閑話
夏侯惇は夕食の後に風呂に入っていた。一通り洗い終えた後、湯船に浸かる。ここ数日、残業や曹操の無茶に応じていた。それを思い出した夏侯惇は舌打ちしながら「孟徳め……」と恨めしそうな声で呟く。
「明日は休日出勤か。午後から出社だから、今夜はゆっくりするか」
数分ボーッとした後に溜息を吐き、ほんの一瞬だけ瞼を閉じて開く。そろそろのぼせそうな頃合いになってきたので立ち上がる。だがそこで何かがおかしいことに気付いた。
「……は? え?」
それに気付いたがきっと疲れで幻覚でも見ているのかと思った。だが確認のため浴槽から出て、曇ったガラスを手で綺麗にする。
「は!?」
いつのまにか夏侯惇の外見は、おそらく中学生くらいの年齢に変わっていた。
自分の体の至るとこを触る。たしかに今の年齢とはかけ離れた、筋肉は多少あるが幼さの残る体つきをしているが、それとは逆に声は少し大人びているように思えた。
「うわああ!? 何だこれは!?」
夏侯惇は頭を抱えながら叫んだ。すると食器を洗っていた于禁は何事かと思い、浴室へ飛んできた。そして扉を思いっきり開ける。
「夏侯惇どうされましたか! もしや敵襲です……か!?」
于禁は浴室に居る人物を見て驚いた顔をする。
「誰だ!」
「俺だ! 俺!」
だが夏侯惇は警戒を解こうとするも、上手く頭が回らずにろくな言葉が出なかった。なので余計に于禁は警戒している。
「そうだ、夏侯惇殿は……夏侯惇殿!?」
「そうだ! 俺が夏侯惇殿だ!」
「本当に、夏侯惇殿ですか?」
「あぁ、そう……」
すると夏侯惇は目眩を感じる。のぼせてしまったらしい。足元がふらつき崩れそうになったが、驚いた于禁がそれを支えた。夏侯惇は「すまんな……」と力なく呟く。
「落ち着いた後、きちんと説明して頂きますか?夏侯惇殿」
溜息をついた于禁は浴室の入口の棚からタオルケットを取って夏侯惇をそれで軽く包み、とても軽そうに横抱きにして浴室から出た。夏侯惇の意識はあるが、ソファーに寝かせて別のタオルケットを掛ける。そしてコップに水を入れ、ソファーの近くのテーブルに置いた。夏侯惇は上体を起こしてそれを取ると、一気にあおる。
「もう落ち着いたから大丈夫だ。ありがとう于禁」
「……それで、あなたは本当に夏侯惇殿なのでしょうか」
空のコップをテーブルに置いた夏侯惇は、肯定の返事をすると続けて浴室で起きたことを詳しく説明した。
「それは……」
「だから本当だと言ってるだろう」
「分かりました。信じることにします」
そして于禁は先ほどのやり取りを詫びるが、夏侯惇は「気にするな」と返す。
「……しかし着るものがないな」
夏侯惇は腕を組む。おそらく一五〇センチ後半くらい身長があるだろう。勿論、そういったサイズの服は二人の手持ちの服にない。
「まぁいい。大きくとも俺のを着る」
「よろしいのでしょうか?」
「あぁ……そういえば、これはきちんと戻るのか?」
夏侯惇は立ち上がるため、タオルケットを腰に巻いたところでそうぼやく。
「明日までに戻らなかったら俺は……」
「も、戻ってますよ。さぁ寝ましょう。子どもはもう寝るじか……」
「誰が子どもだ! ……着替えてくる」
夏侯惇は立ち上がって大股で歩く。だがそれでも歩幅が狭いのか、舌打ちを一回してウォークインクローゼットへと向かう。だが少し経った後、未だにタオルケットを腰に巻いている夏侯惇が戻ってきた。
「高くて届かないから手伝ってくれ」
額に青筋を浮かべながら夏侯惇は于禁にそう頼んだ。于禁は一つ返事で引き受けると、二人でウォークインクローゼットへと向かった。
「ティーシャツを着ようと思っていたんだがな、夏服が入っているボックスが高いところにあるから届かなかったんだ。すまんな于禁」
「いえ、お気になさらず」
夏侯惇が指差したところは、手を伸ばしても届かない高さにあった。于禁はそれをすんなりと取ると、夏侯惇に手渡す。
早速ティーシャツを着て巻いていたタオルケットを取った夏侯惇だが、やはりぶかぶからしい。ティーシャツの裾は七分丈になっており、丈は太もものあたりまであった。
「家の中ではこれで過ごすか」
「よろしいのですか?」
「あぁ」
二人はウォークインクローゼットから出る。
夏侯惇はタオルケットを洗面所のランドリーボックスに入れに行き、于禁は中断していた家事の続きをした。だが終わる直前だったので、夏侯惇が于禁の元へ戻ってきた頃には終わっていた。
「それでは私はもう寝ますので。おやすみなさい」
于禁は軽く伸びをすると、夏侯惇は「なら俺も寝る」と言って二人で寝室へと入った。
だが于禁はあることに気付く。なのでベッドに乗ろうとしたところでやめた。
「どうした?」
既にベッドに横になっている夏侯惇は首を傾げる。次第に冷や汗が出てきている于禁を見ながら。
「夏侯惇殿! 私を縛ってください! お願いします!」
成人男性が未成年の男子にそう言う光景はとてもシュールだった。
「……は!?」
于禁は後ずさるので、夏侯惇は起き上がって近付く。
「俺が言う義理ではないが、いきなりどうしたんだお前」
「未成年淫行が……未成年淫行が……」
于禁は目線をぐるぐるさせ、念仏のようにそう唱える。するとそれを見た夏侯惇の中で合点がいく。いまさらそれを気にすることではない、と夏侯惇は思ったが于禁はそうもいかないようだ。
「どうした」
「その……」
「もしや俺の今の姿にそそられて堪らないのか?」
于禁は「違います!」と反論しながら顔を赤くするが、明らかに図星である。夏侯惇はからかうようにニヤニヤしながら近付き、于禁の手を引くとベッドの上に両手と片膝を乗り上げてしまったようだ。
「この姿の俺を抱くことができるのは今しかないのだがな。ほら、興奮しないのか? ティーシャツの下は全裸だぞ?」
「お断りします!」
夏侯惇がティーシャツを捲くろうとしたので、于禁はそれを制止して首がもげそうなくらいに左右に振る。
「また俺の処女を奪えるのにな。これで三回目になるぞ」
とてつもない言葉を吐いた夏侯惇は、于禁と顔を近づける。今にも吐息がかかりそうなくらいに。だが于禁は視線を下に逸らそうとするも、夏侯惇の太ももが視界に入るので左へと視線を向けた。
「わざわざカウントしないで頂きたい!」
「減るものじゃないからいいだろう……ってこれ、増えてたな」
夏侯惇は付き合いが悪い、と言わんばかりの表情を浮かべる。
「…………………に」
「ん?」
すると于禁は耳までも真っ赤にして、消え入りそうな声で何か言う。しかし夏侯惇にはほぼ聞こえなかったらしく聞き直す。すると于禁は逸らしていた視線を夏侯惇の方に戻すと、はっきりと言葉を吐いた。
「今の夏侯惇殿と寝て……幼い体相手であろうと、加減ができなかったらどうするのですか!ただでさえ今の格好でも私は限界なのですが!」
すぐに于禁は両手で顔を覆う。一方の夏侯惇は于禁の発言を数秒の間に何回か反芻した後、于禁同様に顔を赤くした。
「なっ……!?」
「私は別室で寝ますので! おやすみなさいませ!」
于禁は立ち上がって素早く寝室を出ると、取り残された夏侯惇は未だに顔を赤くしていた。
ちなみにだが翌朝、目を覚ました夏侯惇は元に戻っていた。