おかんと銅鑼
「すまん、今夜は孟徳の家に泊まることになった」
「はい、分かり……えっ?」
ある冬の夜だった。先程まで寝間着を着ていた夏侯惇はスマートフォンを見るなり、すぐにセーターを着てジーンズをはいてコートを羽織ると、リビングに居る于禁にそう伝えた。
「孟徳が冬の朝はなかなか起きれないらしくてな……翌日に大事な用事があるから、それで起こしてくれって頼まれたところだ。ついさっき」
「あの……」
于禁は何か聞きたそうな様子なので、夏侯惇は話を続けた。
「大丈夫だ。孟徳とは別の部屋で寝る」
「そういう問題では……いえ、それもありますが……」
「何だ?」
「今回、初めて頼まれたことですか?」
「いや、前からだ。幼い頃からずっとで、俺がまだ学生で孟徳が社会人になってからも、今もだ。大事な用事があるときに毎回だ。相変わらず俺だけそれが許されているがな……そういえばそれのことを全く言って無かったな。すまん、これからこういうことでたまにだが家を出る羽目になる」
すると夏侯惇は幼い頃からのことを思い出し、げんなりとする。それを見た于禁の眉間の皺の数を減らす。
「いえ、大丈夫です。しかし、前も殿の寝室に入ることを許されていたのは知っていますが、今もそうとは」
「あぁそうだ。孟徳本人は前の記憶は無いのに、不思議なこともあるものだ。ちなみに、前は銅鑼を叩く音で起こしていたが、今は目覚まし時計五個を枕元に置いた上でフライパン叩いて起こしてるな」
「ど……銅鑼?」
于禁はその光景が目に浮かび少し顔を青くしたが、ふと前のことを思い出した。冬になるとたまに朝早く、銅鑼の音が曹操の寝室から聞こえてくるのを。
だがそれを曹操本人に聞くのを躊躇していたので、今ようやく謎が解けたという。
「淵の軍の銅鑼を借りてだ。耳元で大声で起こしてもなかなか起きないものだから、銅鑼を叩いて起こした方が楽でな……耳元で大声で起こそうとしたら、顔面を殴られた」
夏侯惇は殴られたことを思い出し、次は怒りがこみ上げてきたのか拳を握りしめる。
「それで今はフライパンを叩いて起こした挙げ句、朝飯にホットケーキが無いと孟徳の機嫌が悪くなるから作って食わせてから、家に帰るという流れだ……前よりやること増えてるな」
「夏侯惇殿、その……」
「大丈夫だ、前から慣れている」
すると遂には溜息をついた夏侯惇は「そろそろか」と言って玄関に向かうと、于禁は見送りするために着いてくる。
「じゃあ、行ってくる。明日は早めに帰る……いや、早めに帰りたい」
夏侯惇は靴をはいてそう言うと、于禁は見送りの挨拶をした。その後に二人は互いに頬に口付けをすると、夏侯惇は曹操の家に向かうため玄関の扉を開け、于禁はそれが閉まるまで玄関から離れなかったのであった。