突拍子のわがまま
ある冷える日の夜に、于禁は夏侯惇の隠れ処に突然に呼ばれていた。陽が昇っている間は鍛錬をしていたので、身を清めてから平服へと丁寧に着替える。だが手ぶらで来るのはどうかと思い、それなりの重さのある酒壺を一つ携えてから馬に乗って向かって行った。
隠れ処は城から少し離れている森の中にあるが、僅かな時間で到着した。ここはやはり、自然に囲まれているので夜空がとても綺麗である。
来る前には身を清めており、途中で下準備もしていた。今の于禁は、早く夏侯惇に熱を分けて貰いたいと思っているからだ。
于禁は胸を高鳴らせながら隠れ処の扉を開ける。すると平服姿の夏侯惇が姿を現し、于禁の姿を見るなり楽しそうに口を開いた。
「来たか于禁。今から脱衣囲碁をやるぞ」
これが夏侯惇の第一声である。于禁は持っていた酒壺を落としかけたが、どうにか手に握りしめた。あまりにも、予想外の言葉を掛けられたからだ。
しかし夏侯惇の言う「脱衣囲碁」を于禁は分からないが、おおよその見当はつく。囲碁をしつつ、脱衣をするというものだろう。正直、そのようなことはしたくない。なので于禁はその提案を、すぐに拒否した。
「お断り致します」
「いいから、やるぞ」
足早に近付いた夏侯惇が、于禁を逃さないと酒壺を持っている腕を掴む。片腕だけを掴まれていても、于禁程の筋力のある人間であれば振り払うことは容易い。だが今は床に落ちてしまえば割れる酒壺を持っているので、下手に動くことはできなかった。
「……どうして私とそれを?」
「決まっているだろう? 面白そうだからだ」
溜息を一つ漏らした于禁は、やはり断ろうとした。そこで夏侯惇に決定的な追い打ちをかけられる。
「上官である俺の命令を聞けないのか?」
「……いいえ」
とても狡いと于禁は思った。確かに、二人きりであろうと于禁は夏侯惇の命令に聞かなければならない。歯をぎりぎりと噛み締めてから一つ睨む。
そしてようやく于禁に諦めのようなものがついたので、もう一回溜息をついた。睨みの目が消える。
「分かりました。ですが一回だけです」
「分かった、どちらかが全裸になるまでの一回な」
「えっ……?」
于禁がどう考えても引っ掛かる夏侯惇の言葉を拾ったが、証拠を揉み消すように腕を引いていく。あまりにも唐突なので、体勢を崩しかけた于禁は酒壺を守りながら踏ん張った。
室内には椅子が二脚と、それらを挟むように机が一つある。その机の上に酒壺と空の盃が数個置いてあり、床には碁盤が置いてあった。
「やるぞ」
そう言った夏侯惇ほ、深呼吸をした後に碁盤の前にあぐらをかいて座る。とてもやる気に満ちている。一方の于禁はその様子の夏侯惇と碁盤を交互に見てから、持っている酒壺を机の上に置いた。そして夏侯惇の正面に座ってから「脱衣囲碁」の説明を聞く。
曰くとても簡単なもので、一局毎に囲碁に負けた方が着物を一枚ずつ脱いでいくものだという。だが于禁は、これはかなり時間のかかるものではないのかとふと思った。それを指摘しようとする。しかし夏侯惇が早速に酒を飲み始めたので、指摘する気が失せてしまっていた。夏侯惇の向かい側に静かに座る。
盃に一回注がれた酒を全て飲み終えた夏侯惇は、顔を赤くしながらもすぐに石を打つ。対局を始める言葉が無かったので、打たれた石の位置を確認しながら于禁も打った。
最初の対局の結果は、夏侯惇の負けである。于禁は思い切って「一枚着物を脱いで欲しい」と促すと、夏侯惇はあっさりと羽織を一枚取り払う。
「さぁ、次いくぞ」
負けたのにも関わらず、夏侯惇は変わらず楽しそうにしている。実際に、石を打ちながらも酒をよく喉に流していたからだ。そこで于禁は考えた。夏侯惇はいつもと遊び方変えつつ、ただ碁を楽しみたいのだろうと。なので気持ちを切り替え、まっすぐに頷くと、石を次々と打っていった。
「……やはりお前は強いな」
数回の対局の末の状況は、于禁が無敗で夏侯惇が全敗である。夏侯惇に残されているのは、一枚の薄い着物しかない。于禁は「体調が崩すので、そろそろ止めた方が宜しいかと」と言うが、夏侯惇は「大丈夫だ」と返して石を一つ打った。
次の勝敗がついたらもう止めさせようと、于禁は思いながら続けて石を打つ。もしも今の局で夏侯惇が負けてしまったら、全裸になってしまうからだ。
しかしこれもまた、于禁の勝ちであった。夏侯惇は着物をあっさりと脱ぐと全裸になる。于禁は自身の着物を掛けようとしたが、夏侯惇は「まだだ」と言う。
「まだ、眼帯が残っている」
「それは着物とは呼べませぬが……」
「いいから早く」
眼帯を指差してから、石が散って並んでいる碁盤を指差した。于禁は異議を唱えようとしたが、夏侯惇を止められそうにないと悟ったので言う通りにする。
次は于禁が最初に打ったが、それでも夏侯惇が負けてしまう。眼帯を潔く取り「俺の負けだ」と真っ赤な顔で笑う。于禁はどのような反応をすれば良いのか分からなくなってしまったのか、対局についての曖昧に礼を述べた。
すると夏侯惇がもう一杯酒を飲んだのだが、盃を空にした瞬間に倒れる。于禁は慌てて駆け寄るが、どう見ても酔ってしまったとしか言いようがない。
「まったく……私の前ではわがままですな……」
于禁がそう呟いて微笑むと、夏侯惇を抱えて寝台に運んで横に寝かせる。そして于禁もその隣に横になると、寄り添うように眠ったのであった。