全ては酒と、それに桜のせいにして
少しでも目を離すと夕陽が一瞬で沈んでいく、そんな時間になる前のことであった。
この日は週の半ばである平日であるのか、数分前に会社から帰宅した夏侯惇はスーツのジャケットのみを脱いだ姿である。その中でリビングにて、今さっき帰宅したばかりの疲れた表情の于禁へとあることを頼む。
「疲れているところをすまんが、今から俺と花見に付き合ってくれないか? 明日と明後日も、それ以降はずっと雨の予報だろう? だから晴れている今日しか、今年の桜の見頃はもうない。だからお前と、どうしても桜を共に見たいのだが……」
夏侯惇はとても申し訳なさそうにそう頼んだ。対して于禁は疲れた顔からとても緩ませた表情へと一気に変わる。
そのときの夏侯惇の表情は眉をハの字にしてたうえ、身長差により上目遣いになっていたからか。
「夏侯惇殿……私は構いませんので行きましょう。私もちょうど、あなたと桜を見たいと思っていたところですし」
于禁はそう言うと、礼を言っている最中である夏侯惇の手を優しく引いてリビングを出ようとした。だがそこで夏侯惇は慌てた様子で、待って欲しいと止める。
「近くで花見をするのだが、せめて着替えないか?」
その夏侯惇の言う場所とは家から二〇分程歩いた場所にある河川敷のことであった。
そこは街中の川沿いの桜が開花した時期になると、毎年のように花見客で賑わう。ちなみに特に休日はそうだが、今日は平日である。なので恐らく花見客が少ないであろうと予測しながら。
于禁はてっきりどこか近くの公園で花見をするのかと思っていたようだ。夏侯惇から場所の説明を聞いて納得すると、それに頷いた。
二人はスーツから軽装へと着替えてから玄関へと向かう。
しかし二人はそもそも帰宅した直後であり、夕飯をまだ取っていない。なのでほんの短い会話を交わす。内容は河川敷近くのコンビニで花見の際の酒と、その最中に夕食を取ってしまおうと。二人はそう決めると家を出た。
河川敷の近くへと二人は歩いて向かい、コンビニで酒の缶を数本や夕食になるものを買ったときには、空にある夕陽がかなり沈んでいた。だが桜がライトアップされているので、空の暗さが気になることはなかった。それを二人は「綺麗だ」と言いながら見る。
そして河川敷の方を見ると、やはり花見客はかなり少ないようだ。二人が今居る場所から見える範囲では、ほんの数人くらいだろう。その内訳は男女のカップルと、一人で見ているのと、大学生数人のグループというものである。
だがそれぞれと密集していないので、二人は周囲がかなり空いている石段へと並んで座る。そしてコンビニで買った物が入っている袋を二人の間に置くと、夕食を取りながら酒を呑み終えた。咲いている桜を楽しみながら。
「記念に、桜をバックに二人で写真を撮らないか?」
桜を見ながら夏侯惇はそう提案する。しかし于禁は首を横に振ってからそれを拒否した。なので溜息をついた夏侯惇は、于禁の肩に無理矢理に手を回して肩同士と顔をとても密着させる。
「別にいいだろう? 周りは特に見ていない。それに、普通に一緒に写真を撮るだけだ。そこまで意識をする方がかえって不自然に見えるぞ」
夏侯惇は自分のスマートフォンをズボンのポケットから取り出すと、カメラを起動してインカメラへと切り替えた。それと同時に、二人がフレームに収まるような高さに上げると、于禁へ「ほら」と言うような視線を注ぐ。
「……分かりました。ですが、その一回のみにして頂きたいのですが」
夏侯惇の説得により観念した様子の于禁は、スマートフォンのインカメラを見た。というより睨みつけた。
だがその様子が夏侯惇からも見えるので、くすくすと笑う。
「そこまで睨まなくてもよいだろうに」
「こういう場合、どのような顔をすれば良いのか分からないもので……」
于禁は恥ずかしくなったのか、顔を赤くさせていた。夏侯惇にそう指摘されたのか。
「于禁、写真には赤面しているその可愛らしい顔で写っていればいい」
「なっ、可愛らしい……!? こ、これは酒のせいです! 違います!」
「酒のせいにするな」
「本当で……あっ!」
顔を赤くしながらも于禁が焦った表情を出したその瞬間、夏侯惇はスマートフォンのインカメラのシャッターを切ったらしい。シャッター音が聞こえたと同時に、写った写真がスマートフォンの画面に表示される。
それは夏侯惇は穏やかに笑っており、一方の于禁はやはり先程と同じ表情であるものが。
「すまん、酒のせいで手が滑った。それと桜があまりにも綺麗でな」
夏侯惇はかなりわざとらしくそう言うと、于禁は恥ずかしそうにその写真を削除するように求める。だが夏侯惇はその写真を削除する気は無いらしく、笑いながら拒否をした。
そして二人は数分の間、削除をするかしないかの攻防戦を行っていたのであった。