ぬるいなみだ

足立は春日と体を重ねている途中であった。二人の体の皮膚は、全体的にほんのりと赤みがかっている。
春日は情けない喘ぎ声を吐きながら、足立に組み敷かれている。腰を強く掴まれ、春日の体は胸部がうねるように揺れた。
場所はLED照明がよく輝いている足立の部屋のベッドの上で、付近の床には二人の衣服が乱雑に落ちている。室内には煙草と精液の匂いが混じっており、普段であればとても不快なものではある。だが春日にとっては最中独特の匂いに感じるので、より興奮が引き出されていた。足立も同様の状態である。
最近は始めたばかりのハローワークでの仕事が忙しいのか、足立は春日とはあまり連絡が取れないでいた。恐らくは、一ヶ月くらいは会っていない。
慣れない仕事のせいでもあるだろう。足立自身も立ち上げた会社により、暇があまり無い。それでも、春日と連絡を取る時間くらいは作ることができた。だがあまりにも連絡が来ないので、相当に疲れているのだろうと足立は思っていたのだが。
しかしある日の夜遅くに、春日から突然に連絡があった。電話で単純に「今から家に行く」と。足立は今から寝ようとしたところであったが、怒りの感情はない。ただ「分かった、待っている」と返すと通話を一方的に切られてしまう。
そのときの春日の声は、どうにも泣きそうであった。足立の気のせいかもしれなかったのだが。
数分後に真面目なサラリーマンのようなスーツ姿の春日が来るなり、足立に抱き着いた。かつてのトレードマークであった、いわゆるモジャモジャ頭の姿はない。代わりにストレートの長めの髪を一つに結んだ後頭部が見える。一瞬にして足立の胸に飛び掛かってきたので、それしか見えなかった。
すると春日が「俺をめちゃくちゃにしてくれ……」と震えながら言うので、足立は冗談半分に「いいぜ」と頷く。ゆるゆると春日が顔を上げると、涙をぼろぼろと流していた。足立は以後は何も言わずにそのまま春日をベッドへと引き入れ、今に至る訳である。
「っあ……ァ! あだちさんイく、イくから、ひゃ……や、ぁ……あッ!」
足立の雄にはコンドームが被せてある。春日の中を直に愉しむことはできないが、前から知っている熱さや狭さは充分に伝わっていた。しかし本当はコンドーム無しが良かったなどと思いながら、足立は春日の股を何度も突いていく。
すると春日は達したのか、足立の腹までも汚しながら射精した。直後に芯を失う。だが足立は腰の動きを止める気配がない。春日は更に涙を流しながら、嬌声を上げていく。
そして春日の髪を結んでいたゴムは、今や外れてどこかへと落ちている筈だ。散らばった髪はシーツの上に綺麗に広がったが、足立の律動の激しさによりぐちゃぐちゃになっていた。
「春日、俺はまだ、イってねぇからな……!」
腰を掴む指の位置を変えると、先程まで掴んでいた箇所に指の赤い痕が残っていた。足立はその痕を避けるように、指の位置を微妙に変えていく。
激しく春日の体を貫くと、足立はようやく果てた。コンドームの中に精液を噴き出すと、春日も絶頂を迎えたらしい。萎えている性器の先端から、無色透明の液体が流れ出る。
「ぁ、は……! ん、っは、ア……」
春日の体がびくびくと痙攣しているのを見てから、足立が雄を抜いていく。萎えているのですぐに抜けると、コンドームを処理してから春日と唇を合わせる。未だに泣いているので、遂には目が腫れているうえに充血していた。
唇を離してから、足立は春日にようやくまともな言葉を出した。勿論、笑みを忘れずに。
「気持ち良かったか?」
「ん……」
呆けた様子で春日が返事をしたので、足立が「よかったな」と頭をぐしゃぐしゃと笑いながら撫でる。擽ったそうに、春日は目を細め、足立の腰に手を回す。
すると春日の腹から空腹音が聞こえ、腰に回ったばかりの手がぼとりと落ちてしまう。
「あだちさん……はらへった……」
恥ずかしげにそう言うがこの格好なので、いまいち説得力がない。服を着ておらず、足立に組み敷かれている状態だからだ。それに吐いたばかりの精液がまだ肌などに付着している。
肩をすくめた足立は「シャワー浴びてからな」となだめ、春日に付着した精液をティッシュで拭き取る。そして体を持ち上げると、寝室から出た。このときに換気の為に、ドアは開けておく。
冷えてしまっている浴室へと共に入って行った。このときに春日に抱き着かれており足立は少し歩き辛いので、半ば引き摺っていて。
シャワーから丁度よい温度の湯を出しても、春日は足立から離れようとしない。イヤイヤと、甘えている子供のようだ。溜息をついた足立は、仕方なくくっつきながら湯を浴びた。
すると髪からつま先までしっかりと濡れた途端に、足立に疲れが襲ってくる。なのでこれでもう浴室から出ようと思い、シャワーを止めると春日を抱えて出た。浴室の外は寒い。すぐにバスタオルを取ると、まずは春日の体を拭いてやる。そして自身の体も拭くと、バスタオルを近くの洗濯機に放り投げた。ドライヤーで軽く髪を乾かしてやる。
またしても春日を引き摺りながら寝室に入っていった。
室内の嫌な匂いはかなり消えていた。しかし寒くなってしまったので、春日をベッドに寝かせてから毛布を掛ける。春日の着るものは明日でいいと思いながら、自身の衣服だけを準備して着る。今から、春日の腹を満たす為にキッチンとリビングが同じ空間になっている部屋へと。
「インスタントのカップラーメンしかないが、それでいいか?」
そう尋ねたが、春日は返事ではなく足立の衣服の裾をぎゅっと摘んだ。
数秒が経過してから気が付いたが寂しいのだろう、そう思った足立はもう一着服を用意してから春日に着せる。そして共に寝室を出ると、キッチンに向かった。ここも寒いので、春日はまたもや足立にくっついている。
「そうしてくれるのは嬉しいが、今から火を使うから危ねぇぞ。悪いが、少し離れていてくれ。そこに座って待ってろ」
「……わかった」
表情を沈ませながらも、春日は足立の言う通りに離れてから近くにある一脚のみの椅子に座った。机は一人にしては充分な大きさで、それに気だるげに肘をつく。足立は「すぐに終わらせる」と呟きながら、キッチンの壁に掛かっている小さな片手鍋を取る。そこに水を入れるとコンロで沸かし始めた。
その間に近くの棚を開け、カップのインスタントラーメンを取り出した。生憎にも一つしかないが、春日のことだから文句の一つもなく食べてくれるだろう。そう考えながら、足立はインスタントラーメンのフィルムを剝がしていく。
蓋を半分開けてからかやくなどを入れていると、湯が沸いたので火を止めてカップに注いだ。そこから数分待つ間に、春日に近付いて中腰になる。椅子が二脚も無いからだ。
「春日、食ったらすぐに寝るか?」
「あぁ、そうする」
肘をつくのを止めた春日は、足立の方を向いた。曲がった肘が伸び、指は足立の手に触れる。
少し冷たいが、体力を消耗したせいだろう。それに空腹であるが、どれくらい食べていないのだろうか。そう思った足立は、春日に聞く。
「昼飯は食ったのか?」
「食った」
「何を食ったんだ?」
「……カレー」
「美味いもん食ったな」
ガハハと足立が笑うと、片手鍋から水が沸騰する音が聞こえた。なので急いでコンロに戻ると火を消し、カップに適量の湯を注ぐ。インスタントラーメンの蓋を閉じた。
片手鍋に湯が余ったが、まずは春日の前にインスタントラーメンを置く。次に箸を取りに行くと、蓋の上に乗せた。するとコンロの方をちらりと見た春日が、口を開く。
「湯が余ってるのか?」
「あぁ、そうだな……この時間に食ったら更に太っちまうし、別に俺は腹減ってねぇから、気にすんな。それよりもしっかりと待ってから食えよ」
「分かってるよ」
ようやく春日の表情が、少しは晴れてくる。内心で安堵をした足立はだが、湯が勿体無いと思った。なのでマグカップを取り出してから入れると、ちょうど無くなる。そしてマグカップを持ち、春日の傍らに立つ。
マグカップから湯気が立っているので、まだ飲めない。なので軽く冷ましながら、足立は次の話を始めようとした。そこで春日はラーメンの蓋を開けているので、開きかけていた口を閉じた。春日が「いただきます」と合掌をしている様子を見ながら、足立はマグカップに注いだ湯をちびちびと啜る。
「……ラーメン美味いな」
春日がラーメンを食べ始め、そう感想を口にした。
「そうだろ?」
笑みまで戻ってくると、箸がどんどん進んでいた。それを見て油断をした足立は口の中に湯を少量入れてしまう。熱かったが、喉に無理矢理に通すとその感覚は嘘だったかのように無くなってしまう。だが舌が火傷をしているかと思い、冷蔵庫から一つ氷を取り出すと口に放り込んだ。
その一連の動きを見ていた春日が、箸を置いて心配そうに見つめている。氷を舐めながら「大丈夫だ」と返すと、春日はすぐに箸を持ち直した。食事を再開する。
春日があっという間にスープまで飲み干して完食をした頃には、足立の持っているマグカップは空になっていた。春日が立ち上がってシンクに空のカップを持って行くと、足立はそれに着いて行く。
カップは水で軽くすすいでからゴミ箱へ、箸は食器用洗剤を少量つけていた。だが足立が代わりにやると言うと、春日はあっさりと引き下がる。食わせてもらったからと、言う通りにしたのだろう。
すぐに箸やマグカップを洗うと、春日に「うがい薬で軽くうがいしとけ」と指示をする。こくりと頷いたので、洗面所に連れて行ってからうがい薬を渡してうがいをさせた。
ようやくベッドに戻ると、春日と共に横になってからLED照明を消す。部屋が真っ暗になる。冷えた二つの大きな体の上に、柔らかな毛布を被せた。
「さて、そろそろ寝……」
すると途端に春日が抱き着いてきた。まるで、足立を抱き枕にしているように。一瞬だけ驚いた足立だが、すぐに春日の体を包み込む。体が冷たく異常に震えていたが、これは寒さによるものではないことが分かる。春日に鳥肌など、立っていないからだ。
他の要因を考えていると、春日のか細い声が聞こえた。足立は耳を澄ます。
「……まだ、慣れねぇことばかりで、辛かったんだ。堂々と人の役に立てる仕事を、初めてしてるから楽しいが、やっぱり疲れちまって……新人だから早く慣れたいって足掻いてたら、ここまで疲れちまって……難しいなぁ……普通の社会人ってもんは……」
次第にぐすぐすと、泣きじゃくる声が聞こえた。春日は、電話のときのようにまた泣いているのだ。先程は明るい場所で、顔が見えるから泣かなかったのだろう。
「お前はよく頑張っているから、これ以上は無理はするな」
頭を優しく撫でると、額にキスをした。数秒だけ春日の泣き声が止んだが、唇が離れると泣き声が再び聞こえてくる。
「今まで泣かなかった分だけ、俺の前だけで存分に泣け」
毛布によりすぐに体が暖まるが、春日の体の震えがより大きくなる。泣き声も、より大きくなる。足立は春日の涙により、次第に自身の胸が濡れていくことを感じた。涙は温く、冷える気配がない。
「すまねぇな、足立さん……」
「気にするな」
微かに笑った足立は春日が泣き疲れるまで、涙や泣き声を受け止め続けたのであった。
時折に春日が他の弱音を吐いては、足立がそれを慰めていて。