てから、架川を凝視する。
「やっぱり、蓮見さんが居ないと寂しいんですね。お二人は『これ』ですからね」
弱いウインクをしながら水木は、指で最近流行っている『きゅんです』という意味を示す。しかし架川にそれが通じないのか、首を傾げてから口を半開きにした。
そこで水木のように『きゅんです』を真似ようとしたが、指で示したのは『マネー』のジェスチャーである。水木は「惜しい……!」と言いながら『きゅんです』を強調した。しかし架川はその真似がどうにもできないのか、最終的には諦めてしまう。「知らねぇよ」と水木の言動のどちらにも対してそう放つと、反省文の続きを書き始めた。
水木は架川の方を見ながら「私も書かなきゃ」と鼓舞すると、反省文の用紙に向かう。そこで蓮見の席であった机を見ると、ぼそりと呟く。
「蓮見さん、反省文書くの手伝ってくれませんか……?」
もう少しで書き終えるところで、架川が怪訝そうな表情で水木を見る。自身が最初に、そう話した事なのだが。
何か言わなければならない、何か言わなければ水木が反省文をいつまでも書いてくれない。そう思った架川は、軽い咳払いをしてから何かを言い始める。
「蓮見は自分でやれ……と言ってるぞ」
「そんな!? そんな訳ないですよね!?」
焦った表情で水木は隣の空席をばんばんと叩くと、架川が眉間に皺を寄せながら言葉を付け加えた。
「落ち着け、落ち着いて、反省文と向かい合え……と蓮見が言ってるぞ」
「少しは助けてあげてもいいじゃないですか……と蓮見さんは言っているように聞こえますが」
二人は一歩も引かず、まるで蓮見を挟んでいるように幻覚を見ながら言い合う。
その後も二人の遠回しの会話がずっと続いていると、刑事課のフロアのドアが開いた。入ってきたのは、強盗の聞き込みを終えた梅林と野本だ。しかしタイミングよく架川が「……と蓮見が言ってるぞ。なぁ、蓮見?」と言ったので、梅林と野本は顔を引きつらせた。
だが架川はそれに気にすることなく、反省文を書き終えたらしい。水木にそれを自慢げに見せびらかすと、それに対しての疑問が向かってくる。
「本当にできたんですか? どこかから引用……いや、パクったんですか? と蓮見さんが言っています」
「蓮見が、言っています……?」
とても不思議そうに梅林が向かい側の席を見ると、次に野本の方を見た。思っていることが同じだが、指摘した方がいいのか分からないでいる。相手の一人は階級が上の者で、もう一人は刑事課にまだ配属されたばかり。通じるかもう分からないでいる。
一時期ではあるが蓮見とトリオを組んでいたが、その癖がまだ抜けていないと梅林が無理矢理に判断した。すると梅林は対応などが面倒になり、適当な理由をつけてフロアから出る。それを見た野本も適当な理由でフロアから出た。梅林と野本はいそいそとしている様子だ。
「なんだあいつら? どうしたんだ?」
「さぁ……?」
二人が不審そうな目で見送った後、架川は反省文を全て書き終えたので少し休憩している。一方の水木は、まだ綺麗な白紙を保った反省文との睨み合いをしていたのであった。