云えば云うほど

云えば云うほど

ある日のことだった。戦場に居るような甲冑姿の于禁は城内を歩いていると、女人たちとすれ違いざまにとある会話が聞こえてきた。その会話の内容とは『ふとした瞬間に、好いている者から可愛らしいと言われ続けてから、どんどん自分の容姿が可愛らしくなってきた』というものだ。全て詳しく聞こえてきた訳ではないが、于禁からしたらそう聞こえたらしい。するとこれは使える、と于禁は一瞬で思う。勿論、いつもの険しそうな顔でだが。
それを夏侯惇に言い続ければ、元から于禁にとっては可愛らしい夏侯惇が更に可愛らしくなるのではないか。そうとなると他の者に狙われるのが心配だが、その場合は処断してしまおう、于禁はそう思った。
なので于禁は女人たちに「いいことを聞いた」とか、そのようなことを言えなかったので何も聞かなかったことにした。
ちなみにすれ違った後、女人たちは于禁とすれ違ってしまったことと、本人に聞こえる程にそのような会話をしてしまったことがかなりの恐怖だったらしいが。

それから于禁は人気があるような環境で、それでも周囲の人間に聞こえない程度の声で夏侯惇に「あなたは可愛らしい」と囁くことにした。女人たちの会話を于禁なりに解釈した結果がこれだ。一から十まで聞けなかったせいで。
それは夏侯惇が鍛錬のとき、兵へ指導しているとき、執務をしているとき、幾つもの竹簡を運んだりしているとき、というように様々な場面で。
夏侯惇から最初は「いきなりどうした」とか「疲れているのか?」と溜息をつかれたり、更には「からかっている場合があったら仕事しろ」と返されていた。だが次第に顔を赤らめながら、小さな否定の言葉を返すようになっていく。
なので于禁はそういうことか、と納得すると夏侯惇が視界に入り次第、周囲の人間に聞こえないように「あなたは可愛らしい」とこっそりと囁き続ける。そうしていくうちに、夏侯惇は顔を真っ赤にして何も喋らなくなっていった。

「お、お前……! 人前でああいうことををいちいち言ってくるな!」
数日後。ようやく二人きりでの時間ができ、夏侯惇の隠れ処で逢い引きをしたところだった。夏侯惇は于禁に会うなり顔を赤くしながら言う。しかしそれに対し、于禁はいつもと変わらない表情で返す。
「思ったことを正直に言っただけというのに、なぜです?」
「あんなの恥ずかしいだろう! それに……その……」
「それに、なんですか?」
「そういうのは本来は、お前に抱かれてるときに言って欲しい言葉でな……だから……」
夏侯惇は耳まで真っ赤して、体を震わせる。そして顔を伏せた。次第に于禁に説明するのも恥ずかしくなってきたらしい。
「そういうのは二人きりで、誰にも聞こえないところで、俺だけに言え……お前からのその言葉を他の……」
「夏侯惇殿……」
于禁は夏侯惇が言葉を言い終わらないうちに抱きしめる。夏侯惇は驚いた顔をしながら于禁の顔を見上げた。
「分かりました。それでは、今から」
于禁は室内の隅にある寝台に視線を送ると、夏侯惇はこくりと頷く。そして抱き締められてから何も触れていなかった夏侯惇の手は、于禁の腰へと控えめに回されたのであった。