沈んだ星は二度と輝かない

沈んだ星は二度と輝かない

明けの明星が登っていく頃、夏侯惇は目を覚ました。部屋はまだ朝を迎えきっていないのか薄暗く、そして肌寒い。
夏侯惇はそこで何も着ていないのに気付いた。肩までシーツがかかっていたが、この気温ではそこまで役に立たない。なのでとにかく肌寒かった。
たしか昨夜は于禁と体を無理矢理に重ねられた気がする、そう思いながら体を起こす。隣には夏侯惇と同じく何も着ていない格好で、于禁が仰向けで眠っている。
すると腰の痛みが感じられたとともに、体の至る箇所から鋭い痛みが走った。夏侯惇はそれの正体を、ぼんやりと思い出す。
昨夜の于禁の様子は、とても乱暴であった。

昨日は平日で于禁よりも遅く帰った夏侯惇だが、理由は夏侯淵などと共に帰りに外食をする約束を前からしていた。翌日は土曜日だからか。
それを于禁に事前に連絡していたはずであるが、夏侯惇が日付が変わる前に家に帰っている。するとかなり機嫌が悪い于禁に強引に浴室へと連れて行かれ、無理矢理に体を開かされていた。
そして体中の鋭い痛みは、それの途中につけられた痕である。腹や腰や背中には小さく赤い痕を幾つも、そして肩や腕や太股には大きく赤い歯列の痕が幾つも残っていた。これらは全て、于禁が昨夜つけたものだ。
夏侯惇はそのようなことをされることに対し、勿論抵抗をしていた。だがその最中、何度も何度も強制的に迎えさせられた絶頂により上手く抵抗ができないでいる。
その最中の于禁の顔は、やけに悲しそうなものへと変わっていた。それに何も言わずに荒い息を吐きながら、夏侯惇を抱き潰していて。
その結果、浴室で気を失ってしまったのか浴室から寝室へ、自らの足で行った記憶が全く無い。恐らくその後に于禁が、寝室のベッドの上に運んで寝かせてくれていたのか。

「于禁……」
横で静かに眠っている于禁を見ると、夏侯惇は同様に静かに呟いた。自身の同意も無しに組み敷かれたことによる怒りではなく、悲しげな顔をしていたことが心に大きく残っているのか。
だがそれに対しての返事など、返ってくる訳がない。なので返事が返って来ないこと、体中の痛み、それに寒さにより溜息をつくと、ベッドから立ち上がろうと于禁に背を向ける。するといつの間にか夏侯惇の腹に、于禁の暖かい両腕が強く巻き付いていた。驚いた夏侯惇は、何もできないままその手を見る。
「どこに……行かれるのですか……」
目が覚めてから于禁の放った声や言葉は、大きく頑丈な鉄を連想させるかのように、とても重たく感じられた。そして腹に巻き付かれている、その腕さえも。
夏侯惇はその重りを振り払う気はなく、ただ于禁の手に自身の手を重ねた。
すると于禁の腕が夏侯惇の体をそのまま力強く引いたと思うと、寝台の上へと仰向けに素早く寝かせる。于禁はその上に覆い被さってきたが、その時には太陽までも昇っているところであった。寝室の薄暗さが消えていく。次第にやってきている明るさにより于禁の顔が見えたが、昨夜と同じく悲しげな表情を浮かべていた。
「どこに……行かれるのですか……」
先程と同じ言葉を、于禁は繰り返す。なので夏侯惇はそれに返事をしようと口を開けた。だが于禁は返事が来る前に、夏侯惇の首へと顔を埋める。どうしたのかと夏侯惇は思っていると、首元に何か痛みが走った。その際に小さな声や息が漏れたが、この感覚はとても覚えがある。
于禁は今、夏侯惇の首に噛み跡をつけているのだ。そこは昨夜つけられていない箇所であり、皮膚のかなり薄い部位だからか、かなりの痛みがあり夏侯惇の表情が大きく歪む。
だが夏侯惇のそのような反応を于禁が無視をした後に、二箇所目へと噛み跡をつけた。そこで、于禁はぶつぶつと一人で呪文のように呟き始める。
「あのときの、隙間を埋めなければ……取り戻さなければ……空白を、全てを……」
夏侯惇は于禁の言っていることが、何のことなのか全く分からなかった。隙間や空白のこと、それに何かを失ったということでさえも。
だが于禁の言葉は続いているようだ。それは再び違う箇所に噛み跡をつけた後にだが、何かに追われているように夏侯惇は思えた。切羽詰まっているようにも思えた。
「急がなければ……」
少しだけ、鉄の匂いがした。恐らく皮膚が歯を貫く力が強かったのか、破れてしまったのだろう。夏侯惇は痛みに加えて少し不快な匂いに更に顔を歪めていると、于禁が確信的な言葉を吐いた。
「会えなかった分を、急がなければ……」
そこで夏侯惇は目を見開き、ハッとなった。于禁がこうしている理由が、ようやく分かったのか。瞳を未だに首元に埋めている于禁の頭部へと向けた。
幸いにも夏侯惇の手の拘束はされていないので、自然と手が自身よりも少し大きな于禁の背中へと回っていく。于禁の背中がびくりと一瞬だけ震えた。すると于禁は数秒程押し黙ってから、吐く言葉の全てを震わせた。
「あなたとの時間を全て、今すぐにでも取り戻したい……陽など、もう昇らなくとも良いのに……」
夏侯惇は何も言わずに静かに頷くと、于禁の背中を擦ってやる。しかしいつもは逞しいそこが、今の夏侯惇にとってはとても弱々しく、小さく感じられたのであった。