磨くということ
とある小さな会社の採用試験に、とある若い男が来た。その男はまだ国立大学に在学中の、いわゆる新卒の予定の若い青年である。
面接官であり、それにこの会社の社長である劉備という男は難しい顔をした。自身が経営している会社は、お世辞にも大きくはない。寧ろ、綱渡りの経営状態である。新卒予定の人間が応募するなどかなり珍しい。なので当然のように、若い青年以外は中途採用の求人で来た者ばかりである。
その若者の履歴書を見ると、趙雲と書いてあった。
「よろしくお願いします」
短く簡単な筆記試験が終わると、面接試験に入った。趙雲の順番は最後である。面接室である社内の小さな会議室に入ると、背筋を伸ばし凛とした表情で挨拶をした。爽やかな空気でも入ったのかと思うくらいに、劉備は数秒だけ半開きにしてしまう。するとこの若者に一目惚れをしてしまった。それは、人材の面である。
劉備は何人もの面接を行って疲れている中で思った。このような青年がもしも自身の会社に居るということになったら、かなり勿体無いのではないかと。そう思う程に、とても魅力的な人材と言える。
だが口にするのは絶対に止しておこうと、必死に言葉を抑えた。すぐ目の前に居る趙雲に失礼だからだ。若者をまたもや失望させる訳にはいかない。そうしながら趙雲に志望動機などを聞く。すると上辺ではないような回答をしていった。
内容は劉備の会社の経営理念が大層良かったこと。しかしそれ以上に、社長である劉備の人徳に惹かれたことだ。とあるマイナーな雑誌を開いていたところ、たまたま掲載されていた小さなインタビュー記事を目にししていたらしい。読むと書き起こしてある文章、それに劉備が写っている写真だけで人柄が分かったと。
劉備はとても褒められているようで、照れていた。だがやはりこの会社に趙雲という若者は向いていないだろう。そう判断した劉備は不採用にしようとした。すると趙雲の足元を見て気付く。彼が履いている革靴は、恐らく新品ではないだろう。しかしとても丁寧に手入れをされているのか、自然と馴染んでいた。『新品』では到底出せない革の本来の味を、彼は出しているのだ。
かつて劉備は学生時代に、靴屋でアルバイトをしたことがある。初めは金の為にアルバイトをしていたが、次第に靴に興味を持ち始めていた。するとどんどん靴の魅力に惹かれ、今では本業ではない靴の知識を増やしていくばかり。その為に関羽や張飛という、いわば義兄弟に良くない顔をされているが。
劉備は趙雲の靴をまじまじと見ると、今まで返ってきた回答を全て忘れてしまったらしい。だがそのようなことはどうでも良くなったのか、趙雲にとある質問をした。
「その革靴は、趙雲殿自らが、長い間手入れしているのですか?」
「はい、そうですが……その……恥ずかしながら、新しいものを買う余裕かないもので……」
趙雲は情けないという顔をしたが、劉備は決して辱める意味で質問した訳ではない。なのでそう説明すると、趙雲に更に質問をした。
「その靴を、大事にされていますか?」
「はい、とても大事にしています。大学一年生の時に、アルバイトをして買った物ですので」
劉備はしばらく考えると、やはり採用しても良いのではないのかと思えてきた。現在履いている靴のように、この会社を共に大事に磨き上げてくれると信じて。
深く頷くと、劉備は面接を終える為に礼を述べる。趙雲は一瞬だけ不安の表情を示したが、まだ完全には面接が終わっていないことにすぐに気付いたらしい。すぐに顔色を切り替えていった。
「本日はありがとうございました。失礼致します」
すっと椅子から立ち上がると、面接室から出た。劉備は一気に肩の力を抜くと、趙雲の履歴書を見てからにこりと笑う。
これから、この若者と働くことを楽しみにしていた。そして将来は、彼に大いに支えて貰おうと思いながら。
だが数年後に互いに人間性に惹かれ合って、更には恋愛感情を抱くことを二人はまだ知らないのであった。